第二十話 自らの意思で
「……でき、た」
本井陸士長を包んでいた光が消え、とめどなく流れた出血は止まっていた。彼の顔には血の通ったように生気を取り戻していた。その姿を見て、アリスは精霊姫の力を上手く使えた事に安堵した。
「な、何だ? 一体何が起こって……」
突然の出来事に狼狽える空閑。
そこへ、けたたましい音共に赤色の光と同色の十字が描かれた緑の荷馬車がやって来た。アリスがジエイタイの駐屯地へ来た時に、空閑を乗せていったものと同じ荷馬車だ。
緑の荷馬車から隊員達が降りてきて、アリス達の元に駆けつける。彼らは本井陸士長に近づくと、身体を確認し始めた。しかし、段々と困惑した顔になっていき、空閑に捲し立てるように尋ね出した。
「いや、俺にも何が何だか……、いきなりアリシェスタさんから光が発生したと思ったら、いつの間にか本井が……」
空閑の言葉に、隊員達がアリスに目を向ける。懐疑的な視線にアリスはたじろいでしまう。
「と、とにかく、本井はもう大丈夫なんだな?」
空閑の問いかけに、隊員の一人が頷いた。
「そうか……、念の為、このまま本井をアンビに乗せて医療棟まで運んでくれ」
空閑の指示を受けた隊員達が、本井陸士長を運んで赤十字の荷馬車へ乗せていく。隊員達も乗り込むと、再び音を鳴らし出して走り去る。アリスと空閑は、荷馬車が見えなくなるまでその姿を見送った。
「……アリシェスタさん、先程の光は一体何だったんですか?」
空閑が振り返って、アリスに尋ねた。
「……それは、その……」
アリスは言葉を濁した。
空閑には自分に魔力がない事を伝えていた。それなのに、精霊姫という未知の力が使える事を彼に話せなかった。とはいえ、自分自身にあんな能力を持っていたこと自体、今まで知る由もなかった事だ。
彼にどう話そうか悩んでいると、横から怒号に似た声が聞こえてきた。
「ひっ……」
自分達に向かってくる姿を見て、アリスは小さな悲鳴を上げた。
「あれは……純?」
空閑が見覚えのある隊員に首を傾げる。こちらへとやって来る阪井は、両隣に隊員を引き連れていた。
「阪井二尉、何事ですか? MP(自衛隊内の警備や犯罪を取り締まる警務隊)なんか引き連れて?」
聞かれた阪井は、アリスを指先ながら空閑に言葉を投げかけた。
「……アリシェスタさんの身柄を拘束する?」
空閑から発せられた言葉に、アリスは身体を強張らせた。阪井に右腕を掴まれた痛みと恐怖の記憶が頭によぎる。
「急にそう言われましても……警務隊隊長の比賀三佐からの許可は得ているからって……」
空閑が言葉を濁しながら阪井を落ち着かせようとした。だが、阪井はしきりに強い口調で空閑に迫り、アリスを名指しする。阪井は埒が明かないと見るや両隣にいる二人の隊員達に声をかけた。隊員が頷くと、アリスに近づいていく。
「お、おい、いくら何でも強引すぎるぞ!」
空閑が止めに入ろうとするも、二人の隊員達はアリスに迫る。
隊員の一人がアリスを掴もうと手を伸ばして来る。アリスは恐怖に駆られて後退っていく。
すると、アリスと隊員の間に小さな影が入り込んできた。
「ヴヴヴ……」
フロルだった。彼は自分にも見せたことがない形相と唸り声を出して、アリスを庇うように目の前の隊員を威嚇する。
「フロルっ……!」
アリスは小さな友人の姿に、弱っていた心を勇気づけられた。反対に思わぬ乱入者を前に、アリスを捕えようとした隊員がたじろぐ。一方で、阪井はフロルに嚙みつかれたを思い出したのか、包帯が巻かれた右手を抑えだした。
フロルの様子からただならぬ雰囲気を感じ取った空閑は、再度阪井に詳しく事情を聴こうとした時、誰か彼の名前を呼ぶ声が聞こえてきた。
遠くからこちらに駆けて来たのは安里三曹だった。彼女は息を切らせながら空閑の元にやって来ると、一枚の紙を彼に見せた。
「……これは!?」
安里三曹から紙を受け取った空閑が驚きの声を上げた。彼の声にアリスが振り向くと、その手に持っている物に見覚えがあった。自分の父親であるファルシオン国王が書いた祝辞の羊皮紙だ。
「第三会議室にこれが!? これは『いずも』の総司令部へ持って行く手はずだった筈だ。何でこれが会議室に!?」
空閑が咄嗟に阪井を見た。阪井は、急に機嫌を悪くした様に眉をひそめ出した。疑問に思った空閑が阪井に問いただそうとした時、何かに気付いた表情になった。
おもむろに視線を横に移して、アリスの顔を見据えた。
「……アリシェスタさん、まさか、これ、見たんですか?」
空閑の問いかけに、アリスは何も答えなかった。ただ、彼の視線から逃れたい一心で下へ俯く事しかできなかった。
だが、その姿から空閑は全てを悟った。
「……純、お前っ……!」
空閑が怒りに満ちた口調になり、阪井を睨み付ける。今まで見たこともない彼の恐ろしい形相に、アリスは身体がすくんでしまった。
「すーっ、はーっ……」
しばらくの間、二人の睨み合いが続いていたが、空閑が大きく深呼吸するとアリスに振り返った。
「……アリシェスタさん、阪井二尉に着いて行きたいですか?」
空閑が唐突にアリスに尋ねてきた。
「えっ?」
「彼に着いて行きたいか、行きたくないか、どちらかでお答えください」
空閑の声はどことなく冷たい印象を受けた。しかし、自分を見つめる茶色の瞳は先程の怒りに満ちたものではなく、穏やかな目をしていた。
「……わたしは……」
悩むアリスの脳裏に、空閑の言葉が反復した。
『アリシェスタさんが何をしたくて、何をしたくないかを自由に選んで良いんですから』
アリスは不安になりそうな心を奮い立たせてようと、両手を胸元に添えた。そして、一呼吸すると空閑の顔を向けた。
「……わたしは、行きたく、ないです……」
アリスの呟くような小さな要望に、空閑は力強く頷いた。
空閑は阪井に向き直おると、毅然とした態度に変貌した。
「阪井二尉、これは任意同行ですよね? ならば、拒否する権利も当然あるはずです。先程、アリシェスタ嬢より同行の拒否がありました。従って、そちらへの引き渡しはしません。お引き取り下さい」
空閑の言葉に阪井は喚き立てるが、彼は動じることなく冷静に対応した。
「現在、アリシェスタ嬢は第一偵察小隊の保護管理下にあり、彼女の処遇や裁量については小隊長である自分に全権を委任されています。無論、この委任については駐屯地司令の南場陸将補だけでなく、『いずも』に乗艦している外界派遣部隊総司令官の東雲海将からも指令を受けています。知らなかったとは言わせませんよ?」
阪井の眉間のしわが深くなっていく姿を確認した後、空閑はアリスの肩にそっと手をのせた。
「アリシェスタさん、部屋に戻りましょうか」
アリスは肩に伝わる彼の手の温もりを感じながら、空閑や安里三曹と共にその場から歩き出した。




