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6.顔なし令嬢とアルフォンス

 エリザベスはらせん階段をぐるぐると降りていく。フリルの豪華なドレスは素敵だったが、あれを着ていたら足を取られて大変だったかも、という考えが頭の隅によぎった。スカートを摘まみ足先をちょっとだけ露出しながら階段を降り続けていくと、階下から登ってくる足音が聞こえてきた。


(お茶を用意したマイカが登ってきてるんだわ、指輪を置き忘れたことを伝えて、見覚えがないか聞きましょう)


 そう思って足を速めたエリザベスに下から登ってきた足音の主も気が付いたようだ。彼女の前に現れた者は、あのかしましいゴーレムメイドではなかった。


「エ……リザベス、どうしたんだい、そんなに急いで」

「……アルフォンス……様?」


 数段分上に立っているため、エリザベスは上背のあるアルフォンスの顔を真正面から見ることになった。もっさりと長い前髪でよく見えなかった彼の顔は、湯上りで濡れたまま後ろにぴったりと撫でつけられ、眩い額が良く見える。そしてその下にある意志の強そうな眉。それは兄であるクラウスに少し似ている。眉に近い位置にある夜空の色の瞳は長い睫毛に縁どられていた。エリザベスは彼の顔を初めてちゃんと見て、まずとても美しいと、そして遅れて公爵夫人によく似ている、母親似だと思った。


「用意した部屋が気に入らなかった? マイカはどうしたの? せっかく昇降ベンチがあるというのに一人で降りてくるだなんて……」

「ご、ごめんなさい、わたし、はしたなかったですよね……」

「いや、いいんだ。ここはもう君の家なのだから好きなように歩いていいんだよ。それよりそんなに息せき切って、本当にどうしたの?」


 風呂上がりのアルフォンスの周りの空気は水気を含んで石鹸の香りがした。さっきエリザベスが体を洗うのに使った石鹸と同じ、カモミールの香りだった。


「ええと、その、わたしお風呂に忘れ物をして……」

「もしかして、この指輪がそうかな?」


 アルフォンスはズボンのポケットに手を入れ、中にあったものを取り出す。エリザベスの目の前に彼の大きな手が現われ、そしてすっと開いた。そこにはエリザベスが置き忘れたガーネットの指輪がころんと収まっていた。


「そう、それです。わたしの指輪……」


 大事な指輪を見つけてほっとしたエリザベスはそれを返してもらおうと小さな手を指輪に伸ばす。しかしアルフォンスは開いた手をもう一度握ってしまった。


「あの、え? わたしの指輪なのですけど……、アルフォンス様?」

「これは……兄上からのプレゼントなのかな」


 アルフォンスの言葉に苦い響きが含まれているのに気づき、エリザベスは指輪が握られた手から目を話して彼の顔を見る。その眉は悲しそうにきゅっと寄せられていた。


「アンティークで素敵な指輪だ。兄上は古いものが好きだからこういうものを贈り物に選びそうだよね。でも兄上のセンスじゃない気がする。お母様の見立てかな。君にとても似合う。でもその……」

「え、待って、違います、アルフォンス様!」


 答えを待たずに少し早口で滔々としゃべりだすアルフォンスに面食らっていたエリザベスは、慌てて彼を制止した。


「それは、わたしの亡くなった母の形見です。わたしが持つ者の中で唯一形のある財産です。クラウス様は関係ありません……」

「……」


 エリザベスの説明を聞いたアルフォンスは、ふっと表情を柔らかくした。あからさまに安堵した、という顔だった。そして少しだけ恥ずかしそうに頬を染めた。


「ごめん、エリザベス。僕、勘違いしてちょっと焦ってしまった」

「アルフォンス様……」

「僕は……、これから夫になるからには、君の一番でいたいんだ。だけど、これは君の大事なものだからちゃんと返すね」

「はい、ありがとうございます」


 アルフォンスはエリザベスの小さな手を取り、その掌に指輪をそっと返した。エリザベスはそれを右手の薬指に填め、口元に持って行ってそっと口づけをした。


「よかった……ちゃんとあって」

「……」


 そんなエリザベスの顔をアルフォンスは少し呆けたような切ない表情で見つめていた。それに彼女が気が付いた時、アルフォンスの後ろからが声がかかった。


「お坊ちゃま、髪を乾かさずに部屋に戻ろうとしていますね。風邪を引くからいけないと言っていますのに」

「エリザベス様、歩いて降りてこられたのですか? マイカがお茶を持っていきますのに!」


 ゴーレム執事とメイドのシリカとマイカだった。どうやらシリカはあまり存在感を出さずにずっとアルフォンスの後ろに控えていて、そのまた後ろからマイカがお茶を持って登ってきたようだった。


「お二人とも、お茶が冷める前に召しあがってほしいですわ。湯上りの身体が冷めてしまいます」

「そうだ、こんなに降りて来てしまって登るのが大変だろう。一緒に昇降ベンチに乗って部屋まで戻ろう」

「ただいま持って参ります」


 アルフォンスがそう提案すると、シリカはどこをどうしているのか手すりにがちゃんと身体を接続し、するすると登って行った。そしてほどなくベンチと一緒に戻ってきた。


「さあ座って」


 エリザベスをベンチに座らせたアルフォンスは自分もすぐ横に腰掛ける。


(クラウス様とはこんなに近くに座ったことはなかったから、なんだかどきどきする。男の人の体温って少し高いのね。お風呂に入ったばかりだからかしら?)


 落ち着かないエリザベスの横顔をアルフォンスはじっと見つめていた。動くベンチに並んで腰かけた二人は移動遊園地の観覧車に乗り合わせてしまった見知らぬ同士の小さな女の子と男の子のように、今はまだぎこちないがこれから中を深めていける予感で胸をいっぱいにしていた。


「今まではどちらもこの塔にはなかったんだ。自動で循環する湯船も、昇降ベンチも」

「まあ、ではわたしがこの塔に来るのにわざわざ?」


 エリザベスの部屋にあるテーブルと椅子にマイカがお茶の用意をした。先ほど公爵夫人と飲んだような紅茶ではなく、身体の温まるハーブティーだった。お腹の奥から落ち着く温度と香りのお茶を口にするとなぜだか心がさらにほどけるような気がして、エリザベスとアルフォンスの会話は弾んだ。


「その通り、と言いたいところだけど。これは運用試験も兼ねてる。うちで使ってみて具合がいいようだったら王宮に設置することになってるんだ。どうだった? 快適だったかな」

「ええ、とても素敵でしたわ。あんな風にいつまでも冷めないお湯を使っていいだなんて久しぶりで……」

「……君は、生家であまりいい扱いを受けていなかったようだね」

「……仕方ないですわ。家族でも顔のない女なんて気味が悪いに決まってますもの」


 エリザベスが自嘲気味に呟くと、アルフォンスは静かに、しかしきっぱりとこう言った。


「仕方ないなんてことはない。人間は顔だけで存在しているんじゃない。ある日突然顔がなくなるなんて、魔術が関係なくたって事故でも事件でもなんだってありうる。それより前にはあった愛情が、顔と一緒になくなってしまうだなんて馬鹿げてるよ」

「アルフォンス様……」


 それはエリザベスが実父やクラウスから聞きたいと思っていた言葉だった。しかし彼らからそんな優しい言葉がかけられることはなく、今目の前にいるアルフォンスからそれがもたらされた。エリザベスは、アルフォンスと一緒なら幸せに生きていけるかもしれないと思う。それがかもしれないから違いないに変わるには、まだまだ彼のことを何も知らない。


「エリザベス、君も僕のように、僕のことをアルフォンスと名前で呼んでくれないか。婚約者になったばかりの僕だ。まだ夫と思えなくても、友人を呼ぶように」

「アル……」

「ああっ! アルって呼ばれるのも特別感があって捨てがたい! どうしよう、どっちで呼びたい!? エリザベス!!」

「まだ呼び終わってません!! もう!」


 幸せに生きていけるかどうかはまだわからないが、エリザベスとアルフォンスの婚約者としての一日目は和やかに過ぎていくのだった。

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