第八話 未知の領域
キュルキュルと不気味な音を立てながら、揺れ動く狭い空間の中でアリスは壁に建てつけられている椅子に座っていた。
左右と前方には、空閑と同じ黒髪に緑と茶色の斑模様の服を着た人間が座っている。全員が魔物達を倒した黒い杖を手に掲げ、物々しい空気が漂っていた。
彼らの品定めするような視線がアリスに注がれ、逃れる為に顔を下に向けた。
すると、左側から鋭い声が上がった。自分の隣に座っていた斑模様の女性であった。彼女は強い口調で何かを言うと、斑模様の男性らはアリスに頭を下げた。
斑模様の女性は、アリスの方に顔を向けると、今度は優しそうな口調でアリスに尋ねてきた。
しかし、アリスには彼女が何と言っているか理解できなかった。
どうすればいいのか迷っていると、下から声が聞こえてきた。
「彼女は、『男共が変な目で見てきてごめんなさい』と言ってるんですよ」
声の主は空閑であった。
彼は今、床に横になっていた。腕には半透明な糸が付いており、その先には液体の入った袋を持った男が傍らにいた。
「俺からもすいません、彼らも悪気がある訳じゃないんです」
「い、いえ、大丈夫です」
空閑から謝罪に、アリスは慌てて答えた。
アリス自身、魔力ないことで度々奇異な視線にさらされていた為、こういった扱いには慣れていた。
「うん? ああ、なるほど。そういう事か」
斑模様の男の一人から話を聞いた空閑が、アリスに目を向ける。否、アリスの膝上に乗っている生き物に視線を向けていた。
「その……彼らは、どうやら”その子”が気になったようで」
空閑の言葉、アリスも視線を落とす。アリスの膝上には、鋭い目つきで空閑達を睨み付けてくるフロルがいた。前に斑模様の男の一人が声を掛けようとして不用意にアリスに近づいた時、ドレスの中に隠れていたフロルが現れ、牙を見せて唸り声を上げながら男を威嚇した。
以降、フロルはアリスに近づく者達(主に男性陣)を威圧していたので、彼らは離れた所からアリスを見る形となっていた。
「それにしても、やっぱり俺以外の隊員達の日本語が分からないのは確かにみたいですね」
「はい……」
空閑が言った事に、アリスは静かに頷いた。
空閑が話している言葉は、間違いなくマルスティア語であった。しかし、彼自身は普段道理の自分達の言葉であるニホンゴで話していると言っていた。
何よりも、空閑以外の斑模様の人達の言葉は全く理解できない。どういう訳か分からないが、今のところアリスと空閑のみが意思疎通を出来ているのだ。
「それにしても73式装甲車を揚陸させておいて良かったです。こんな森の中じゃ、装輪車での走行は無理でしたから」
空閑が狭い天井を見ながら言った。
空閑がアリスに名を名乗った直後、突然崩れ落ちるように倒れ込んだ。意識は何とか保っていたものの身体中に力が入らず、起き上がることが出来なかった。
アリスもどうすればいいのか戸惑っていると、森の奥から異様な物音と地響きが鳴り響いた。
そして木々を倒しながら現れたのは、馬が引いていない大きな緑色した鋼鉄の荷馬車だった。
アリスは再び魔物が襲って来たと思っていたが、次の瞬間、後ろ側が開かれたて中から人が飛び出して来た。皆、空閑と同じような黒髪と斑模様の服を着こんでいた。
彼らは空閑を見ると、駆け寄って声を掛けた。空閑を布生地の上に乗せると、担いで荷馬車の中で運び込まれる。アリスも言葉が分からない彼らに促されながら荷馬車へと乗り込んだ。
そして現在、アリスは空閑らがソウコウシャと呼ぶ鋼鉄の荷馬車に乗っているのだった。
床に横になっている空閑は、エイセイカと呼ばれる治癒士の男からテンテキと言うポーションを身体に流し込んでいた。
因みに、アリスも隣に座る女性から怪我等を調べてもらっている。その際に、地面に投げ出された時にできたとされる擦り傷に、女性から包帯を巻いていた。
「乗り心地は悪いですが、少し間我慢して下さい。何せ、さっきのブラックドッグのようなモンスターがまだ辺りにいる可能性もありますから」
「もんすたー?」
「ああっ、こっちでは魔物と言うんでしたっけ?」
空閑は、アリスがソウコウシャを見た時にそう言っていたのを思い出した。
「そう言えば、俺が倒れていた場所にかなりの血痕があったらしいですけど、何か知っていますか?」
空閑を診断した治癒士から、倒れた原因が貧血症状であることが分かった。空閑の服の付着した血液と地面に残っていた血だまりから、空閑はかなり危険な状態の怪我を負っていた筈だった。
しかし、空閑自身には怪我している痕跡が全くなく、治癒士は頭を悩ませていた。
「それは……その……」
空閑の質問に、アリスは言葉を言いよどんだ。
あの時、自分の身体から光が溢れ出して、重傷の空閑を救った。
フロルから説明された『恵み』の精霊姫の力。魔法や魔道具を扱うことができない無力な自分に、こんな力が存在していた事に未だ信じられずにいた。
何よりも自分はファルシオン王国の人間だ。空閑ら黒髪の悪魔、いやニホン国と戦争をしている国がこんな力を知ればどうなってしまうのだろう。
そんな恐怖心から、本当の事を話す事を躊躇っていた。
——アリス、無理に本当の事を言う必要はないぞ。
不意に、膝上のフロルから声が聞こえた。
「申し訳ありません。わたしも……よく分からないです」
「……そうですか」
空閑がアリスの表情から、それ以上追及する事を止めた。
すると、アリスの隣に座っていた女性が、空閑に声を掛けてきた。
「え? 彼女の名前?……あ、」
空閑に困惑の表情が浮ぶ。そして、申し訳なさそうにアリスを見た。
「すいません、そう言えば、まだ貴女の名前を聞いていませんでした」
アリスも思い出したかのようにはっとした。
「も、申し訳ありません。わたしもお伝えしていませんでした」
アリスは姿勢を正すと、空閑を真っ直ぐに見据えた。
「わたしの名は、アリシェスタと申します」
「アリシェスタさんですか、いいお名前ですね」
空閑の言葉に、アリスは目を丸くした。
名前を褒めてくれる人はいなかった。魔力がないと判明した時から、自分は出来損ないの王女として言われ続けたアリスにとって、掛けられたことのない優しい言葉だった。
「改めてよろしくお願いします。アリシェスタさん」
空閑は笑みを浮かべながら言った。
「……あの、クガサンイ様」
「空閑でいいですよ。『様』なんて敬称も必要ないですし」
「……では、クガ様。この度は……わたしを助けていただき、ありがとうございます」
アリスは、空閑に深々と頭を下げた。
「気にしないで下さい。困った人を助けるのは、我々自衛隊の仕事ですので」
空閑は柔和な微笑みを崩すことなく、変わらない口調で言った。
——アリス。
その時、フロルがアリスを見上げてきた。
(どうしたの、フロル?)
——この者ら、気をつけた方が良い。
フロルの強い口調に、アリスは身体を強張らせた。
(……どうして?)
——この者ら、魔力の存在を全く感じない。魔力を持っていないのだ。
(魔力が……ない?)
フロルから聞かされた真実、空閑達が自分と同じく魔力が無いという事にアリスが驚愕の表情を浮かべたのだった。




