第二十九話 居場所
「大丈夫ですか、アリシェスタ王女様?」
傍らに座る空閑の心配そうに見つめていた。
彼の顔を見た瞬間、恐怖に押しつぶされかけていたアリスの心が和らいでいくのを感じた。
今の自分には、どんなに苦しい時や辛い時にも話を聞いてくれる人がいる。それがどれだけ大切な事であるかを、空閑やジエイタイの隊員らが教えてくれた。
アリスは自身の体調に問題ない事を伝えると、レイナ達から聞いた内容を空閑に説明した。
「……成程、あらかた事情は解りました」
空閑は顎に手を当てながら、険しく表情で考えて込んだ。
「アリシェスタ王女様。すみませんが、冒険者協会の方達と確認したいことがあります。引き続き、通訳をお願いしてもよろしいでしょうか?」
「はい、構いません」
アリスは頷いて応えると、レイナとロックナーの通訳を務めた。
空閑もアリスの通訳に頼るだけでなく、持っていたてちょうの紙にマルスティア語の文字を書いてレイナ達に見せた。
ファルシオンの王女であることが発覚した翌日。アリスは、自分に何か役に立てる事はないかと空閑に聞き込んでた。
いつまでも助けられている訳にはいかない。少しでも彼に恩返しをしたい。今までにない感情がアリスの心を突き動かしていた。
アリスの熱意に押された空閑は、この大陸の公用語であるマルスティア語の教えてもらう事を提案した。
いくら空閑が文字を読めるからといって、アリスが持っていた絵本やトルマレンへの書簡等の断片的な文字だけでは、この世界の住人と会話が成り立つとは思えない。
元々は機を見て自分にマルスティアに関する言語や文字を聞こうと考えていた空閑であったが、王女である事を知って尋ねるのを憚られていたらしい。
一応、王女としての教養を学んでいたアリスは、空閑の提案に二つ返事で応じた。
こうして、アリスを教師とした勉強会が駐屯地で行われるようになった。
空閑や彼の部下である第一偵察小隊だけでなく、駐屯地で仲良くなった隊員達がアリスの教えを乞う事になった。
アリスも誰かに教えるという事の難しさに悪戦苦闘しながらも、真剣に学ぼうとしている隊員達の為に頑張った。
こうした甲斐もあり、空閑は筆談に支障がない程度のマルスティア語を習得する事ができた。
始めに空閑が確認した事は、アリスと政略結婚で得られるトルマレン側の利益についてだ。
ファルシオン王国が”黒髪の悪魔”とされるニホン人との戦いで増援を募る為、コルベ首長と婚姻する事なったのをアリスから聞いていた。ならば、コルベ首長やトルマレン側にも利する物がある筈と考えていた。
空閑から質問の内容が書かれた紙を渡されたロックナーは、渋々といった表情で語りだした。
トルマレン城塞都市は、未開拓地の森から採取される薬草や魔物の素材をファルシオン王国側へ売り、その対価として穀物や肉類といった食品を買っていた。トルマレン城塞都市の周囲は作物が育ちにくく、夜には魔物の襲撃もある為に農地が少なかったからだ。
そんな中、三十年前にマルスティア大陸で発掘された『魔法結晶』を加工した魔導具の普及により、多くの人が簡単に魔法を扱うことができた。特に習得が難関とされる回復魔法が容易に使用できる事が、後の魔導具の普及を後押しした。
しかし、魔導具による回復魔法の簡易化はトルマレンに危機をもたらした。元々、回復魔法に代わるものとして『未開拓地』の薬草で作られたポーションが、魔法の代役として使用されるのが一般的であった。ポーションよりも高い回復力を持つ魔導具の誕生で、貴族や軍に卸す薬草の数が激減した。
更に追い打ちをかけたのが、ここ数十年におけるファルシオン王国の豊作であった。
以前、ファルシオン王国から薬草や香草のサンプルを拝見したいと要望があった。当時の長の座にいたコルベ首長の父親が苗を沢山送った。再び薬草の需要があると踏んできたが、その目論見は大きく外れた。
王国はサンプルを基に『未開拓地』でしか生息しない薬草等の大量栽培に成功。逆に薬草の一大生産国へとなった。財の一端を完全に失ったコルベ家は、大幅に影響力が低下していった。
そんな中で起こったのが、異世界から現れたニホン国との戦争だ。
兵力を大きく失った王国は、増援の為にトルマレンにいる冒険者協会の冒険者達を傭兵として戦わせる事を要請してきた。
千載一遇のチャンスがやってきたと考えたコルベ首長は、ファルシオンへいくつかの条件を提示した。
一つはトルマレンへの食料品輸入に対する優遇措置。
そして、もう一つはファルシオン王家の王女との婚姻。
マルスティア大陸で事業を拡大しようとしていたコルベ首長は、王家の血筋を取り入れればファルシオンのみならず、他の国でも軽んじられる事がなくなる。そんな思惑を抱いた。
ロックナーは、事前にコルベ首長から話を聞かされており、難色を示していた。傭兵として戦った彼は、人間同士の争いの醜さを知っていたからだ。
だが、コルベ家が衰退するとトルマレンは立ち行かなくってしまう。そうなれば、トルマレンにいる住人や冒険者達の食い扶持がなくなってしまう。
ロックナーも葛藤の末、コルベ首長に賛同するしかなかった。
そして、婚姻相手に選ばれたのがアリスだったのだ。
空閑は、アリスの通訳と筆談によって得られた内容を書き記したてちょうを見た。
「アリシェスタ王女様。トルマレンが受け入れない理由は解りました」
空閑は、アリスを真っ直ぐに見据えた。
「そこで、アリシェスタ王女様はこのまま我々が保護という事でよろしいですか?」
アリスは思わず目を丸くして空閑を見た。
元々、トルマレンに来たのは冒険者協会の戦闘を回避する事であった。トルマレンへ来るという事は、即ちコルベ首長との婚姻も確立する事を意味する。
アリスは自身、見知らぬ男性と結婚する事に躊躇いもある。それでも、自分を助けてくれた空閑やジエイタイに迷惑を掛けたくない。
そんな覚悟を持ってきていたのに、空閑から即座にアリスの保護を申し出たのだ。
「……クガ様……良いの、ですか?」
「結婚相手と嫁ぎ先の家族もいなくなった以上、トルマレンから攻撃を受ける事はありません。貴女が王国へ帰えるにしても、我々に王国と仲介できる人も伝手もいません。それなら、必然的に保護の継続が妥当でしょう」
アリスはよそよそしく尋ねるも、空閑は当然だと言わんばかりに顔をして応える。
「無論、強制はしません。これまで道理、アリシェスタ王女様の意思を優先的に尊重します」
空閑の柔和な顔とアリスの胸が熱くなっていく。
森の中で出会ってから、彼の優しさが当たり前になっていた。
彼だけでない。安里三曹や本井陸士長にも敵国の王女を知った後も、ジエイタイの隊員達は誰一人として自分の事を悪く言う者がいなかった。
できることなら、空閑達がいる所に戻りたい。そう思えるほど、アリスとって駐屯地は大切な居場所になっていた。
「……クガ様……また、ジエイタイの皆様のお世話になってもよろしいですか?」
「勿論です。我々が責任を持って、アリシェスタ王女様をお守りします」
アリスの問いかけに、空閑は力強く頷いた。




