第二十四話 変貌する日常
アリスが空閑に自らの素性を伝えたから数日後、ファルシオン王国を出てから既に十四日も経過しようしていた。
この日、アリスは空閑と共に司令本部の三階に来ていた。空閑に案内されながら廊下を歩いていると、彼はある部屋の前まで止まった。
扉をノックすると、中から声を聞こえてきた。
「空閑三尉、入ります」
返答した空閑と一緒に入室すると、部屋の奥に髭を生やした初老の男性が椅子に座っていた。白い長シャツとネクタイを締め、緑色のズボンを履いていた。今まで見たジエイタイ駐屯地の人達の中で、最も貫禄がある人物だと一目で直感した。
初老の男性の隣には、阪井が立ってこちらを見ていた。苦手な人を見たアリスは、入口前で足を止めて少し身体を強張らせる。
空閑からファルシオン王国らがニホン国へ侵攻した際に、ヨコハマと呼ばれる港都市で船に乗っていた阪井の姉家族が犠牲になった事を告げられた。だからこそ、彼があの様な横暴な態度を取った事だと。
阪井の行いについて、空閑が代わりに謝罪をした。アリスは、空閑は悪くないと伝えるも、あの時に部屋を出ていかなければ、怖い目に遭わせなかったと譲らなかった。
話を聞かされたアリスは、フロルが嚙みついた阪井の右手を精霊姫の治癒力で治す事を空閑に話した。最初は頑なに治療を拒んでいた阪井であったが、その翌日には治療を受け入れた。
周りの隊員達が箱の様な物を構えながら、不機嫌そうに顔を歪めている阪井を治した。空閑から四角い物体は、シャシンと同じ様に物事を記録して保存するかめらと呼ばれる道具だと知らされた。
アリスから発せられた光と噛み傷が跡形もなく治った右手に、阪井や隊員達が大層驚いていた。
ただ、治療を終えた阪井は、アリスに頭を下げて無言でその場を後にした。以来、アリスを見掛ける度あからさまに避けていた。
間近で阪井の顔を見た事で、アリスは久々に緊張してしまった。
「アリシェスタ王女様、どうしました?」
名前を呼ばれてハッとしたアリスは、慌てて部屋の奥に進んだ。
「南場陸将補、ファルシオン王国のアリシェスタ・エル・ファルシオン第二王女様をお連れしました」
空閑が初老の男、南場陸将補に敬礼した。その後、アリスに振り返った。
「アリシェスタ王女様、ご紹介します。こちらは南部陸将補。我が陸上自衛隊の最高指揮官です」
「ここまでのご足労、誠にありがとうございます。アリシェスタ殿下」
まだニホン語が理解できないアリスに、空閑が通訳を返して伝えた。
「お初にお目にかかります、ナンバ将軍閣下。お心遣いに感謝を申し上げます」
アリスは、王国式の礼儀作法で南場陸将補にお辞儀をした。
一通りの挨拶を終えると、アリスと南場陸将補は黒色のソファーに腰掛けた。空閑と阪井は、二人の隣でそれぞれ直立体制となる。
「先ずは改めまして。我が駐屯地にようこそおいで下さいました。私を含め、全隊員が殿下を歓迎いたします。そして、この度は空閑三尉と本井陸士長の命を助けていただいた事、深く感謝いたします」
南部陸将補は話し始めると、ソファーの間に設置されているテーブルの上に、光を放つ四角い物体から文字が描かれる。アリスが『カンジ』以外のニホン語が読めるという事で、ぱそこんと呼ばれる道具に南部陸将補の言葉を表示して会話を成り立たせるようにしたと、空閑から事前に説明を受けていた。文字には『カンジ』で書かれているものもあるが、『ヒラガナ』で読み方が付いて不便はなかった。
「い、いえ。わたしの方こそ、クガ様に出会っていなければどうなっていた事か……お礼を申し上げるのは、わたしの方です。本当にありがとうございました」
マルスティア語で話すアリスの言葉を、空閑が南部陸将補へ伝える作業に勤しむ事で一通りの会話体制が整ったのであった。
南部陸将補はまず、ジエイタイとニホン政府がマルスティア大陸の国々を侵略する意図はない事。外交交渉による紛争の締結を結ぶ事を第一優先としている事をアリスに語った。
アリスは自らの素性の他、ファルシオン王国とマルスティア大陸の国や都市等の自分が知りうる範囲の知識を話した。同時に、自身に覚醒した『精霊姫』の力についても彼らに伝えた。
ただ、『精霊姫』に関してはアリスを大いに悩ませた。
『精霊姫』についてはフロルから教わった内容以外に詳しくは知らない。自分しかフロルの声が聞こえない為、事実をありのままに話せば、不信がられるのは分かっていた。
本井陸士長を救った後、どうやって空閑達に『精霊姫』の事を説明したら良いか、アリスは自室のベッド上で悶々と考え込んでいた。
そこでフロルから、「マルスティア大陸で伝承とされている『精霊姫』に目覚めた」という作り話にしてはどうかと助言された。
『精霊姫の伝説』の中でも、精霊姫らしき女性が怪我を負った男性を助ける絵があり、マルスティア語を読める空閑に見せれば説得力も増す筈だと。
まだ噓をついている事に後ろめたさがあるものの、空閑には自分に魔力がない事は話している為、何故他者を治す力を持っているのかを説明するのに困難を極めた。
よって、否応なしにもフロルの案を採用する事になった。
「さてと。では今回、アリシェスタ殿下をお呼びした件について、お話があります」
しばらく話をした後、南部陸将補は真剣な表情になった。
「貴女は父親である国王の命にて、トルマレンと呼ばれる自治都市へ向かっていた。間違いないですか?」
「はい、閣下。その通りです」
アリスが返答すると、南部陸将補は頷いた。
「この世界での常識では分かりませんが、自治都市というのは、いわば一つの国です。そして、殿下は王国とトルマレンの重要人物であり、その身柄を我々が無断で預かっている状況です。これは外交上、危険な行為です」
「……王国とトルマレンに、何らかの軋轢が生じるという事ですか?」
「無論、それも有り得ます。ですが、もしも二国に”黒髪の悪魔”と呼ばれている我々が、殿下を不当に保持している事を知られた場合、事態は困難を極めます。最悪の結果として、トルマレンとの戦闘が始まる可能性もあります」
アリスのこれまでの境遇から、ファルシオン王国が何らかの行動を起こすと確率的に低いが、物事はどう転ぶか分からない。
特にトルマレンがファルシオン王国よりも政治的立場が低い場合、嫁がせた王女を傷つけた等と難癖をつけ、何らかの圧力を掛けてくる可能性もある。トルマレンが王国の要求に応じるもしくは回避する為、傭兵部隊とさせる冒険者協会をこの地に向かわう事になれば、新たな武力衝突が発生してしまう。
ジエイタイとしては、これ以上に敵対関係を増やす事だけは避けなければならない。
「……大変申し上げにくいのですが、我が日本政府が協議をした結果、殿下には一度トルマレンへ赴いていただこうと思っております。我々が森の中で"誘拐されかけた”殿下を保護して、トルマレンにお連した。この理由であれば、我々もトルマレンにも外交上で角が立つ事はないだろうと。そして、願わくばトルマレンを通じて、殿下の祖国であるファルシオン王国と講和交渉の糸口を模索したいと政府は考えております」
重苦しく話す南部陸将補を、アリスは黙って聞いていた。
「……殿下には、更なるご不便をおかけ致します。ですが何卒、我々と王国の平和的解決の為に、どうかお力添えをお願い申し上げます」
南部陸将補は立ち上がると、アリスに深々と頭を下げたのだった。




