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#9 香辛地帯

「司令部からの決定を伝える」


 アイゼングラート山麓に本拠陣地を移してから、一週間ほど経ったその日の朝のことだ。私を含む、我々第七十五砲術隊の隊員らは、砲術長であるアルデリーギ中佐の前に整列していた。重苦しい焦げ臭さがようやく風に流され、新たな軍事拠点としての活気を帯びてきたこの巨大な陣地の中央で、砲術長の声が高らかに響いた。


「ついに、次なる作戦目標が通達された。我々連合軍が次に目指すのは、ここより東へ向かった先に広がる、広大な丘陵地帯の攻略である」


 砲術長は、傍らに立てられた巨大な作戦地図を指し示した。その手には太い指揮棒が握られている。


「この地帯を『クローネンベルツ』と呼ぶことになった。およそ七十キロ以上にも及ぶ、長大で広大な丘陵地帯である。ロッセリーニ少尉、貴官はこの地がどのような場所か、歴史で学んだ記憶はあるか?」


 不意に私の名を呼ばれ、身体がこわばった。だがその次の瞬間、初等教育や算術師として工術大学で学んだ際の歴史の授業で聞いた、ある悲劇を思い出す。


「はっ! 七百年前、我々人類が初めて海を渡り、アイゼングラート山の次にこの魔大陸に到達した地であり、香辛料の宝庫と言われております。そして同時に、あの地は……」

「その先は、私が話そう」


 砲術長は私の言葉を遮り、引き継ぐように話し始めた。なんだ、結局自分でしゃべるんじゃないか。


「あの地は、コショウやナツメグ、ターメリック、トウガラシなどといった、我らが人大陸では金と同等、いやそれ以上の価値で取引される高価で希少な香辛料が、それこそ無尽蔵ともいえるほど大量に自生している場所だ」


 貴重な香辛料の数々。その名を聞いた瞬間、整列している隊員たちの間に、かすかなざわめきが広がった。無理もない。人大陸において、香辛料というものは単なる調味料ではない。肉の保存や薬効、そして権力の象徴として、貴族や富裕層が血眼になって求める宝の山だ。だが、人大陸ではそれが採れる場所が限られており、しばしば戦争の火種となった。

 それが無尽蔵といえるほど存在する地だというのだから、軍の上層部や彼らを支援する本国の貴族たちが、この地帯を喉から手が出るほど欲しがっている理由は火を見るより明らかだ。


「かつて、未知の海を渡ってきた我々の祖先は、この地へたどり着き、多量の香辛料を前に歓喜したといわれている。富と名声が約束されたと、その時は誰もが信じて疑わなかった。だが、それを採取し、人大陸へ持ち帰ろうとしたまさにその時、無数の魔獣とそれを操る魔族の急襲を受けた。この地にいた者たちはほとんどが殺され、さらに海岸まで押し寄せた魔獣の群れが船を襲い、その場にいた無防備な人々を殺していった。少数の生き残った船乗りたちは拷問され、その結果として航海術を奪われ、魔族と魔獣が人大陸に押し寄せるきっかけとなった。それが七百年にも及ぶ人魔戦争という地獄の幕開けとなったのだ」


 砲術長の言葉には、長い歴史の重みと、先人たちへの無念が込められていた。私たち第七十五砲術隊の面々も、静かに息を呑んだ。

 そう、この地はまさに、人と魔が最初に出会った場所でもある。そして我々が魔族や魔獣、そして魔術というものの強大な力を前に、追い詰められていく歴史の開始点でもあった。

 七百年の時を経て、我々は魔術を上回る力を手に入れ、再び因縁の地へと足を踏み入れようとしている。奪われたものを奪い返す、そして魔族の脅威をさらに魔大陸の奥へと退けるためだ。いや、人類の飽くなき欲望を満たすためと言うべきか。


「とはいえ、およそ七十キロにも及ぶ広大なクローネンベルツを、たった一度の戦いで制圧できるほど、魔族は甘い相手ではない。あの卑劣な連中のことだ、必ずや何重もの防衛線を敷いているだろう。そこで司令部では、このクローネンベルツを三つに分割し、一つずつ順に攻略していく作戦を決定した」


 砲術長の指揮棒が、地図上のクローネンベルツに描かれた三つの小高い丘を順に指していく。


「以降、もっとも手前にあるこの一つ目の丘陵地を『グルートクッペ』と呼称する。コショウが最も多く採れる場所であり、かつて祖先たちが襲撃を受けた因縁の地でもある。その奥に連なる二つの丘陵地は、それぞれ『シャルフクッペ』、『ヴェルツェンクッペ』と名付けられた。我々の最初の任務は、このもっとも手前にある『グルートクッペ』を制圧することにある。そのため明朝、グルートクッペ攻略戦に進発することとなった」


 砲術長の鋭い一言に、我々は一斉に緊張の表情を浮かべる。

 その後、砲術長は作戦の詳細を述べる。が、聞けば聞くほど、この戦いがかつてない規模の死闘になることは明白だった。

 グルートクッペの周りには、広大な平原が広がっている。アイゼングラート山から見下ろすことができるその平原は、身を隠す場所が極めて少ない。明らかに、この平原が人と魔の総力戦がぶつかり合う「決戦地」となる運命にあった。そして同時に、ここを攻略した暁には、現在我々がいるこのアイゼングラート山の本拠地が、さらに前進してその平原のど真ん中へと移されることも決定事項であるという。


「なお今回、投入されるディッケバルトは、前回の三基だけではない」


 作戦説明の最後に、砲撃長は驚くべき数字を口にする。


「今回の作戦に投入されるディッケバルトは、我が隊を含めて全部で二十基。さらに、二十五センチ榴弾砲も七十基が投入される。そして、本国である人大陸から新たに送り込まれた増援を含め、総勢三万もの兵力がこの平原に展開する」


 三万の兵力。そして二十基もの四十二センチ榴弾砲ディッケバルト。それは、これまでの戦いとは次元が違う、人類の持つ圧倒的な攻撃力と軍事力が投入されることになる。これだけの火力を一斉に放てば、いかなる巨大な魔獣の群れであろうと、文字通り肉片一つ残さずに消し飛ばすことができる。

 誰もが、人類の勝利を疑わなかった。あの「卑劣な」魔族でさえ、この絶対的な火力の壁を超えることはできない、と。


「これが、本作戦の全容だ。各員、出撃準備にかかれ。以上だ」


 砲術長からの作戦説明が終わり、全員が敬礼する。その後は各々、出発準備に入ることとなる。準備といっても、私の場合は計算尺とメモ帳、そしてペンを持っていくだけだ。

 そんな私は胸のポケットの計算尺を握りしめながら、かつて薄暗い牢の中で聞いたブリヘーリアの言葉を思い出していた。


『我ら魔族は、目的のためならばどのような手段もいとわない』

『人間どもが想像もつかない戦いを仕掛けてくるのが、魔族というものだ』


 胸の奥底に、得体の知れない不安が黒い染みのように広がっていくのを感じながら、私は迫り来る決戦の日に備える。


 翌日には戦場への移動を終え、夜をテント内で迎える。そして明朝、まさに戦いが始まろうとしていた。作戦決行の日、この一帯は不気味なほどに晴れ渡っていた。風は穏やかで、視界を遮るものはない。絶好の砲撃日和だ。

 アイゼングラート山を下り、クローネンベルツへ向かう広大な平原に、三万の人連合軍が地平線を埋め尽くすように展開していた。

 歩兵部隊が等間隔で横隊を組み、その後方には七十基もの二十五センチ榴弾砲がずらりと並んでいる。そしてさらにその後方、見晴らしの良いわずかな隆起を利用して、二十基の四十二センチ榴弾砲「ディッケバルト」が、まるで巨大な鉄の獣のように等間隔で鎮座していた。蒸気車両が吐き出す黒煙が何本もの柱となって立ち上り、青空を黒く染め上げていく。

 我々第七十五砲術隊は、その二十基のディッケバルト陣形の中央に配置されていた。全軍の砲撃のタイミングを合わせるための基準砲としての役割を担っているのだ。


「全軍、配置完了! 風向、南南東、風速三メートル! 気温、二十二度!」

「よし。算術師、事前の算術通りで問題ないな?」

「はっ! 弾道計算に修正の必要はありません。いつでも撃てます!」


 私は計算尺を弾き、最終確認を終えて砲術長に報告した。私の集中力はこれまで以上に研ぎ澄まされ、視界に入る木々の葉の揺れや、大気の微細な変化からあらゆる物理現象を読み取っていた。

 その後、予想通り、平原の彼方に広がる暗い森の中から、敵の大軍勢が姿を現した。


「前方、敵魔獣群、接近! 数は……数万を超えています!」


 見張り員の悲鳴のような報告が響く。双眼鏡を覗き込むと、地平線が黒と緑の波で埋め尽くされていた。ギガオーガを先頭に立て、その後ろにはオークやゴブリン、コボルトらがうごめいている。前回のアイゼングラート山麓での戦いと同じ、巨大魔獣を盾にした波状攻撃の構えだ。

 敵も、総力戦ときたか。

 だが、我々の火力も前回とは桁が違う。


『全砲門、目標、敵先頭の巨大魔獣群およびその後方の魔獣密集地帯! 一斉射撃、用意!』


 全軍の指揮を執る司令部からの拡声器による指令が告げられる。そして、全砲門が発射体制に入ると同時に、信号弾が真っ青な空に赤い尾を引いて打ち上がった。それを合図に、アルデリーギ中佐の右手が力強く振り下ろされる。


「初弾発射、てーっ!!」


 目前の世界が、爆音で白く飛んだ。やや後方の二十基のディッケバルトと、前線に並ぶ七十基の二十五センチ榴弾砲が、一斉に火を噴いたのだ。

 天地を揺るがす轟音。大気が震え、陣地の地面が激しく波打つ。発射の反動で二十基のディッケバルトが一斉に後退し、巻き上がった土砂と硝煙が巨大な壁となって陣地を覆い尽くした。

 放たれた九十発もの砲弾が、美しい放物線を描いて平原の彼方へと飛翔していく。私の計算通り、それらは寸分の狂いもなく敵の頭上へと到達した。

 地平線の彼方で、一千発もの散弾を内包した榴弾が次々と空中で炸裂する。無数の爆発の閃光が連なり、まるで平原に新しい太陽がいくつも生まれたかのような錯覚に陥った。


「弾着、命中!! 敵先頭集団、および後続部隊、損害多数!」


 圧倒的だった。私は前線の様子を双眼鏡で眺める。数万の魔獣の波が、たった一度の斉射で文字通り「消滅」したも同然だった。ギガオーガの巨体は木端微塵に砕け散り、その後ろに隠れていた小型魔獣たちも、雨のように降り注ぐ散弾によって細切れの肉片へと変わっていく。ごく一部の魔獣たちが立ち上がり、なおも前進を続けようとしていた。


『よし、歩兵隊、前進開始!』


 作戦は当初、我々人連合軍の圧倒的優勢で進んだ。砲撃で更地となった平原を、三万の歩兵部隊が前進していく。時折生き残った魔獣が向かってきても、小銃の一斉射撃で容易に掃討できた。

 魔族の時代は終わったと、誰もがそう確信した。あの圧倒的な火力の前には、いかなる魔術も指揮も無意味だと。

 平原の中ほどまで進み、このまま平原全域の制圧まであっさりと到達するかと思われた、その時だった。


「様子がおかしい。こんなにあっさりと、抵抗もなく進めるはずがない」


 双眼鏡を覗いていたアルデリーギ中佐が、低い声で呟いた。私もすぐさま双眼鏡を構え、平原の奥に広がる深い森の中を注視する。

 その森の奥深くで、何かが光った。

 一つではない。二つ、三つ……いや、十、二十。緑色の禍々しい光を放つ、巨大な幾何学模様。あれは攻撃魔法陣、それも長射程のやつだ。


「敵陣地奥の森の中より、巨大な魔法陣の展開を確認! その数、二十以上!!」


 見張り員が絶叫する。私の背筋を、氷のような冷たい汗が伝い落ちた。

 あの魔法陣は知っている。私がかつて算術を用いて粉砕した、ブリへーリアが放った長距離炎魔術と同じものだ。射程距離は十二キロ。我々のディッケバルトと同じ射程を持つ、あの恐るべき魔法が、二十以上も同時に展開されている。


「砲術長! 敵が、こちらに長距離魔術を撃ってきます!」

「落ち着け、算術師。奴らには算術がない。十二キロも先の目標に、正確に当てられるはずがなかろう」


 砲術長の言う通りだ。かつての戦いでも、奴らの長距離魔術は狙いが定まらず、陣地から大きく外れた場所を虚しく焦がすだけだった。距離の概念すらない連中が、二十以上の魔術を同時に放ったところで、我々のディッケバルトに直撃させることなど不可能に近い。

 だが、私はふと、最悪の可能性に思い至った。

 奴らの狙いはディッケバルトではなく、その手前に展開する無数の連合軍はないか?


「敵、魔法陣より長距離魔術発射!! 来ます!!」


 森の奥から、無数の巨大な火球が天空へと打ち上げられた。それらは赤い尾を引いて空を焦がし、まるで隕石の雨のように我々のいる平原へと降り注いでくる。

 私は双眼鏡のレンズ越しに、その火球の落下予測軌道を頭の中で瞬時に計算した。そして、顔から完全に血の気が引くのを感じた。


「砲術長! あの魔術弾の狙いは、間違いなく歩兵隊です!!」

「なんだと!?」


 奴らには算術がない。ピンポイントで特定の目標を狙い撃つことはできない。だが、「広く展開している巨大な的」ならばどうか。

 現在、三万の歩兵部隊は、魔獣の残党を掃討するために平原の全域に広く薄く展開している。算術を持たない「数撃ちゃ当たる」というデタラメな長距離攻撃にとって、平原全体に広がった歩兵の群れは、まさにこれ以上ないほどの「格好の的」だったのだ。


「司令部に打電だ、前線の歩兵隊に退避命令を出すよう進言する、急げ!」


 砲術長が怒鳴るが、遅すぎた。

 二十発以上の巨大な火球が、平原の中ほどを歩いていた歩兵部隊の頭上に、無作為に、無慈悲に降り注いだ。

 ドーンという耳をつんざくような爆発音が連続して響き渡り、大地が狂ったように揺れた。着弾した火球は凄まじい業火となって周囲数百メートルを瞬時に焼き尽くす。


「あぁっ……!」


 私は双眼鏡を覗きながら、思わず呻き声を上げた。

 業火に飲み込まれた兵士たちが、まるで燃え盛る枯れ葉のように空高く吹き飛ばされていく。熱線によって小銃の弾薬が誘爆し、炎だるまになった人間が悲鳴を上げながら平原をのたうち回っている。二十発以上の長距離魔術は、算術による緻密な計算などなくとも、その圧倒的な「面」の制圧において、連合軍に甚大な被害をもたらした。


「歩兵部隊、被害甚大!」

「敵の長距離魔術、さらに次弾装填の兆候あり! 魔法陣、再び展開!!」

「くそっ、好きに撃たせてたまるか。こちらも応戦するぞ!」


 地獄だった。奴らは、算術を持たないという自らの弱点を、「広く散らばった敵に無差別に撃ち込む」という極めて単純で暴力的な戦術で克服してきたのだ。

 魔族の長距離魔術部隊は、森の奥の視認できない場所に分散して潜んでいる。算術がない彼らも、森の木々でこちらの視界を遮りつつ、あらかじめ設定した「だいたいの距離」へ向けて、角度を一定にして最大魔力で放っているに違いない。


「照準をあの森の奥へ向ける。敵魔法陣の位置は、把握したか?」

「はっ! 距離十二キロ、射程圏内です」

「よし、反撃だ。少しでも敵の魔術師団を撃つ!」


 アルデリーギ中佐が指示を飛ばす。私は計算尺を握りしめ、計算を開始する。

 が、私が算術を始めた直後、再び二十発の火球が空を覆った。

 第二波の炎の雨が、混乱の極みにある歩兵部隊に降り注ぐ。統制は完全に失われ、兵士たちは武器を放り出して我先にと後方へ逃げ惑い始めた。


『全軍、後退!』


 連合軍司令部から、悲痛な撤退命令が拡声器と旗信号で発せられた。圧倒的と思われた作戦は、完全に崩壊した。三万の軍勢が、見えない敵の長距離魔術の前に、背を向けて逃げ出していく。おまけに、森の奥からさらに多数の魔獣の群れが現れた。

 森の奥からは魔族の魔術に合わせるように、魔獣たちが歓喜の咆哮を上げながら追撃に出てきた。彼らは炎の雨を恐れない。なぜなら、魔族にとって魔獣の命など、兵器の弾と同じ使い捨ての道具に過ぎないからだ。味方を巻き込むことなど一切躊躇しない炎の雨の中を、ゴブリンやコボルトが波のように押し寄せてくる。


「砲術長! 撤退支援のため、魔獣集団に照準を合わせます! 左七度、仰角六十五度、火薬八箱、信管四十七秒、弾着時間四十九秒!」


 およそ七キロ先に、敵魔獣群が密集している。そのど真ん中に、広範囲に弾を叩きつけてやろうと考えた。砲身が回され、発射体制に入りつつある。

 すでに二十五センチ砲部隊は、撤退していく味方の背後を守るため、必死に砲弾を撃ち続けた。だが、敵の長距離魔術はその二十五センチ砲兵陣地にも迫りつつあった。至る所で火球が炸裂し、二十五センチ砲の何基かが直撃を受けて吹き飛ぶのが見える。

 が、今は後方の魔族よりも、前方に迫る魔獣を狙うのが先だ。長距離魔術を防げないのは歯がゆいが、今は撤退支援が優先である。

 そして、我が第七十五砲術隊のディッケバルトが火を噴く。


「射撃用意よし!」

「てーっ!」


 我がディッケバルトが放った弾が、まさに迫り来る魔獣の群れに向けて放たれた。他のディッケバルトも同様に、各々が撤退支援のため、魔獣群への砲撃を始める。

 十万を超える魔獣群であったが、流石に二十五センチ砲と四十二センチ砲との攻撃を受け続け、次第にその数を減らしていく。

 が、一方で敵の長距離魔術も次々と放たれる。まぐれ当たりとはいえ、多数の兵士と二十五センチ砲に被害が出ている。もはや、無秩序な総力戦の様相を呈している。

 多数の犠牲を出しながら、夕方までには連合軍は平原の端までどうにか後退する。泥にまみれながら、戦術の立て直しを考えざるを得なくなった。


 その翌日のこと。総崩れとなった平原の端で、我々は血の滲むような防衛戦を強いられることになった。


『歩兵隊は塹壕内にて、小銃を構えろ! 工作隊は塹壕を掘り進める! 塹壕戦へ移行する!』


 まだ昨日の惨劇の記憶が覚めない内に、連合軍の将校たちが拡声器で兵士たちを動かす。工兵たちが死に物狂いで塹壕を掘り進め、その後から歩兵が進み、平原を徐々に攻略していく。

 長距離魔術による炎の雨は、平面にいる者には致命的だが、地面より深く掘られた塹壕の中に身を潜めれば、直撃しない限り爆風や熱線をやり過ごすことができる。


「魔獣群、来ます!」


 見張り兵が叫ぶ。森から平原を越えて迫ってきた魔獣の濁流が、我々の構築した塹壕目がけて突撃してきた。が、そこには予め、鉄条網が張られている。その鋭い有刺鉄線によりゴブリンやコボルトの前進を阻む。彼らは痛覚を持たないかのように鉄線に絡みつき、血に塗れながらも越えようとするが、そんなもので突破できるほど柔な防御網ではない。


「てーっ!!」


 塹壕の中に潜んだ歩兵たちが、一斉に小銃や機関銃を発砲する。鉄条網に阻まれて身動きが取れなくなった魔獣どもは格好の的となり、次々と射殺されていく。


「司令部より打電、砲兵各隊、鉄条網の後方に榴弾を撃ち込み、群がっている魔獣を粉砕しろ、とのことです。なお、後方より魔法陣が現れ次第、長距離魔術の魔族への攻撃に切り替えよ、とも追記されております」

「了解した。では我々も攻撃を開始する」


 我々第七十五砲術隊も、ディッケバルトの仰角を下げ、至近距離での射撃を行った。二、三発撃ち込み、鉄条網の向こう側で炸裂する砲弾が、無数の魔獣の屍の山を築き上げていく。

 防衛線はどうにか持ちこたえた。だが、それはあくまで「凌いでいる」だけに過ぎない。

 再び森からは、敵の長距離魔術の魔法陣が現れた。放たれた火球がドーンという地響きとともに、塹壕のすぐ近くで炸裂する。土砂がバラバラと歩兵の鉄兜の上に降りかかるのが見える。


「ついに現れたな。算術師、目標を長射程魔術を使う魔族に切り替える。直ちに魔法陣までの距離から計算せよ」


 私は計算尺を滑らせ、先ほどの魔法陣の現れた地点までの弾道を計算する。即座にそれを、砲術長に伝える。


「右三.五度、仰角四十五度、火薬十箱、弾着四十九秒、信管時間は四十七.五秒!」


 そう叫ぶ中で私は、あの捕虜であるヴラゾヴラの言葉を思い返していた。魔族は単独で動くことが多いが、これほど大規模で統制の取れた魔法陣の展開は、強力な個の魔力を持つ者が指揮を執っている証拠だ。

 ということは、運良くその指揮官魔族に当たれば、統制は乱れてこちらが有利になるはずだ、と。


「射撃用意よし!」

「よし、てーっ!」


 ディッケバルトが火を噴いた。魔族目掛けて、飛翔していく。


「弾着、三、二、一、今!」


 直前に、榴弾が炸裂した。広い地域に弾が散らばる。

 が、奴らは今、森の木々の中だ。ということは、その木々が弾除けになる可能性がある。思ったより、当て辛い戦いになりそうだと直感する。

 が、他に手がない。ともかく、魔族を撃たねばこの戦いは終わらない。一方の平原では、銃撃と砲撃により、魔獣への攻撃が続けられている。砲撃で破壊された鉄条網の隙間から魔獣どもが押し寄せるが、その隙が返って敵を集中させて、格好の的となる。


「敵魔法陣、さらに展開を確認! 距離、十一キロ!」


 副官のストルキオ大尉が、驚愕の声を上げる。やや近い位置からの攻撃を始めた。

 魔族の奴らめ、このディッケバルトに狙いを定め始めたな。

 実際、直後に敵の魔術弾が近くに着弾する。思いの外、近い。数十メートル先にそれは落ちてきた。熱気と土煙が、我々を襲う。


「怯むな! 撃ち返すぞ!」

「はっ!」


 再び魔法陣の中心付近に狙いを定め、撃ち返す。が、再び魔法陣が展開される。また近くに着弾する。緊張の戦いは、日が沈むまで続いた。

 さて、日も暮れたが、戦いは終わりではない。そこからの戦いは、文字通り泥にまみれた地獄の行軍だった。

 つまりだ、夜のうちに塹壕を掘り進め、有刺鉄線を張り巡らせる。が、その間にも魔獣が襲ってくる。それを当直の歩兵が撃ち返す。

 短期決戦で終わると思われたこの戦いは、想像以上の長期戦となることを暗示していた。

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