9.顔なし令嬢と蛙捕り
アルフォンスは小さな荷馬車に蛙捕りの道具を乗せて自分で馬を駆り、出かけることがよくあるとのことだった。引きこもりなどと揶揄されている彼だが、まったく出かけないわけではないのだ。
「材料調達など召使いに頼めばいいと思うかもしれないけど、蛙も一種類じゃないし。目的じゃない蛙を山ほど捕ってこられても困るからね。いつも自分で取りに行くんだ」
「ある種の蛙の粘液が魔術伝導の触媒に相性がいいと書物で読みました」
「驚いた。君も魔術書を読むのかい?」
「生家では本を読むしか時間の過ごし方がなかったのです」
「伯爵家なら遠乗りでもピクニックでもいろいろできそうなのに」
「妹はまあそうしていましたけど……わたしは伯爵領では重い病気にかかって療養していることになっていましたから」
「……」
だからバケツや網などと一緒に荷台に乗せられガタゴトと揺られている今、エリザベスはとてもうきうきしていた。自分の顔を気味悪がらないアルフォンスと一緒に外に出かける。それだけでエリザベスが見上げている青空と同じように晴れやかな気分だった。
「沼地は虫が多い。この虫除けの匂い袋を身につけて、足元が危ないから君は安全なところから見ておいで」
「わぁ……いい匂い」
アルフォンスが振り向きながら差し出した薄荷の匂いのする布袋を受け取り、エリザベスはその香りを嗅ぐ。強い香りを嗅いだため鼻がむずむずして、彼女はくちゅんと小さくくしゃみをした。
「お大事に」
「……恥ずかしい」
「可愛いくしゃみだ。三回続けてくしゃみをした後にお大事にと言われないと妖精になってしまうと言うが、君なら一回でも妖精になってしまいそうだね」
「からかわないでください……、ふふふ」
「はは」
クラウスと馬車で出かける時は仮面を被せられ、移動中も会話はろくになかった。エリザベスはクラウスに嫁いで子を産んでも、きっと死ぬまで笑い合うことはない。そう思っていた。それがどうだろう。相手がアルフォンスに変わっただけで、こうやって青空の下で和やかに笑い合っている。
マイカはエリザベスにベール付きの帽子を用意してくれた。日焼けを防ぐためだとは言っていたが、おそらく公爵領の人間にエリザベスの顔を見せないためだろう。仮面よりもそちらのほうがずっとよかった。沼地へ向かう道で農夫が手を振っていた。アルフォンスは笑顔で手を振り返す。農夫はエリザベスを見て荷台に見慣れない女が座っていることに驚いたようだったが、伯爵領でエリザベスが仮面を被った顔を市井の民に見られた時よりもその反応は柔らかかった。
「さあ、そろそろ森へ入る。獣も出る時があるからね。なるべく僕から離れないで」
森に入る前から蛙の鳴き声がうるさく聞こえていた。アルフォンスは一層うるさい沼地の近くにあった苔むした倒木の上にハンカチを敷き、そこに座るようにとエリザベスに促した。
(あっ、ハンカチ……)
そのハンカチには午前にエリザベスが刺したものよりもずっと巧みな飾り文字の刺繍で名前が入っていた。
(いえ、これは公爵夫人か、マイカが施したものだわ。ハンカチをプレゼントするような令嬢などいるわけがないとソフィアも言っていたじゃない。ソフィアのアルフォンスへの評価はぜんぜん間違ったものばかりだったけど……。やだ、わたしったら無茶苦茶。アルフォンスとわたしはもう婚約しているんだというのに、何を動揺しているの?)
エリザベスは人に大事に扱われる経験が薄い生い立ちを歩んできたのに、それに反してアルフォンスがあまりに自分のことを蝶よ花よと愛でるので彼に幻滅されて態度を変えられたくないと思い始めていて、そんな自分に戸惑っていた。エリザベスの顔を見ることのできるアルフォンスはエリザベスの人となりを顔ではなく内面や行動で判断することができる。刺繍もできない粗忽な令嬢だと思われたらどうしよう……。今腰の下に敷いてある見事な刺繍を見た後で自分の拙い刺繍を出す気にはなれなくて、エリザベスはポケットのハンカチをそっと握りしめた。
「いるいる。ここにはいつも蛙がいるんだ」
「泥と同じ色でここからはよく見えないけれど……慣れているのですね、アルフォンス」
「蛙は動いているものならなんだって食いつくからね。こうやって、鳥の羽の飾りがついた釣り針を……ぴょこぴょこと動かしてやると……。よっ、ほら、どうだい。すぐに捕まる」
「すごい……!」
でっぷりとしたヒキガエルを片手で鷲掴みにして見せるアルフォンスにエリザベスが小さな拍手を送ると、アルフォンスははにかむようにふふっ、と笑う。その顔が小さな男の子のようにあどけなく、エリザベスはそれを見て少しどきっとした。
「シリカとマイカは僕の魔力を触媒で増幅させて動く。そのための薬品に蛙の粘液を使うんだ。さっき君が話していたことだね。いろいろ試してみたけどこの蛙のものが一番具合が良くて……」
それからエリザベスは嬉しそうに触媒の話をするアルフォンスの話をにこにこと聞いていた。そうしているうちにも蛙はどんどん釣れて、バケツに投げ込まれていく。そろそろ終わりにするかというときに、エリザベスの背後に影を落とす者がいた。
「え?」
「ケーッ!!」
「きゃあっ!!」
「エリザベス!?」
それは大きなカラスだった。カラスはエリザベスの帽子についていた大きなビーズの飾りに目を付けていたようで、くちばしで帽子をむしり取るとそのまま咥えて飛んでいこうとする。
「このっ、返せッ!! 電撃ッ!!」
「ギャアッ!!」
カラスがエリザベスから離れたタイミングを見計らってアルフォンスは手にしていた釣竿をカラスにつきつける。すると彼の手から紫色の稲妻が奔り、釣り竿の先から放出されてカラスを痺れさせた!
衝撃に硬直したくちばしから帽子が中空に投げ出される。アルフォンスは器用に釣竿を振るい、帽子が沼に落ちる前に釣り針でひっかけて救出した。
「エリザベス、大丈夫かい? 怪我はないかい!?」
帽子を手に、アルフォンスは慌ててエリザベスの元にかけてくる。ぬかるみで立ち回ったため、高貴な頬に泥が飛んでしまっていた。
「はあッ、はあッ、だ、大丈夫です。でも、びっくりした……」
「ごめんね。あれはこの辺にいるいたずらカラスなんだ。僕が一人でいる時はあまり近づいてこないんだけど、今日は君がいるからからかいにきたのかもしれない。でもほら、ちゃんと取り返したよ。帽子」
「ありがとうございます……。あら、泥が……」
エリザベスはアルフォンスの頬の泥に気が付き、咄嗟にポケットで握りしめていたハンカチを取り出す。そしてそれで泥を拭き取ろうとしたところで、施された刺繍にアルフォンスが気が付き、止めた。
「エリザベス、このハンカチは?」
「あ、これっ……。その、午前にマイカと一緒に刺繍したハンカチで……。アルフォンスにプレゼントしようと思っていたのだけど、手に握ってたから咄嗟に使いそうになってしまいました……。こうやって見るとやっぱり拙くて恥ずかしいので、もう少し練習してから差し上げたいです。とりあえず、使ってください……」
「エリザベス……」
恥ずかしそうに頬を染めて俯くエリザベス。アルフォンスはそんな彼女の細い手首をそっと握った。
「これは使えないよエリザベス」
「え……。そ、そうですよね。こんなぐじゃぐじゃの刺繍……」
「エリザベスが僕のために作ってくれた初めての刺繍ハンカチだろう!? こんなの額に入れて飾っておかなくちゃならないじゃないか!!」
「ええッ!? いやだッ、恥ずかしいですッ!!」
「こうしちゃいられない、帰るよ! シリカにぴったりの額を用意してもらうんだ!」
「や、やめて~っ!!」
カエルのバケツを持ち上げて荷馬車のほうに走って行ってしまうアルフォンスを追いかけながら、エリザベスはいつしか笑ってしまっていた。荷馬車にたどり着くころにはもう涙が出るほどになっていて、ぜえぜえと息をつく彼女をアルフォンスはうっとりと見つめる。
「君はそんな風に笑うんだね。僕が君のことを毎日笑わせるからね」
「はあ……はあ……、お、お手柔らかに、なさって……!」
帰りの道で、アルフォンスは本で読んだ小粋なジョークなどをエリザベスに話し、エリザベスもアルフォンスの知らないジョークで返した。二人はずっと笑いっぱなしで、泥だらけの靴は貴族らしくはなかったかもしれないけど、とても楽しかった。
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