第十九話 アリスの力
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……!」
アリスは駐屯地内を駆けていた。息が乱れ、胸が痛くなるぐらいに鼓動が高鳴っている。足元がもつれそうな程に重くなるのを感じながらも決して速度を緩める事はなかった。
「アリシェスタさん! 待って下さい!」
後ろから聞こえてくる空閑の声から逃げる為に、アリスは力の限り走り出す。
(いや……来ないで!)
アリスは心の中で叫んだ。その顔は恐怖と絶望にまみれていた。
『……アリシェスタさん、実は少しばかりお聞きたいことが——』
彼の言葉が、アリスの頭の中で反復する。
『——貴女、ファルシオン王国の第二王女だったんですね』
(いや……いや!)
空閑の冷たい声をかき消すように、アリスは顔を振った。
知られてしまった。いずれは言わなくてはいけないと分かっていたのに、彼に伝える勇気がなかった。
その事が災いして、最悪の形で露見してしまった。
(いや……もう、わたし……!)
思考がうまく回らない。感情がぐちゃぐちゃになっていく。ただ闇雲に体力が続く限り足を動かしていた。
「アリシェスタさん、戻って下さい! そっちは車両置き場が!」
そんな状況に陥るアリスに、空閑の声が入ってくるのは不可能だった。
緑色の天幕の合間をくぐり抜けて広い道に出た時。
「えっ……?」
アリスの眼前に、鉄の荷馬車が迫って来ていた。鉄の荷馬車が奇怪な騒音を立てながら、土煙を上げて迫りくる。ガラスの向こう側に、斑模様の男の驚愕する顔が見えた。
——アリス!!
フロルの声が耳に入るも、アリスは咄嗟の事で動けずにいた。
鉄の荷馬車がアリスにたどり着く寸前、誰かの叫び声と共に突如として腕を引っ張られた。バランスを崩して地面に倒れ込む刹那、自分が立っていた場所と入れ替わるように現れた斑模様の若い隊員の姿を捉えた。
その瞬間、鈍い音と共に隊員は鉄の荷馬車に衝突した。
「あ……ああ……」
思いがけない出来事に、アリスは倒れた状態でその場に凍り付いたように動かなくなった。
「アリシェスタさん!」
そこへ、追いついてきた空閑がアリスに近寄って来た。
「アリシェスタさん! ご無事ですか!? お怪我はありませんか!?」
空閑はアリスの前に膝をつき、怪我の有無を確認する。だが、倒れた際に土が付いたくらいで傷等は見られなかった。
「ク……ガ、さ……」
アリスは空閑に視線を移す。しかし、唐突に起こった事故に身体を震わせて言葉が上手く紡ぎだせなかった。空閑はアリスに怪我がない事を確認すると、すぐさま次の状況を把握した。
「ここに居て下さい!」
空閑はアリスに言い残すと、鉄の荷馬車に駆けていった。近くに倒れている若い隊員にしゃがみ込む。
「本井! しっかりしろ! 本井!!」
空閑が大声で自分の部下である隊員の名前を呼びかけるも、本井陸士長はぐったりとしたまま動かなかった。
鉄の荷馬車を操舵していた隊員が、空閑の元に駆け込んで来た。
「本部に至急連絡! 車両置き場にて三トン半の接触事故発生! 隊員が一名負傷! アンビ(救急車)の出動要請! 後、救急キットを持って来い!!」
空閑が降りてきた隊員に叫ぶと、隊員は再び鉄の荷馬車に戻った。扉を開けて、黒い紐で繋がっている物に向けて声を掛けていた。
「おい! 早く救急キットを! 出血がヤバい!!」
しかし、声を掛けられた隊員が焦った口調で空閑に伝えた。
「三トン半に積載してない!? くそっ! 他の所から持って来い、急げ!!」
空閑の怒号に似た声で命じると、隊員は弾かれたように走り出して行った。
「おい、本井! しっかりしろ! 本井!!」
空閑は本井陸士長に向けて叫びながら、自身の上着を脱いで本井陸士長の頭に敷いた。
アリスは凍り付いた身体をなんとかして立ち上がると、空閑達の元に近づいた。
「っ!?」
アリスは本能的に両手で口元を覆って息を呑んだ。本井陸士長の頭から血が流れており、下に敷いていた空閑の上着と抑えてつけている彼の右手が赤く染まっていた。
(わたしの……せいで)
本井陸士長は、空閑の所属する偵察小隊の隊員だった為に顔馴染みであった。彼は、自分の事やマルスティア大陸について根掘り葉掘り聞いてきていたので萎縮してしまったのを覚えている。その反面、ニホン国の事も多く教えてもらった。
そんな彼が今、血だらけになって死にかけている。鉄の荷馬車に轢かれそうになった自分を助けようと、身を挺して守ってくれたのだ。
「本井! 本井っ!! 畜生、アンビも救急キットもまだ来ねーのかよ!」
空閑の形相に焦りが滲んできている。それと同時に本井陸士長の顔に生気を失ったように青白くなっていく。流れて出る血は時間と共に増えていき、地面にまで染み込んでいた。
(わたしは……どうしたら……)
アリスは、自分にできるはないかと必死に考えを巡らせた。
その時、あの記憶が甦ってきた。
空閑と最初に出会った未開拓地の森の中で、傷ついた彼を不思議な力——精霊姫の力である“治癒力”で治した事を思い出したのだ。
「フロル……」
アリスは一緒に走ってついてきたフロルを見下ろした。
「どうすれば、あの力を使うことができるの?」
——助けるのか、あの男を?
フロルの問いかけに、アリスは頷いた。
——……其方の精霊姫の力を使えば確かに助けられる。だが、同時にこの場にいる者達に其方の力が露見する。ここの者達が其方を利用しようとする可能性もあるのだぞ?
そのことはアリスも理解していた。得体の知れない力があると分かったら、ジエイタイ達が自分を見てくる印象が変わってしまうだろう。最悪、拘束されてしまう事だってあるのだ。
(それでも……わたしは……)
さっきは怖い目にあったが、少なくとも空閑達は自分に優しくしてくれた。この世界の人間に彼らの国が攻撃を受けた筈なのに、親身に話しかけてくれたり、美味しい食事をさせてくれた。
それなのに、自分はまだ彼らに役に立てるような恩を返していない。だからこそ、目の前の惨劇を見過ごす事はできなかった。
「お願い、フロル。わたしに……精霊姫の力……治癒力の使い方を教えて」
アリスの懇願に、フロルはため息をついた。
——精霊姫の力は、其方の想いを具現化する力。其方が願えば、治癒力は発動される。
「想いや、願い……?」
——”助けたい”、”救いたい”。そういった強い想いや感情こそが、力を発現するのだ。
あまりにも単純なやり方に、アリスは本当に精霊姫の力を使えるのは疑問に感じた。
そんな中、何か唸るようなけたたましい音が遠くから聞こえてきた。
「やっとアンビが来たか。本井、もうしばらくの辛抱だ! 絶対に助けるからな!」
空閑は必死に本井陸士長の命を繋ぎとめようとしていた。その姿を見て、アリスの決意は固まった。
アリスは空閑と対になる形で本井陸士長の側に来て、その場にしゃがみ込んだ。
「アリシェスタさん……?」
突然、現れたアリスに空閑は困惑した。
(お願い……もう一度だけ……)
アリスは両手を本井にかざした。そして、心の中で強く願った。"彼を助けたい"と。
その瞬間、アリスの両手から淡い光が発生した。
「な、何だ!?」
空閑が驚きの声を上げる。
アリスの両手からあふれ出した光が、本井陸士長の身体を包んでいく。生気を失いかけていた彼の表情が、見る見るうちに血が通った肌色へと変わっていく。
光が消え去ると、本井陸士長の傷は瞬く間に完治していた。




