第十七話 返ってきた宝物
ジエイタイの駐屯地へ来てから三日目の昼過ぎ。
アリスは部屋に備えつけられた椅子に腰掛けて、ニホン語で書かれた絵本を読んでいた。空閑が昨日にニホン国から取り寄せた絵本だった。幼い子向けというらしく、文字は全てにヒラガナとカタカナのみで書かれていた。
アリスは渡された絵本を一冊手に取って読んだ。ニホン国の民謡らしき話だったが、とても面白い内容であった。今日の午前中も絵本を読むのに夢中なる程だった。
だが、食堂から部屋に戻って読書を再開した数十分後、アリスの心は浮ついていた。ぼんやりとした表情のまま、半分まで読んだページで手を止めている。
——アリス、どうしたのだ?
アリスは声を掛けられて我に返えった。振り向くと、フロルがこちらを見上げていた。
「……フロル」
——さっきから、ずっとその調子だ。何かあったのか?
「……うん、少し……ね」
アリスは、窓の外の景色を見た。
「わたし……これからどうしたらいいのか、分からなくなってきて」
この数日間で、アリスの生活環境が大幅に変化した。毎日三食のも美味しい食事をして、野外銭湯で温かい湯に浸かり、そして眠る。空閑が要望を聞かせ、デンキで光るランプを部屋に置いてくれた。許可を取っている為、夜間でもつけっ放しにしても良いとの事だった。
『困った時は、些細な事でも言って下さい。何時でも俺は、アリシェスタさんの力になりますから』
ケミカルライトとは異なる淡いオレンジ色の光が部屋に灯された時、思わず涙ぐんでしまったアリスに空閑は優しく諭してくれた。
王城では味わった事のない待遇に、アリスの心は安らいでいく。
しかし、同時に一種の不安も抱いていた。自分は、このままここで過ごして良いのか。
——あの男も言っていたではないか。アリスの好きにしても良いと。
「それは分かっているの。でも……」
アリスは一瞬フロルに視線を移すも、直ぐに目を伏せた。
魔力が無い事で『無能』や『出来損ない』と言われ続けてきたアリスは、王城で雑用の仕事をさせられていた。
『魔力を持たないなら、他の事で役に立って見せろ』と言わんばかりに労働を押し付けられ、それが当たり前の事だと思い込んでいた。
だが、ここでは働かされる事がない。ただご飯を食べては寝るといった生活をするようになったアリスにとって、駐屯地は居心地の良い場所になっていた。空閑ら隊員達も優しく親切に接してくれる。だからこそ、自分は彼らの世話になりっぱなしのままで良いのかと悩んでしまうのだ。
そんな事を考えていると、部屋の扉をノックする音が三回聞こえてきた。
「アリシェスタさん、今よろしいでしょうか?」
空閑の声が耳に届いてきた。アリスは絵本を閉じると、部屋の扉を開けた。そこには空閑と安里三曹が立っていた。
「突然すいません。今、お時間大丈夫ですか?」
「はい。良いですけど、何かあったのですか?」
アリスの言葉に、空閑は歯切れの悪い表情を浮かべた。
「……実は、アリシェスタさんに見てもらいたい物があります」
◇
アリスは、空閑に連れられて司令本部の廊下を歩いていた。しばらくして、無機質な扉の前までやって来た。扉を開けた空閑に続いて中へ入ると、いくつもの長テーブルが並べられていていた。テーブルの側には、阪井の姿もあった。
アリスは、テーブルの上に置かれている物を視界に捉えると、驚愕の表情になった。
「これって……⁉」
そこには、アリスがトルマレンへ行く時に馬車に持ち込んでいた服とクラムの実が入った小袋、そして大切にしていた絵本があった。
「これらに見覚えが?」
「……わたしの……ものです」
アリスは近づいて服を一着手に取った。所々汚れていたが、まだ着れる状態ではある。
「……クガ様、これを何処で?」
アリスは思わず、空閑に尋ねた。
「午前中に、森を偵察していた俺の分隊が見つけました。この場所で」
空閑は、アリスに手のひらサイズの紙のような物を手渡した。まるでそこにあるように鮮明に描かれた絵だった。
「これは写真といって、風景や物をありのままに撮影……絵のように記録したものです」
アリスには空閑の説明がよく分かっていなかったが、それ以上にシャシンと呼ばれるものに描かれていた物体に狼狽した。
(わたしが、乗っていた……馬車)
アリスがトルマレンへ行く際に乗車していた貴賓用の馬車が、見るも無残に破壊されて横たわっていた姿があった。窓は全て破損しており、片側の車輪が無くなっていた。
「その馬車から回収できたのは、これが全てです。他にもカバンらしき物がありましたが、中身は入っていませんでした」
おそらくは、輿入れ用の指輪等の宝飾品が入っていたのだろう。だが、エリシアに命じられて自分を森の中に置き去りにした騎士達が、報酬目的で持っていったのかもしれない。
「アリシェスタさん、これは貴女の物で間違いで無いですね?」
「はい……」
「一体何があったのですか?」
空閑の問いかけに、アリスは俯いて黙り込んでしまった。
(言わなければ……いけないのに……)
アリスは自らが魔力を持たない事を伝えた様に、空閑にあの日の事を伝えたかった。
しかし、その為には自らの身の上についても話さなければならない。
自分がニホン国と争っているファルシオン王国の王女である事。ニホン国を倒す為の援軍を得るのに、トルマレンへ政略結婚に向かっていた事。そして、姉の策略で未開拓地に捨てられた事。
全てを話した結果、空閑の心情が変わってしまう事にアリスは恐れていた。この平穏な日々が壊されてしまうのではないかと。
アリスがそっと顔を上げると、空閑が自分を見下ろす目が重なって思わず視線を逸らした。
(わたしは……どうしたら……)
沈黙が流れる中で空閑が深いため息をつくと、アリスから距離を取った。その息づかいに、アリスはビクッと身体を強張らせる。その瞬間、下を向くアリスに無骨な手と添えられた物が目の前に現れた。
「あっ……」
それは、アリスが大切にしていた絵本と小袋であった。
「とりあえず、こちらはお返しします。衣服類は、こっちで綺麗にして後ほど持っていきますので」
再び顔を上げると、にっこりと微笑みながら差し出す空閑がいた。
アリスは、ゆっくりと両手で絵本と小袋を受け取った。空腹の時にフロルとよく食べていたクロムの実。表紙がボロボロになるまで読み続けた思い出の絵本。それらが今、アリスの前に返ってきたのだ。
「……ありがとうございます、クガ様」
アリスは瞳を潤ませて、空閑に感謝を述べた。空閑も優しい笑みのまま頷いて答えた。
すると、アリスの横から自分の名前を呼ぶ声が聞こえた。振り向くと、安里三曹であった。彼女は一枚の紙切れを見せてきた。
『そのえほん、なんというたいとるなんですか?』
どうやら、この絵本のタイトルが知りたいようだった。
「えっと、この絵本は、その……」
「……”精霊姫の伝説”、ですよね」
アリスがどうやって安里三曹に教えようと悩んでいると、空閑が遮るように言葉を放った。




