第二十三話 フレンドリー・ファイア
空閑は、自身に割り当てられた尉官級の事務室の机で一人報告書の作成をしていた。消灯時間がとっくに過ぎている中、延灯許可が降りた部屋の片隅で、キーボードの音だけが響いている。
ふと、手を止めて壁に掛けられた時計を見る。
時刻は、外界現地時間の午前一時十五分。
外界側と本国側の時差は大きく異なっている。
日時計等の古典的な測定方法で調査した所、二つの世界とは約十二時間の時差がある事が分かった。即ち、本国時間では午後一時十五分となる。故に、部屋には外界時間と本国時間の時刻が示された二種類の時計が設置されている。
また、各隊員達の腕時計には、二つの時刻が搭載されている物を使用している。隊員達の地道な測量と腕時計の機能によって、派遣部隊は外界でも分単位で作戦を行う事ができるのだ。
(もう、こんな時間か……)
空閑は椅子の背もたれに体重を掛け、背伸びをして酷使した腕と肩をほぐした。軽く動かした後、そのまま天井を見上げる。
思い浮かべたのは、昨晩に泣き疲れて部屋で眠ってしまったアリシェスタの事だった。
出会った時、彼女はどこかよそよそしい印象が見られた。最初は自分達の事を得体の知れない集団に恐怖して、怯えていたと考えていた。
話しかけても彼女自身の事について、あまり語る事はなかった。特に家族や住んでいた場所に関しては、あからさまに口を閉ざしていた。
しかし、安里三曹から姉妹の話をしてアリシェスタが異様なまでに怖がったと報告を受けて、空閑は一つ思い当たる事があった。
WAC(陸自での女性自衛官の呼称)達に協力して聞き込みを行った所、空閑にとって最悪な情報がもたらされた。
(まさか、アリシェスタさんがあいつと同じ、家族から虐待を受けていたなんて……)
魔力がないという理由だけで、幼い頃から彼女は辛い思いをしてきた。血を分けた筈の彼女を蔑ろにしてきた家族であるファルシオンの王家に、空閑は吐き気を催した。
あのように家族の中で少し劣っているからといって、人格を否定するような人間は気分が悪くなる一方だ。
幸いにも南場陸将補や佐官階級の各部隊長らは、アリシェスタをこのまま陸自で保護していく事を承認してくれた。少なくとも暫くの間は彼女の身の安全が保障されるだろう。
そんな思いに耽っていると、急に事務室が開かれた。視線を移した先に見えたのは、阪井の姿であった。
彼が入ってきたと同時に、空閑は険しい表情になる。
阪井は無言のまま、空閑の元までやって来た。空閑はノートパソコンの閉じると、椅子ごと振り向いて自分を見下ろす阪井を睨み付けた。
「おい空閑三尉、敬礼はどうした」
「これは失礼しました、阪井二尉。右手に怪我を負われたとの事でしたので、ご負担になるかと思いまして」
医官からの報告によると、阪井は五針も縫う怪我だったらしい。
自衛隊も階級社会である以上、空閑も位が一つ上である阪井には敬う立場にいる。無論、人目のある所ではきちんと彼を上官として接していた。
それなのに、周りに誰も居ない中で阪井が形式的な会話になるという事は、彼が相当腹の虫が悪い時だ。空閑もそれを理解しており、挑発するように言い放った。
「……おめぇ、一体どういうつもりだ?」
阪井はいつも口調に戻ったが、明らかに苛立っていた。
「それはこっちのセリフだ。アリシェスタさ——王女の素性については、時期を見て俺が言う手筈だったのに、何で勝手にあれを彼女に見せた? おかげで部下の隊員が一人死に掛けたんだぞ」
空閑も低い声で返答した。
「あれは、姫さんとおめぇの部下の自爆だろ。俺は関係ねぇ」
「……元凶風情が一端に口を叩くなよ」
阪井は一瞥すると、近くにあった椅子に横暴に座った。
「おめぇ、状況を理解しているのか? 敵対勢力の王女様だぞ? これが国家戦略的にどれほどの価値があるのかおめぇも分かるだろ」
阪井は両腕と膝を組み、空閑と同じように背もたれに体重を預けて向き合った。
「この外界は宝の山だ。石油やレアアースは確実に存在すると推測される。だが、それを狙っているのは日本だけじゃない。俺らの世界の各国も虎視眈々とその機会を狙っている。そんな中、外界で地位のある人間と接触できたんだぞ。是が非でもこちら側に引き入れるべきだ」
「だから、強要や脅迫しても良いと? いつから自衛隊はヤクザ組織に成り下がった?」
「公安系の公務員なんざ、殆どそんなもんだろ。ネットを見てみろ。警察とヤーさんが罵り合う動画なんてごまんとあるぞ」
空閑はため息をつくと、阪井を見据えた。
「日本政府や本省から俺達に与えられた指示は、日本本国への防衛維持。及び紛争解決の為の調査と情報収集だ。そして、可能な限り武力衝突を抑え、現地人との接触して友好関係の構築せよとの筈だ」
現に政府は、現地人であるアリシェスタと対話できる事と、空閑が外界の文字であるマルスティア語が読めると報告を受けた際、空閑率いる第一偵察小隊に外界の言語習得と出来るだけ多くの広域での偵察と現地人との接触を命じて来た。
横浜湾や外界で接触した武装勢力らは、言葉が通じない事でいきなり攻撃してきた。また、戦闘が海の上であった為、鎧等の装備の影響か全員が海に沈んでしまった。故に日本側は生きた外界の人間とは接触出来ずにいた。
その為、政府は対話ができると知った事で、講和による紛争解決も可能だと判断した。日本側の国々と諍いが起きている中、下手に外界側の戦域を拡大して、本国の防衛を疎かにする必要はないからだ。
「だからこそ、アリシェスタ王女には日本や自衛隊が危険なものでないと、理解させなければいけないんだ。それをお前のせいで、危うくダメにする所だったんだぞ」
空閑の声に怒気がにじり出ていた。しかし、阪井は膝を直して前かがみになり、懐疑的な顔を近づけてきた。
「……おめぇ、何でそこまでしてあの姫さんの肩入れする?」
「別に普通の事だろ。人道的配慮した適切な措置をして——」
「おめぇ、まさかあの姫さんを”正幸”と重ねてねーだろうな?」
阪井の言葉に、空閑は目を見開いた。空閑の表情で全てを悟った阪井は舌打ちをする。
「隼人。俺らが本来守るのは日本国と現政府であり、ひいては全日本国民の生命と権利だ。ファルシオン王国もこの大陸に存在する他の国も国連加盟国じゃない。あの姫さんや外界の連中に人道的配慮する義理はないんだよ。そもそも、おめぇが姫さんと同様に優しくしてやれば、正幸だって樹海でし——」
次の瞬間、空閑は阪井の胸倉を掴み上げ、近くの壁に彼を押し付けた。
「……いい加減にしろよ、純」
「おいおい、これでも俺の方が階級が上だぞ。懲戒処分を受けたいのか?」
「とぼけんなよ。俺が出世に興味ない事は知っているだろが」
二人の間に険悪した空気が漂い出す。暫くして、空閑は阪井を投げるように手を離した。
阪井は服装を直して、空閑とガンを飛ばした。
「忘れんなよ、隼人。あの姫さんが俺らに対して、不利な事をしようとしたら、おめぇに責任を取ってもらうからな」
阪井は吐き捨てるように言い放つと、部屋から出ていこうとした。
「待てよ、純」
阪井が扉を開ける寸前、空閑が呼び止めた。
「……アリシェスタ王女からお前からされた事を聞いた。それと、彼女に『横浜事変』で亡くなったお前の姉と姪っ子さんについて俺から話した」
空閑の言葉に、阪井は振り向いた。その表情は驚きと困惑に満ちていた。
「……アリシェスタ王女から伝言だ。“よろしかったら、サカイ様の怪我した右手を治させて下さい”だとよ。受けるか受けないかは、お前次第だ」
阪井は歯の音が鳴る程の怒りに満ちた表情をした後、乱暴に扉を開けて部屋を出ていった。
事務所に一人残った空閑は、椅子に座り直して頭を抱えた。
「……解ってんだよ……俺だって……」
騒動が過ぎ去った片隅で、空閑はボソッと呟いた。




