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7.アルフォンスと夜明けの少女

 その後、二人はマイカに給仕されながら一緒に夕食を取った。果実を使ったサラダやパイで包んで焼かれた淡水魚、スライスしたベーコンを張り付けたミートローフなど、用意された料理はどれも素晴らしい味付けで、最初は遠慮しがちに食べていたエリザベスも次第に頬をばら色にしてその美食を味わっていた。


「美味しい……。口にするもの全部がとても美味しいわ」

「よかった。いくらでも食べてね。パンもまだあるからね」


 エリザベスについて何もない顔に食べ物が吸い込まれていく様が気味悪いと兄のクラウスがこぼしていたことをアルフォンスは思い出す。そう思われながらの食事はさぞ味気ないことだろう。そんな食事を何年も続けてきたエリザベスにとって、温かく美味しい出来立ての料理を欲しいだけ食べていいというこの食卓が当たり前になってくれればいいとアルフォンスは思った。料理そのものだけでなく、美味しいと口にしながら人と同じものを楽しんで食べる食事のありがたさを焼き立ての香ばしいパンと一緒に噛みしめてほしい。そのために取り寄せた上等な食材を使った晩餐だ。


「今日はもう休みなよ。本当はもっと君と話したいけど、君はもうすぐにでも気絶してしまいそうだ」

「はい……ごめんなさい、今日はもう休ませていただきますわ……」


 お風呂ですっかりあたたまって、美味しい食事でお腹をいっぱいにしたエリザベスは食後の花茶を飲み、アルフォンスと話しながらもちいさな顎をこっくりこっくりとさせてかなり眠そうだった。エリザベスのその童女のようなたたずまいをアルフォンスは愛おしそうに見下ろし、おやすみ、と一言挨拶して、彼女の髪をそっとひと撫でした。マイカに支えられながら寝室に行くエリザベスを見送ると、アルフォンスは後ろに控えていたシリカを振り返る。


「僕も今夜は研究せずに休むよ。シリカも魔力補給を忘れずに休眠して」

「かしこまりました」

 

 アルフォンスの自室はエリザベスのために用意した部屋と同じ階にある。今までは夜遅くまで下の階にある研究室に籠りっぱなしで寝るのもそこでしていることが多かったが、今はすぐそばにエリザベスがいるのを感じながら部屋のベッドで眠りたかった。

 アルフォンスのベッドはエリザベスのために用意した豪奢なものではなく、公爵令息の寝床とは思えないほど質素だった。それは別にエリザベスのように粗末な扱いを受けているわけでなく、寝るだけの場所に豪華さをあまり重視していないアルフォンスの性格によるものだった。アルフォンスはそのベッドにごろりと寝そべると、飾り気のないスツールの上にぽつんと置いてある写真立てを手に取った。その中には写真ではなく、少女の顔が描かれた素描が入っている。それはアルフォンスが自分で描いた、幼いころのエリザベスの肖像だった。


(大丈夫? わあ、こんなに分厚いご本。あなたが一人で読むの? きっとあなたはとても頭が良いのね!)


 アルフォンスがエリザベスのことを知ったのは、まだ彼女が八歳のころだった。ローゼンハイム公爵邸で開催される昼間のパーティに馴染めず、人のいないところで魔術書を読もうとしていた十歳のアルフォンスは、それを見つけた他の貴族家の令息たちに体当たりを食らわされて抱えていた本をどかどかと床に落としてしまった。友人たちのその行動は貴族令息としてふさわしくないものなので、大人に見つかると咎められる。それを熟知している少年たちはアルフォンスを短く鼻で笑うと、素早くその場からいなくなってしまう。そして後には座り込んで散らばった本を拾い集めるアルフォンスが残されたのだ。

 そこに手を差し伸べたのが幼き日のエリザベスだった。亜麻色の髪と、夜明けの空の色の瞳の幼い令嬢。アルフォンスはその日エリザベスに恋をした。引っ込み思案で本の虫であった少年の、それは鮮やかな初恋だった。


(今日はわが息子クラウスとハルトマン伯爵家のエリザベス嬢の婚約をここに発表する……)


 そしてまたその日のうちに、アルフォンスの初恋は儚い失恋に変わったのだった。

 その日から、アルフォンスは貴族の集まるパーティーに顔を出さなくなった。もともと魔術に興味を持っていた彼は失恋の辛さを忘れるために魔術の研究に没頭し始めたのだった。ちょうどその頃王宮で魔術の有用性が重視され始めていたので、父母である公爵夫妻は「兄とは違う道を歩み始めたのだろう」と理解を示し、無理に外に出すことはしなかった。次期公爵は長兄のクラウスに決まっている。それと比べれば甘く育てられていることはアルフォンスにもわかっており、両親には感謝している。兄の婚約者をエリザベスにしたことを除いては。

 エリザベスは度々婚約者であるクラウスに会いに公爵邸を訪ねてきていて、アルフォンスはそれを物陰からそっと眺めていた。枕元の似顔絵はその頃に描かれたものだ。せめて自分の筆が描く紙の上で成長していく彼女を夜な夜な抱きしめることだけできれば……そう思っていたアルフォンスだったが、二年目にそれは不可能になった。

 エリザベスの顔がなくなったからだ。


(僕にはエリザベスの顔が見えるなんて、嘘を言ってしまった)


 初めてエリザベスに会った時のことを思い出していたアルフォンスは、少女の肖像をぱたりとその場に伏せる。アルフォンスにもエリザベスの顔は見えていなかった。

 目を閉じればすぐに、あの日の少女の顔が瞼の裏に浮かぶ。アルフォンスは彼女の夜明けの空の色の瞳にずっと焦がれ続けていた。だから、見えなくとも彼女の瞳の色が何色なのかよくわかっているのだ。


(一度はあきらめた初恋が、もう一度僕の手の中に戻ってきてくれた。この幸福を守るためなら、僕はこの嘘を一生貫き続ける覚悟がある……。僕にとってエリザベスが特別であるように、僕もエリザベスの特別になりたい。唯一僕だけにエリザベスの顔が見えると思っていてもらえればきっと、僕は彼女の特別になれるんだ。だけど……)


 これは醜い劣情だと自覚する気持ちもあった。顔が見えなくなったことによってエリザベスは不幸になったのだ。それを利用してこれ幸いと隣に滑り込むのは、まるで物語の悪役のような所業だと思う。


(それがどうした。エリザベスは僕のものだ。僕だけの夜明けの瞳の女神だ……)


 アルフォンスは枕を抱きしめ、左右にごろごろと転がって悶える。


「うう……エリザベス……。好き……。本当はこんな嘘なんかつかなくても正々堂々と君の特別になりたい……」


 この先彼女が誰にも会えなくても、この塔で二人きりでずっと笑い合って生きていければ幸せか? 確かに、それはアルフォンスにとってだけはこの上なく幸せだろう。しかしどこかに欺瞞があるような気がした。これは彼が聡明で正直であるが故の葛藤だった。


「……決めた。僕がエリザベスの顔を元通りにする。どれだけ時間がかかっても、絶対に戻してやる。嘘を謝るのはその後だ……」


 アルフォンスがその愛と罪悪感と決意の狭間でのたうっている時、エリザベスはそんなことは知らずにすやすやと深く眠り込んでいた。温かく大きなベルベットの寝床は今まで使っていた綿がぺちゃんこになったものとは比べ物にならないほどに気持ちが良くて、あっという間に眠りに落ちたのだ。一枚の壁を隔てて二人の男女の初めての夜は更けていく。真夜中に夜の鳥がひとつ、ほうと鳴いた声を聞いたのはアルフォンスだけだった。

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