第十一話 黒髪の悪魔
入浴を終えたアリスは、安里三曹に連れられて駐屯地内にある食堂に来ていた。今まで着ていたドレスは汚れていた為、今はWACの一人が私用で持ち込んでいたわんぴーすと呼ばれる衣服を借りて着用していた。
アリスが食事している長いテーブルには、安里三曹を含めた空閑の部下である隊員達がひしめき合っていた。
(美味しい……)
アリスは、はんばーがーと呼ばれる肉を挟んだパンを食べていた。手で食べると聞いて困惑したが、隊員の一人が手本を見せて食べ方を教えてくれた。
アリスが食事している左側には、フロルがテーブルの上で細かく切られた肉を頬張っていた。王城にいた時も自分が食べていた料理をフロルに与えていたが、ここまで無心に食べる姿を見たのは初めてだった。
(フロルも嬉しそう……)
フロルの姿に、アリスは微笑んだ。
すると、右側から手が伸びてきた。はんばーがーを盛ってあった皿の近くに紙切れが置かれた。
それは右側に座る安里三曹から送られて来た物であった。
『おいしいですか?』
紙切れには、マルスティア語ではない文字が書かれていた。だが、アリスにはそれが読めた。
アリスが頷いて答えると、安里三曹が手に持っている紙束に何かを書き始めた。書き終えた後に破り取って、先程と同じようにアリスに見せた。
『よかった。おかわりもありますから、えんりょなくいってください』
アリスは、皿の横に置いていた一枚の紙を取り出した。そこにはヒラガナというニホンゴの文字の羅列が書き記してあった。
アリスは安里三曹に見せながら、指で文字を一つずつ滑らしていく。
『ありがとう』
安里三曹が微笑みながら頷いた事を見て、アリスは自分の言葉がちゃんと伝わったのだと分かった。
◇
アリスが食堂を入る前、安里三曹に連れられて医療棟にやって来ていた。空閑からすまーとふぉんで事前に、他に怪我等が無いか詳しく検査すると説明を受けていた。
安里三曹が白い服を着た男女と二人と会話をしている際、ソファーに座って待っていたアリスは、ふと緑色の板に張られていた紙を見つけた。
気になったアリスは、板の前までやって来た。見たことのない文字だったが、アリスにはその文字がなんとなく読めた。
「……オ……ラセ……ニテ……ガ……サレテイマス」
縦線や横線で書かれた様な文字は読む事は出来なかったが、それ以外の文字をアリスは口に出して読み始めた。
すると、自分の名前を呼ぶ声が聞こえたアリスが振り向くと、安里三曹が血相を変えてこっちに向かって来た。
安里三曹は何かを話しているが、アリスには内容が分からず、戸惑ってしまった。
すると、安里三曹が胸元のポケットから黒く小さな本を取り出し、筆の様な物で何かを書き始めた。
おもむろに一枚破ると、アリスに紙切れを見せた。
「ニホンゴガヨメルノデスカ……?」
書かれた文字を口に出したアリスに、安里三曹が驚愕の表情になった。
「それで、何か分かったのか?」
アリスは今、空閑が休んでいる部屋に来ていた。そこには安里三曹以外に、サカイという男も一緒にいた。アリスはパイプ椅子に座り、彼らの物々しい会話をする中で固唾を呑んで聞いていた。
「……つまり、アリシェスタさんは漢字以外の日本語は読む事が出来る。そういう事だな?」
ベッドに座っていた空閑に、安里三曹が頷いた。
アリスの日本語の読解力を安里三曹が共に調べた結果、『ヒラガナ』や『カタカナ』という日本語が読め、『カンジ』と呼ばれる角張った文字が読めない事が分かった。
「まさか、アリシェスタさんが日本語を理解できるとはな……」
「……申し訳ありません」
空閑の視線に、アリスはすぐさま謝罪した。
「ああ、すいません。別に責めている訳ではありませんので」
空閑から逆に謝罪の言葉を掛けられ、アリスは目を丸くした。今まで自分から謝る事が多く、それが当然だと思っていたアリスにとって、相手から謝られるとは思ってもみなかった。
「でも、これでアリシェスタさんが、少なくとも他の隊員達とコミュニケーションが取れるって事が分かったな」
空閑の確認する言葉に、二人の隊員達が頷き返した。
アリスも空閑以外しか会話出来ない事に不安を感じていた。しかし、自分が多少なりとも日本語が分かる事が判明した。これなら他の人達との会話に支障がなくなったもの確かだ。
「それにしても、本当に不思議ですね。アリシェスタさんが俺のみと会話出来たり、日本語が読めたりするなんて。まるで魔法みたいな話ですよ」
苦笑交じりで口にした空閑に、アリスは戦慄した。フロルから聞かされた事を、アリスは恐る恐る空閑に尋ねた。
「あの……クガ様」
「はい?」
「クガ様やアンリ様達には魔法を……魔力を持っていないのですか?」
空閑は一瞬身体を固まらせるも、次第に険しい表情になった。
「……やっぱり、この世界には魔法って物があるのですね」
空閑は強張らせた顔をしつつも、アリスを真っ直ぐに見据えた。
「率直に言います。俺達日本人、いや俺達は魔法なんて物が存在しない世界から来ています。勿論、貴女が言っていた魔力という物も俺達にはありません」
その言葉、アリスはようやく疑念を解く事ができた。空閑達に魔力が無いとフロルから言われて以降、心の片隅で気になっていたからだ。
「……それじゃ、クガ様達は、本当に黒髪の悪魔なのですか」
「森の中でも言っていましたが、その”黒髪の悪魔”とは何ですか?」
アリスは空閑達に語り出した。
かつて、自分達の大陸に魔力を持たない黒髪の人間達が攻めてきた事。そして、同じ特徴の空閑ら日本人が転移の歪からやって来て、大陸の軍勢達を壊滅させた事。自分が知っている事を全て空閑に聞かせた。
「……なるほど、概ね内容は理解しました」
空閑は表情を崩さず、アリスの話に耳を傾けていた。
「……では、その大陸の軍勢が先に横浜を、日本に攻めてきた事は知らないようですね」
「えっ?」
思わぬ発言に、アリスは空閑の顔を見つめた。
「彼らは横浜湾に現れた靄、貴女の言う転移の歪とやらから突然やって来て、近くにいた民間船舶を攻撃しました。犠牲者になった人達の中には……幼い子供も何人かいました。」
「そんな……でも、お父様や大臣の方々はそんな事は一言も——」
アリスは言いかけて、咄嗟に口をつぐんだ。感情に流されて、自らの正体を晒してしまう寸前だった。
だが、空閑はそのことを追求せず、淡々と話を続けた。
「我々自衛隊が日本政府から下された任務は、この世界から日本を守る事。そして、この世界と事件を起こした原因の調査です。我々がこの地に留まっているのは、あの靄の先に我々の母国があるからです。横浜の惨劇を再び起こさない為に」
空閑は強い口調を崩さなかった。ただならぬ威圧感に、アリスは今までにない恐怖を感じていた。




