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16.エリザベスとクラウス

「なじみの令息共に酒を勧められて少し酔った。酔い覚ましに付き合ってくれ」

「え……クラウス、さま」


 クラウスはエリザベスの返事を待たずにずんずんとバルコニーへ歩いて行ってしまう。こんなところをソフィアが見たらどんなことになるか、と思い周りを見回したがどこへ行ってしまったのかソフィアの姿は見えないようだった。


「何をしている、はやく来い」


 パーティ中のバルコニーは軽い密会の場でもある。エリザベスは少し警戒したが、顔がないことを理由に婚約破棄までしてきたクラウスがいまさらなにか口説くような真似をするとは思えなかったので遅れてついて行った。

 その夜は少し欠けた月が空高く昇り、ほの白い月明かりがエリザベスのドレスの飾りを反射させ静かにきらめかせていた。エリザベスはクラウスにあまり近づきすぎずに、彼が口を開くのを待った。


「弟がおかしな魔術で顔を取り戻しでもしたのかと思ったが、相変わらずあなたの顔には何もないのだな」

「……率直ですわね。もうクラウス様には関係のないことなのではないかと思います」

「それだ。そういう口ぶりも今まではなかった。それに、顔はないのに前よりも健康そうで美しいように見える」

「まあ……」


 クラウスが婚約者であった期間はほぼ10年。その中で彼が自分に美しいなどと言ったことは一度もなかった。それがいったいどういう心境の変化なのか。月明かりに照らされたクラウスは日の光の下で見るよりもエリザベスには少しくたびれて見えた。


「本当はこんなことは婚約者であった時に話しておくべきだったのかもしれないな。いや、もう婚約者ではないから話せるのかもしれない。すこしつまらない話を聞いてくれるか」

「……確かにかなり酔っていらっしゃるようですわね。いつもの調子を取り戻してから戻られた方がよさそう。わたしはもうアルフォンスの婚約者ですので、お隣にはいかずにこのままでよければ」

「助かる」


 クラウスはエリザベスに背を向けてずっと遠くを見ながら話していたが、くるりと振り向いてバルコニーの手すりに寄りかかった。いつもぴんと背筋を伸ばしていた彼が初めて見せる姿勢だった。


「父上と母上と話したと思う。父上と母上はとても仲が良い。二人とも政略結婚だ。それでもお互いを愛し合っている、らしい」


 少しおかしな言い方だった。公爵夫妻とはこのパーティで少し話しただけだが、初めてこの屋敷にやってきたエリザベスをお茶に誘ってくれた夫人は明るく朗らかだったし、夫妻の交わす眼差しに含みなど何もないようにエリザベスには見えたからだ。クラウスは静かに深いため息を細く長く吐いて話を続けた。


「私には男女の愛がわからない。そう言う人間なのだ」


 愛が……わからない。エリザベスは口の中でクラウスのその告白を小声で繰り返した。


「本来なら私は妻を娶るのに向いていない。だが私はこの公爵家の跡取りだ。妻を娶り、子を持ち、この家を繁栄させていく義務がある。だからあなたと婚約した。婚約してから少しずつ愛を知って行くこともできるかと思った。両親からは実際にそうできると言われていた。彼ら夫婦がそうだったからだ。だが駄目だった」

「そう……だったの」


 エリザベスはクラウスが自分を愛していなかったことなど知っている。今更何を聞かされているのかとすら思った。しかし、こんなにクラウスが自分に何かを話してくること自体が初めてだったので、耳を傾け続けていた。


「数日前に初めてアルフォンスから誘われて酒を酌み交わす機会があった。弟はあなたのことをとても愛しているらしいな。私は得体のしれない魔術に没頭している弟のことも気味が悪くてあまり好きではない。だがあなたが塔に来てからの弟は本当に嬉しそうだ。そしてあなたも幸せそうだ。それは私の元では訪れなかった幸せなのだろうし、あなたを弟の婚約者にしたことは正解だったと思う」


 空になったグラスを見つめながらクラウスは続ける。

 

「私はあなたとの婚約を解消したことを間違ったとは思っていない。得体のしれない呪いをかけられている女を妻にしているということが公爵としての外交をしていく上で瑕疵になるのも変わらない」

「そうですね……」

「だが、あなたの心を傷つけ続けたことへの罪をアルフォンスは追及してきた。そして殴りかかってきた。腕っぷしは私より弱いのに。少しの間殴り合った」

「ええ、アルフォンスが……? 顔とかは全然腫れてなかったですけど……」

「私は基本的に身体を狙ったからな。それから途中から場所を訓練場に変え、個人的な拳闘の模擬試合をした」


 エリザベスは自分の知らないアルフォンスの荒々しい一面をクラウスから聞かされ、その様子を想像してみようかと思ったが全然思い浮かべられなかった。


「アルフォンスは私が三発入れる間にようやく一発入れられるかといった具合だったが、それでもなかなか決意のこもった一発をくれた。そして終わった後にこう言った。『エリザベスを僕のところに送り出してくれてありがとう。絶対に世界一幸せにして見せる。だからそのために兄上もけじめを見せて』と」

「けじめ……?」


 クラウスは一度口をつぐむと、寄りかかっていた姿勢を正してエリザベスに向き直った。


「ずっと傷つけてきたことはすまなかった。婚約を解消にするにしてもあなたの面目に配慮する方法があったと思う。それを考えることを怠った私は不躾だった」

「クラウス様……」

「私の隣に居た時のあなたを私は卑屈で暗くて好きになれないと思っていたが、あなたにそうさせていたのは私だった。私の人を見る目が曇っていたことを認め、謝罪する。どうかこれからもアルフォンスを……弟を支えていってほしい」


 今さらなんだ、と思わなくもなかった。しかしクラウスがこんなふうにエリザベスに謝罪してくる日がくるとは思っていなかったし、そうなるように自分の見ていないところで奮闘してくれたアルフォンスに免じてその謝罪を受け取ろうと思った。


「わかりました。お互い望まない同士の婚約でしたが、長い間ありがとうございました。最後にひとつ、わたしからのお願いを聞いていただけますか?」

「聞こう。話してみろ」

「では、どうか。妹のソフィアをわたしのように放っておかないでください。話を聞いてあげて、笑顔を向けてあげてください。それがあの頃のわたしがあなたにしてほしかったことです。どうか、お願いします」


 ソフィアのことは好きではなかったが、不幸になればいいとはエリザベスは思っていなかった。姉妹二人ともローゼンハイム公爵家に嫁ぐ身なのだ。アルフォンスにこれ以上ないほど幸せにしてもらっている今、想いあうことはできなくても、お互い別の方向を向いて幸せになれればそれでいいと思っていた。


「あなたは優しいのだな。そんな所も私は見ようとしていなかった」

「酔いすぎですわ。もういいのです。クラウス様らしくないですわよ」

「そうだな。そろそろ戻ろう。ソフィアを怒らせる」

「わたしも、アルフォンスが心配してしまいます」


 クラウスは紳士らしく、エリザベスをエスコートしてパーティに戻ろうとした。取ったエリザベスの手指にアルフォンスから贈られた婚約指輪が光っているのを見て、彼は少しだけふ、と笑顔を見せた。

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