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『今宵もRed Light Barで何かが起こる』  作者: 西崎小春


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11/21

第11話 麗子嬢が来た夜

月見橋交差点の夜は、たいてい静かに始まる。

 信号が変わる電子音、コンビニの自動ドア、遠くを走るタクシーの重いタイヤ音。そんな音が混ざり合って、この街の夜の空気がゆっくりと出来上がっていく。

 その交差点から一本入った細い路地に、赤いランプを灯す店がある。――Red Light Bar。カウンター八席だけの、小さな、けれど今夜は“予感”に満ちた店だ。

その夜、異変は“匂い”から始まった。

 タケさんがいつも通りグラスを拭いていた。角度も、速度も、いつもと変わらない。だが、ふと、その手が止まった。

「……なんか、来るな」

 特等席で神様がグラスを傾けたまま、低く応じる。

「……来ますね。風向きが変わりました」

「ただ事じゃねぇ匂いだぜ、こいつは」ゴウちゃんが腕を組み、ドアを睨む。

「データ的に推測すると、重要イベントの発生確率は九十二パーセントです」

「何のデータだよ」とタケさんが突っ込む。

その直後、ドアが開いた。

 一瞬で、店内の酸素が書き換えられた。

 黒いレザージャケットに、艶やかな赤髪。耳元で揺れる大ぶりのピアス。コンクリートを叩くヒールの音が、メトロノームのように正確に響く。

 女は一歩だけ中に入り、品定めをするように店内を見渡した。 「……ここ?」

 低く、ハスキーな声。落ち着いているのに、不思議と鼓膜に深く刺さる。

 常連たちの背筋が、軍隊のように一斉に伸びた。タケさんが一歩前に出る。

「い、いらっしゃい……セクシー」

 ミルクちゃんがいないのに、反射的にその言葉が出た。

 女は一瞬だけ眉を上げ、ふっと、夜霧が晴れるように笑った。 「……面白い店ね」

その瞬間、男たちの脳内スイッチが「全入れ」になった。

「あ、こっちの席へどうぞ!」とゴウちゃんが椅子を引く。

「よろしければ、これを使ってください」とマウスがポケットティッシュを差し出す。

「……なんで今ティッシュなんだよ」とタケさんの小声が虚しく響く。

女は流れるような動作でカウンターに座った。

「麗子」

 それだけを名乗り、煙草を取り出す。神様が、これ以上ないほど優雅に火を差し出した。

「いいお名前ですね」

「……ふっ、事件の匂いがするな」工藤ちゃんが帽子のつばを弄る。

「「「「しない」」」」

 タケさんが、少しだけ声を整えて聞いた。

「……何、飲む?」

「強いのを」

「具体的には」

「強ければ、それでいい」

「……一番、困る注文だな」

 タケさんは苦笑しながら、手際よくボトルを選び始めた。

その間、男たちの“アホの競演”が幕を開ける。

「麗子さん、ダンディってのはね、背筋の角度なんですよ」とゴウちゃんが胸を張る。

「違います。顎を十五度上に向ける『俯瞰のポエム』こそが重要です」とマウス。

「いや、歩き方だ。自分の影と会話するように歩くんだ」と工藤ちゃん。

「影と会話ってなんだよ」

「……存在感、そのものです」と神様。

「一番分からんわ!」

麗子がくすくすと笑った。その笑い声一つで、男たちのテンションはさらに加速する。

「見ていろ。これが真の歩き方だ」

 ゴウちゃんが立ち上がり、肩を怒らせてゆっくりと歩き出す。だが、気負いすぎて足元のコースターを踏み、盛大に滑った。

「おっとぉ! 危ねぇ!」

「素人ですね。こうですよ」

 マウスが顎を突き出し、完全に天井を仰ぎ見ながら行進する。案の定、そのまま壁に正面衝突した。

「痛っ……! 計算外です」

「……お前ら、修行が足りんな」

 工藤ちゃんが帽子を深くかぶり、カニのように真横に向かって歩き出す。

「……なんで横歩きなんだよ」

「死角を作らない。これがプロの探偵だ」

「バーに暗殺者は来ねえよ」

麗子が声を上げて笑う中、タケさんが静かにグラスを差し出した。 「……ほら、強いの。お待たせ」

「ありがとう」

 麗子が一口含む。喉を焼くような酒に、彼女は満足げに目を細めた。

「……いいわね、これ」

 その一言で、タケさんの肩からようやく力が抜けた。

そこへ、賑やかな風が吹き込む。

「ただいま~~♡」

 ミルクちゃんとマユ姐のコンビが登場した。二人は一瞬で空気を察知する。

「……何この、バカの運動会」

「ダンディ選手権だ」とゴウちゃん。

「バカじゃないの」「本当、救いようがないわね」

 ミルクちゃんが麗子をじっと見る。

「……あんた、強いわね」

 麗子が微笑む。

「そう?」

「ええ。面白いわ、気に入ったわ」

 女同士の不思議な連帯感が、瞬時に出来上がる。

男たちはさらに張り切る。

「女性が求める『真のダンディ』とは何か! それを教えてくれ」 「金よ」とマユ姐が即答する。

「早いな!」

「何の話?」金の権化、ヒロがちょうど入ってくる。

「来るな、夢のない男」とゴウちゃん。

「ダンディなんてね、気遣いと余裕よ」とミルクちゃんがまとめる。

麗子が、空になったグラスを見つめながら、ぽつりと呟いた。 「……あとね、ちゃんと見てくれる人」

 店内が、不意に静まり返った。

「カッコつけてる人なんて、見てればすぐ分かる。でもね、何も飾ってないのに、ただそこに『ちゃんといる』人。そういうのが、一番強いのよ」

 タケさんが、グラスを拭く手を止めて少しだけ笑った。

「……それって、タケさんじゃないっすか」  りょうちんが素朴に言うと、一瞬の静寂の後、マユ姐もミルクちゃんも、小さく頷いた。

「……そうね」「まあ、認めざるを得ないわね」

「くっそ……負けた気分だぜ」ゴウちゃんが頭をかく。

「……ふっ、事件だな」

「「「「しない」」」」

麗子が席を立った。

「また来るわ」

 男たちの心拍数が跳ね上がる音が聞こえそうだ。

「次はもっとダンディを磨いておきなさいよ」とマユ姐。

「無理だろ、こいつらには」とタケさんが笑う。

 麗子がドアの前で、肩越しに振り返った。

「……もう、なっている人がいるじゃない」

 彼女は、タケさんをほんの一瞬だけ、真っ直ぐに見つめた。そして、夜の街へと消えていった。

沈黙。

「……今の、見たか?」とゴウちゃん。

「バッチリ、ログに保存しました」とマウス。

「……事件だ」

「「「「しない!!」」」」

タケさんは何も言わず、いつもよりほんの少しだけ丁寧に、麗子の使ったグラスを磨き始めた。

「……たまには、こういう夜もいいわね」マユ姐が静かに呟く。 「うん、たまにはね」

 神様が静かにグラスを上げた。

この店のダンディズムは、きっとこれからも変わらない。

 アホで、騒がしくて、自分の足でつまづいて。

 けれど、誰かが店に来た時、変わらずそこにいて「いらっしゃい」と迎える。

 それでいい。それが、この店の誇りなのだ。

「ところで、俺の横歩き、かなりキマってたよな?」

「「「「「最悪だったよ!!」」」」」  

 いつもの笑い声が、再び赤いランプの下に溢れ出した。

 そして今夜もまた、Red Light Barで何かが起こっていた。


――この店の夜は、まだ終わらない。

(続きは22時)

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