5.顔なし令嬢とベルベット
「エリザベス様、このままでは溺れてしまいますよ」
「はっ……」
マイカに声をかけられて目を覚ましたエリザベスは自分が口元まで温かいお湯に浸かってしまっていることに気が付いた。見えない部分で循環しているらしいお湯は時間が経っても冷めることがない。いつまでも温かく身体を温められ、彼女は信じられないくらい癒されているのを感じた。
「ごめんなさい、恥ずかしいわ……」
「いいえ。アルフォンス様もよく湯船で眠ってしまうことがあるのです。さあ、お水をお飲みなさいませ。のぼせてしまいますからね。飲んだらお髪を乾かさせていただきますわ」
マイカが繊細な作りの美しいグラスに注いでくれた水は柑橘が絞られ良く冷やしてあり、エリザベスの火照った喉に沁み込むように美味しかった。そのまま綺麗に洗われてふんわりとやわらかいバスローブを羽織らせ、マイカはエリザベスをパウダールームへと連れてくる。そこにはピカピカに磨き上げられた一枚鏡があり、エリザベスはその前に置かれた椅子に腰を下ろした。
「エリザベス様の美しい亜麻色のお髪、乾かさせていただけること、マイカは光栄に思いますわ。ああほんとに柔らかくて素敵なお髪! 今から風で乾かしますのであまり驚きにならないでくださいませね」
顔がないからせめて髪だけでもとか思ってる? 必死で髪の毛のお手入れしてバカみたい。ソフィアにそんな風にばかり言われていたエリザベスは自分の髪の質がいいことも忘れていたのだが、こうやって改めてひとに褒められると、小さなころは自分の髪が大好きだったことを思い出した。
マイカの左手がどうやったのかわからない動きで変形し、手のひらに開いた穴から熱すぎない温度の温風が吹き出してくる。
「ああ……暖かい風。もしかしてだけど、マイカさんの身体には風と火の魔石が埋め込んであるのかしら」
「いやですわエリザベス様。マイカ、とお呼びになってくださいませ」
「え、あ……教えてくれるかしら、マイカ」
「ええ、おっしゃる通りでございます。お分かりになられますか?」
「本で読み齧っただけの知識だけど……。基本のゴーレムの作り方とその応用が書いてある本に今後研究が進んだら複数の魔石を使っていろんなことが同時にできるゴーレムが作れるようになるかもって書いてあったの」
「まあ~! そのお話、お坊ちゃまとなさったらきっとお喜びになられますわぁ~。マイカの身体には風と火以外にもたくさんの魔石が埋め込まれていますの。執事のシリカのほうにもまた別の構造で配置してありますわ」
マイカの話を聞いて、もし彼らゴーレム使用人たちを作ったのがアルフォンスだったとすれば、彼は天才なのではないかとエリザベスは思った。ゴーレムに魔石を埋め込んで火や風に特化した能力を付与すること自体は彼女が実家で読んだ本が書かれた当時にはできるようになっていたが、複数の能力を同時に付与するのは難しいと書いてあった。風を出すゴーレムや熱を発するゴーレム自体はすぐにできるが、マイカのように「あたたかい風」を出すゴーレムを作るのは難しいのだ。そんな難しい技術を、髪を乾かすためにこんな簡単に使ってしまうだなんて。
そんな風に思っているうちに濡れていた髪はすっかり乾き、マイカはふわふわになったエリザベスの髪を上等な櫛でていねいにとかした。
「お召替えは二着ご用意させていただいておりますの。どういった感じがお好みかわからないからとどっちもお坊ちゃまが命じてご用意しておりましたのよ。どちらかお好みの方を選んでくださいませね」
髪の手入れを終えたマイカが今度はハンガーにかかったままの室内着を二着見せてきた。どちらも色は清潔な純白だったが、片方はフリルやドレープがふんだんに施された豪華なドレス、もう片方はふんわりした長袖のシンプルな作りのドレスだった。どちらも仕立てや布の質が良いことは、実家で適当に押し付けられた粗末な装いに慣れ切ってしまったエリザベスにも一目でわかった。
ちょっとでも洒落ていたり気の利いた作りの衣服は全てソフィアに奪われていたというのに、周りはみんなエリザベスが進んで質素な格好をしているのだと思い込んでいた。そしてエリザベスも自分にはこのくらいが分相応だと思うようになっていった。それに、顔のない自分が豪華なドレスに袖を通したら顔を見ることができない者にはフリルの塊が歩いているように見えてしまうような気がした。アルフォンスは先ほどエリザベスの顔が見えると言っていたが、長く沁みついた考え方の癖は一朝一夕では治らない。豪華なドレスの美しさに心惹かれはしたが、彼女は結局シンプルな方を選んだ。
「エリザベス様の美しい髪や指先が映える、素晴らしい選択だと思いますわ」
袖を通したドレスはまるで何も着ていないかのように軽く、エリザベスの身に馴染んだ。マイカはエリザベスの選択を嫌味なく褒めながら、柔らかいサテンのコルセットベルトを締めてくれる。そのベルトを締めたことで、シンプルな作りのドレスは洗練された貴婦人の普段着に様変わりする。
「エリザベス様の後にお坊ちゃまもお湯を使うそうですから、先にお部屋に案内いたしますわ。これからエリザベス様が暮らすお部屋でお坊ちゃまをお迎えしましょう!」
塔のらせん階段の手すりに、なぜかベンチがくっついているのを見てエリザベスは自分にしか見えないまつげをぱちくりさせた。マイカはそんな彼女をベンチに座らせると、脇についている取っ手を掴んで押した。するとベンチはエリザベスを乗せたまま手すりを伝ってするすると登って行く。華奢に見えるマイカのゴーレム体のどこにそんな力があるのか、エリザベスはこの塔に来てから驚きっぱなしだった。
「お坊ちゃまとエリザベス様のお部屋は最上階にございますので、階段を行き来するときにはマイカにお声がけしてくださいませね。いつでもこうやってお椅子を動かしますわ」
そんなことを言いながらマイカはスピードを落とすことなくあっという間にエリザベスを最上階まで運んでしまった。
「それではお部屋はこちらになりますわ」
ベンチを降りてすぐの部屋のドアをマイカが開ける。部屋に足を踏み入れたエリザベスの目に最初に入ったのは大きな天蓋付きのベッドだった。
(とてもきれい……)
ベッドのシーツカバーと天蓋は同じベルベットでしつらえてあった。薄紫をうっすらと感じさせる群青に、煌めく星のようなビーズとスパンコールが細かくあしらってある。カーテンも同じ布だった。その色は夜明けの空の色。エリザベスの目の色にとても似ている。
(わたしの目の色に合わせている? わたしの顔が見えるっていうあの人の言葉、本当なのね……。でも、そうだったとしてもわたしが来る前からこれを用意できるのは不自然だわ。それともただの偶然かしら……)
椅子の布張りの部分やクッションに至るまで、絨毯以外の布はすべて同じ布を使っている。それを見て、エリザベスはこの部屋がまさに自分のために用意した部屋なのだと理解できた。そんなエリザベスの様子を見届けると、マイカは夕食までお茶を飲んでゆっくりしていてほしいと言い残して退室した。
「あ……いけない」
しばらく手触りのいいベルベットを撫でていたエリザベスはふと、自分が指にはめていた実母の形見の指輪を湯殿に忘れてきたのに気が付いた。
(何から何までマイカに任せていたから忘れてしまったのね。どうしよう。マイカは下まで行ってしまったし……)
少し考えて、エリザベスは自分で階段を降りて取りに行くことにした。実家でメイドにお願い事をして渋々対応されることが多かったので、マイカが戻ってくるのを待つより自分で行った方がいいと思ってしまったのだった。
エリザベスは次から次へともてなされることに自分が思っているより動揺していた。だから自分の後にアルフォンスが湯殿を使うと言っていたことも、この時はすっかり忘れてしまっていた。
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