12.外出
「シオリ嬢も作業着ですね。良かった、服選びを間違ったかと……」
照れたように笑うアルバートに、私は、何一つ言葉を返すことができなかった。頭が、働かなかったのである。
「えっと、格好、まずかった?」
不安そうに聞かれ、ようやく我に返った。そして、慌てて訂正をする。
「いえ。動きやすくて、理想的です。ただ……」
「ただ?」
「士官学校の、制服のイメージが強かったので。驚いて」
「ああ、確かに。式典の時も制服でしたから」
パイロットも一応作業着を支給されているんですよ、との言葉に、私は小さく頷くことしかできなかった。
いつもと違う格好に動揺していたし、なにより、作業性を考えて服を選んでくれていたことが、嬉しかったのである。
今、口を開いたら、変なこと言いそう。転生の記憶云々ではなく、令嬢として的に口に出さない方が良いことを。
「では、出発しましょう」
細心の注意を払って、余計なことは言わないように。シオリ嬢、の呼び名に恥じないよう、控えめに過ごす。
そう心に誓い、エンジンキーを回したものの。
元から、アルバートの魅力にやられている私が、彼を前にして自分を取り繕う余裕なんて、ある訳がなかった。
「これ、やばいくらい重いんだけど何が入って……」
「大関節用のグリスです。そのペール缶に20kg近く入ってますよ」
「買う数、間違ってない?」
「間違ってません」
嘘だろ、と言いつつも運び込んでくれるアルバートに笑って置く場所を伝えてから、ハッとする。楽しく喋ってしまっていた。
控えめに、と何度思い直しても、気付けば会話が弾んでいる。
「さっき買った指用の潤滑剤はオイルだったよね?」
「大きな関節には掛かる負荷も大きいので、使い分けているんです」
何かを買うたび、アルバートは何に使うものかを聞いてくる。そして、別のものに変えたら性能が変わるのか、とか、鋭い質問をしてくるので、ついつい話が盛り上がってしまうのだ。
「この缶だけやけに軽いのは?」
「ブースター周りは耐熱性を重視して、別のものを使っているので……」
量産機と専用機について、私はメカニック側の視点から、アルバートはパイロット側の視点から話をできるのも、とても楽しい。
「一番いい潤滑剤を機体全身に使えば、今より反応速度は上がる?」
「理論上、多少動きが改善するかもしれません」
「その言い方だと、上手くいかないか」
「制御しきれなくなる可能性があるので」
そっか、と考え込む横顔に、自然と視線を向けてしまう。こうして考え込んだり、楽しそうに部品や工具を見たりする姿は、純粋に、アイゼルダートが好きなんだと、思えて。
「シオリ嬢、次は……」
「冷却材です。会計をしておくので、運んで貰ってもいいですか?」
「わかりました」
私への好感度が高く感じるのは、トキタカの娘であることと、専用機のメカニックであることが原因なのに、気を抜くと勘違いしそうになる。
これではいけない、と頭を振って煩悩を打ち消す。冷却剤と、もう一つ、購入を終えたところで、アルバート様が戻ってきた。
「これで終わりですか?」
「はい。おかげさまで、早めに終わりました」
支払いの間に積み込みが終わるので、スムーズに買い物ができた。これなら、ベラのアドバイス通り、寄り道して帰っても時間に余裕があるだろう。
運転席に乗り込みつつ、不自然にならないように、用意していた言葉を紡ぐ。
「……折角ですので、寄りたい場所はありますか?」
時間に余裕もあるので、と続ければ、明るい声が返ってきた。
「いいんですか?」
「はい。暫く戻れないでしょうから」
もう戻れないかもしれない。勿論、戻れるように、最善を尽くすつもりではあるのだが。
「シオリ嬢は何処か行きたい場所は……」
「私は、大学も寮で、殆ど外には出たことがなくて。アルバート様のおすすめを教えてもらえると嬉しいです」
大学に入るまでは、実家もあるエメリオス軌道第2工業区にいたこともあり、第1学園区のことは詳しくないのは事実だ。
「でしたら……」
納得したアルバートは、少し考えたのち、カーナビに表示されている、ある場所を指し示した。
「綺麗な湖ですね」
意外なことに、アルバートが希望した行先は、士官学校から近い場所にある湖だった。
「人工で申し訳ないですが」
「本物を見たことある人の方が少ないですよ」
「確かに」
この世界の人間は、殆どが宇宙に浮かぶ区画で生まれ育ち、死ぬ。本物の湖を見たことがあるのは、数少ない惑星育ちの中でも、水のある農業や観光用惑星出身者くらいだろう。
私も、“シオリ”になってからは本物の湖を見たことがない。
目の前の人工湖は、外界による変化を受けないからこそ、美しい蒼を湛えてていた。
「……風も気持ちよくて、気に入っているんです」
水面を波立たせない、穏やかな風。周囲に明るさをもたらしつつ、反射を生まない人工照明。明暗のない、一様な色合いの湖面は、アルバートの瞳を同じ色合いで。
底の見えない、人工湖と同じように。どこか、暗さを孕んでいるような、風が吹くだけで崩れてしまいそうな、そんな印象を受けて。
「あ__」
ざぁ、と風が吹いた瞬間。水面に波が走り、風がアルバートの髪を揺らす。
風は、髪を縛っていた瞳と同じ、蒼色のリボンを掠め取り。湖の、方へ。
アルバートが目を見開く。唇から、小さく言葉が溢れ落ちる。聞き取る前に、体が、動いた。
ばちゃん、と踏み込んだ右足が水を飛ばし、派手な音を立てる。じわ、と安全靴に水が入り、嫌な気持ち悪さが伝わってくる。
「……良かった、届き、ました」
でも。咄嗟に伸ばした手には、手触りの良いリボンが、きちんと収まっていた。
振り返り、アルバートに近付くと、ぐじゅりと音がなって。顔を顰めないよう取り繕い、右足を半歩下げた。
「アルバート様、どうぞ」
解けた髪を手で押さえているアルバートは、何も答えない。
「……アルバート様?」
もう一度呼びかけると、ハッとしたように目を丸くして、リボンを受け取った。
「あ、いえ、ありがとうございます、シオリ嬢」
アルバートは手早く、いつもと同じ、ハーフアップに髪を纏めなおす。一つ結びにしていたのもあり、髪が解けやすくなっていたのだろう。
見慣れた姿に、安心感を覚えながら微笑むと、アルバートも強張っていた表情を緩めた。
「大切なものなので、助かりました」
「良かったです」
ちら、とアルバートの視線が落ちる。濡れて色の変わった作業着を見られ、苦笑いする。
「運動が苦手で、お恥ずかしい所を」
「本当に、ありがとうございます」
もう少し、反射神経が良ければ、湖に足を突っ込まずとも取れたのだろう。
恥ずかしくなって、話を逸らすように、ウェストポーチから小さな袋を差し出した。
「……これは?」
「アルバート様への、お礼です」
「俺に?」
寧ろ、俺がお礼をする立場では、と首を傾げるアルバートに笑って答える。
「大学で倒れた時のお礼も、襲撃で有耶無耶になってしまいましたから」
どうぞ、と手渡すと。アルバートの手が、一瞬、下へと動いた。
「……これ、見た目の割に重いんですが」
「工具です」
筆箱サイズだが、中は工具セットなので、金属の塊だ。当然、重さはそこそこにある。
開けていいですか、と聞かれ頷くと、中を確認したアルバートが嬉しそうに目を細めた。
「気付いてたんですか」
「熱心に見られていたので」
買い物中、アルバートが見ていた少しお高めの基本工具セットだ。
最初は、食べ物のような消え物にしようと思っていたのだが、わかりやすく興味を持っていたので、こちらを選んだ。
「……整備の仕方、教えてくださいね」
「勿論です」
生き残る確率が上がりそうなことは、なんでもしよう。快諾すると、アルバートは嬉しそうに私の隣に立ち、歩き出す。
その顔に、先程までの危うさはない。微笑んで私も車へと歩き出した。
「次も、俺が荷物持ちます」
「いいんですか?」
「はい」
次回の約束もし、良い雰囲気で車まで戻ったのはいいものの。扉に手を掛けて、気付く。
「……運転変わってもらっていいですか?」
勿論、とアルバートは、歯を見せて笑った。




