第十八話 暴露
※誤字報告された方ありがとうございます。
「えっ……?」
「その絵本に書かれている文字……マルスティア語ですよね」
呆然とするアリスに、空閑は更に聞いてきた。
彼が指摘している通り、この絵本はマルスティア語で書かれた絵本だ。だが、安里三曹は読めないから自分に尋ねてきた。それなのに空閑は、絵本のタイトルを知っていた。
「俺にも読めたんですよ。その絵本に書いてある文字が」
空閑の淡々とした声での説明に、アリスは唖然とした。
「……アリシェスタさん、実は少しばかりお聞きたいことが——」
空閑が言いかけた時、部屋の扉のノック音が響いた。空閑が返事をすると、隊員の一人が入ってきた。隊員がその場に立って、空閑に向かって何かを伝えてきた。
「分かった、すぐに行く。すみません、アリシェスタさん。ちょっと出てきます」
空閑がアリスに言い残すと、安里三曹に指示を伝えてから隊員と共に部屋を出ていった。安里三曹が『だいじょうぶですよ』と紙切れを見せ、笑みを浮かべてアリスを安心させた。
そんな中、阪井が安里三曹に向かって何かを話し出した。彼女は困惑した表情をしながら、アリスと阪井を交互に見据える。
やがて安里三曹は、紙切れに文字をアリスに見せた。
『のみものをたのまれました。あたしもそとにでてきますね』
安里三曹はアリスに両手を合わせて頭を下げ、急ぎ足で部屋を去っていった。部屋にはアリスの左肩に乗っているフロルを除けば、阪井の二人っきりになっていた。
(……どうしよう……気まずくなってきた……)
見知った空閑や安里三曹がいなくなり、アリスは急に心細くなる。阪井とは、空閑と一緒に駐屯地内を周っていた時に少しばかり筆談するだけの関係だ。通常の会話ができる空閑や積極的に話しかけてくれる彼の偵察小隊の隊員達と違い、何かしら陰湿な笑みで見つめてくる阪井をアリスはどこか距離を取って接していた。
そんなアリスの不安をよそに、阪井が近づいてきた。
「ど、どうされましたか?」
アリスが尋ねるも、言葉が通じない為か阪井はただ微笑していた。
オロオロとするアリスを観察していた阪井は、胸ポケットから手帳を取り出して何かを書き始めた。書き終えた箇所を破り、アリスに見せた。
『あらためまして。じぶんはサカイジュンともうします』
阪井の名前は空閑から紹介された時に聴いていたが、本人と面と向かって紹介したのは初めてだった。
「えっと……ありがとうございます。サカイ様」
アリスは、おずおずと頭を下げて答えた。阪井はすかさず新たに文字を書き出して、再びアリスに見せつけた。
『いごおみしりおきを、アリシェスタさん。いえ、アリシェスタ・エル・ファルシオンさま』
その文字を見た瞬間、アリスの血の気が引いた。思わず顔を上げると、不気味な笑みを浮かべる阪井が目の前にいた。
「ど……どうして……」
わたしの事を知っているの。それに続く言葉が出てこなかった。震えが全身に駆け巡り、声も出せなくなっていた。
恐怖で立ち尽くすアリスに、阪井は腰に付けているザツノウ(雑嚢)と呼ばれるものから何かを取り出して見せつけた。
『あのばしゃのなかに、こちらをみつけました』
紙切れと共に差し出してきたのは、一枚の羊皮紙に透明な板で覆われたものだった。よく見ると、透明な板と思い込んでいたものは柔らかくしなやかな二つの膜のようにできていて、その中に羊皮紙が挟み込まれていた。
『此度、トルマレン首長及びコルベ家との関係を祝して。
我が王女、アリシェスタ・エル・ファルシオン第二王女と貴殿らとの親密な関係を心から歓迎する。
関係を機に、我が王国と貴殿らトルマレンがマルスティア大陸を害をもたらす黒髪の悪魔達に正義の鉄槌が下されん事を切に願う。
王国とトルマレンに、光の女神の栄光があらん事を。ファルシオン王国第十九代国王』
そこには、コルベ家への祝辞が綴られていた。一瞬、書かれていた内容を疑いかけるも、署名の欄には紛れもなく自分の父親である国王の名前が書き示されていた。
しかし、まだ疑問が残っている。
この羊皮紙はマルスティア語で書かれている事だ。この文字を理解していない阪井に、自分の本名が彼に知られる事はない筈だった。
そんな心中を察したのか、阪井はアリスが手に持っている物を見つめた。アリスも阪井につられて視線を移した。
”精霊姫の伝説”の絵本だ。
『……”精霊姫の伝説”、ですよね』
『俺にも読めたんですよ。その絵本に書いてある文字が』
アリスの脳裏に、空閑の言葉が思い出される。
「まさか……クガ様が……」
空閑の名を出した瞬間、阪井の口角が上がった。
(なら……クガ様も……わたしの事を……)
彼にも自分の素性を知られてしまった。アリスは、その事実を受け入れずにいた。
本能的に阪井から距離を取ろうとすると、阪井がアリスの左腕を掴んできた。
「い、いや……離して……!」
アリスは掴んできた手を振り払おうとするが、腕に力が入らない。腕の一点を右手の親指で強く押され、痛みと共に感覚が麻痺していた。
阪井が逃がさないと言わんばかりに、更に指先に力を込めてくる。
(痛い……いや、止めて!)
アリスは痛みに耐えられず目を瞑った時。
——アリス!
フロルの声と共に、左腕が痛みと掴む感覚から解放された。
目を開けると、フロルが阪井の右手に噛みついていた。彼は叫び声を上げて、右手に牙を突き立てるフロルを跳ね除けようとのたうち回る。
「フロル……!」
——逃げるぞ、アリス!
フロルが阪井の右手から離れると、アリスに逃走を促がす。
アリスはフロルと共に、急いで部屋の外へと走り出した。
部屋を出た後、アリスは司令本部の廊下を駆けた。アリスが自室として使っている部屋は、建物の三階にある。鍵付きの部屋である為、自室に鍵を掛けて閉じこもっていようと考えていた。
もうすぐ玄関口に上へ昇る階段が見えてくる建物の角を曲がった瞬間、アリスは何かぶつかった。
「きゃっ!」
「うわっ!」
ぶつかった衝撃で、アリスはその場で尻餅をついた。持っていた絵本やクラムの実がアリスのからこぼれて床に落ちる。
「えっ? アリシェスタさん?」
聞き覚えのある声に身体をビクッとさせ、ゆっくりと顔を上げる。そこには困惑した顔の空閑と同様の表情をして飲み物を抱えた安里三曹が自分を見下ろしていた。
「大丈夫ですか? 一体どうしたんです、そんなに慌てて?」
空閑が心配そうにアリスへ近づいて来る。
「あ……ああ……」
空閑を見たアリスは言葉にならない声を出して、彼から後退った。出会いたくなかった人が目の前に現れ、全身から溢れ出る恐怖がアリスを支配していく。
ただならぬ雰囲気を感じ取った空閑が怪訝な顔となる。アリスは、その表情を彼が怒った顔と勘違いしてしまった。
「あの、アリシェスタさん?」
「い……」
「一体何があった——」
「いやーーーーーーー!!」
アリスは空閑から逃れたい一心で、床にある絵本やクラムの実に目もくれずに持てる限りの渾身の力を振り絞って立ち上がり、玄関から建物の外へと駆けていった。




