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『今宵もRed Light Barで何かが起こる』  作者: 西崎小春


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12/21

第12話 ミルクの夜は忙しい

月見橋交差点の夜は、たいてい静かに始まる。

 信号が変わる電子音、コンビニの自動ドア、遠くを走るタクシーの重いタイヤ音。そんな日常の断片が混ざり合って、この街特有の夜の空気がゆっくりと出来上がっていく。

 その交差点から一本入った細い路地に、赤いランプを灯す店がある。――Red Light Bar。カウンター八席だけの、小さな、けれど今夜は珍しくなぎのような静寂に包まれた店だ。

「……静かすぎて、逆に落ち着かねえな」  タケさんが手持ち無沙汰にグラスを拭きながら呟く。

「嵐の前の静けさ、というやつですかね」とゴウちゃんが腕を組む。

「単に客が来てないだけでしょ。景気の悪いこと言わないでよ」とマユ姐。

「客足が途絶えるのは、経営学的には最大級の嵐です」とマウス。

「数字で脅すなよ。……お、噂をすれば」

その直後、ドアが蹴破らんばかりの勢いで開いた。

「ただいまぁあああああああああああ!!!!」

 鼓膜を震わす爆音と共になだれ込んできたのは――ミルクだった。

「「「「うるさい!!」」」」

 店内に揃ったツッコミを無視して、ミルクはカウンターに身を乗り出した。

「ちょっと聞いてよ! 今日のあたしの人生、完全に全米が泣くレベルの全24話ドラマだったんだから!」

「毎日最終回みたいな騒ぎ方すんなよ」とタケさん。

「今日はマジなの! 五反田が、今日だけは戦場だったのよ!」

神様が静かにグラスを置いた。

「……何があった」

 ミルクは深く息を吸い、語り始めた。

「まずね、開店早々に現れたのが――“自称・ITベンチャー社長”」

「もうその肩書きだけで怪しいっすね」とりょうちん。

「そいつがさ、“俺、女を見る目だけはあるんだよね”とか言いながら、あたしに“その胸、本物かどうか触って確かめていい?”って言ってきたのよ」

「即、出禁だな」とタケさん。

「で、どうしたのよ」とマユ姐。

 ミルクは不敵に笑った。

「“いいわよ♡ ただし有料ね。三十分十万。前金で、今すぐ”って言ったわ」

「「「「高ぇな!!」」」」

「そしたら脱兎の如く逃げてったわ。あー、安上がりな男」

「でもね、本番はここから。次に来たのが――“本気マジで恋してるおじさん”」

「……それは、よくある話だろう」と神様。

「違うのよ! その人、会うたびにプロポーズしてくるの! “ミルクちゃん、君を必ず幸せにする。店なんか辞めて、僕のところにおいで”って」

「重いな。……で、なんて返したんだ?」とゴウちゃん。

 ミルクはグラスを見つめ、ふっと柔らかく笑った。

「“もう十分幸せだから、大丈夫よ”って」

一瞬、店が静まり返った。

「……で、どうなったんだ?」とタケさん。

「泣いたわ」

「泣いたのか」

「おじさんが」

「そっちかよ!」

 店にどっと笑いが起きた。

「でもね、あたしちょっと思ったのよ」ミルクの声が、少しだけ低くなる。

「“幸せにする”って、随分と乱暴な言葉よね」

 神様が、深く頷いた。「……左様。傲慢な言葉でもある」

「だってさ、自分が幸せかどうかって、他人に決められるもんじゃないじゃない? 自分で決める特権なのよ、それは」

「……珍しく、本質を突くじゃない」マユ姐が感心したように煙草をくゆらす。

「でしょ? ……あ、でも三分後にはどうでもいい話するから安心して♡」

「「「「するだろうな」」」」

その時、再びドアが開いた。

 入ってきたのは、二十代半ばの女性。肩をすぼめ、今にも消え入りそうな顔で席に座った。

「いらっしゃい、セクシー。……何にする?」

「……あの、ここ初めてで。……カクテルの名前、よく分からなくて」

「大丈夫よぉ♡」ミルクがすかさず隣に滑り込む。

「この店、見た目より中身が五倍は変だから、何言っても恥ずかしくないわよ♡」

「……安心できない情報ですね」とマウス。

女性は少しだけ表情を緩めた。

「……今日、ちょっと落ち込んでて」

「出た。事件の匂いだ」工藤ちゃんが帽子のつばを触る。

「「「「黙れ」」」」

 ミルクは女性をじっと覗き込んだ。

「……失恋?」

 女性は目を見開いた。「……なんで分かるんですか」

「分かるわよ。心臓が半分くらい外に溢れ出してる顔してるもの」  女性は俯き、声を絞り出した。

「彼に……“重い”って言われて。……私、ただ、ちゃんと向き合いたかっただけなのに」

ミルクは静かに、けれど断定するように言った。

「それ、全然重くないわよ」

「え……?」

「向き合うのって、めちゃくちゃ体力がいるの。逃げる方が何倍も楽なのよ。だからね、“重い”って言葉を使って逃げる男は――」  ミルクは一拍置いて、言い切った。

「ただの、スタミナ不足の臆病者。それだけ」  

 店がしんと静まる。女性の瞳に、少しだけ熱が戻った。

「……そっか。逃げてたのは、彼の方だったんだ」

「そうよ! そんな男、こっちから熨斗のし付けて返品よ!」マユ姐が追い討ちをかける。

「でもね」ミルクが笑った。

「ちゃんと向き合おうとしたあんたは、最高にタフで、いい女よ」

その時、カラン、とドアが開いた。

「ミルクちゃぁぁぁぁぁぁん!!!」

 先ほどの“プロポーズおじさん”が、血相を変えて飛び込んできた。

「また来た!」と全員。

「君にもう一度伝えなきゃと思って! 僕は本気なんだ!!」

「今忙しいの! ストップ!」

 ミルクが凛とした声を響かせた。

「おじさん。人を幸せにしたいなら、まず自分の足でちゃんと立ちなさいよ」

 おじさんが、鳩が豆鉄砲を食ったような顔で固まる。

「自分がぐらぐらのままで、誰かを支えようとするから共倒れになるの。それが本当の“重さ”よ。……それが分かったら、また一杯飲みに来なさい。以上!」

おじさんは、魂を抜かれたように呆然と立ち尽くした後、小さく「……はい」と答えて、静かに店を出て行った。

 数秒の沈黙の後、タケさんがボソッと言った。

「……ミルク。今の、三秒くらいカッコよかったぞ」

「三秒だけ!? 延長料金取るわよ♡」

 女性客は、今度は声を上げて笑った。

「……なんか、元気出ました。また、来てもいいですか?」

「もちろん。いつでもいい。……OK、セクシーダンディー」

「女性にダンディーって……。まあ、いいか」とマユ姐。

ミルクは勢いよくグラスを持ち上げた。

「さあ飲みましょ! 人生はね、飲んで忘れられることと、飲んで思い出せることで出来てるのよ♡」

今夜も店は、いつも通り騒がしく、そしていつもより少しだけ優しい。

 ミルクは笑っている。いつも通り、バカっぽく、底抜けに明るく。

 その笑いの奥に、彼女がかつて自分で乗り越えてきたであろう「重さ」の跡を、誰もあえて指摘はしなかった。

 それでいい。深さはいつも、この店では笑いの後ろに隠しておくのがマナーだからだ。

そして今夜もまた――Red Light Barで何かが起こっていた。

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