囚われのジーナ
『折れ枝』と呼ばれてジーナはもがくのを止め、フッ、と口角を微かに上げる。
同時に、自分を掴むお頭の手首をグッと握り、ポンと跳ねる。
そしてそのままお頭の身体に足をかけたかと思うと、トトン、と二足で、ジーナはお頭の身体を駆け登る。
「は!?」
予想外の動きにお頭が一瞬ぽかんとする。
強く握られた手首は不意にぱっと離され、反射的に力の緩んだその手の中からジーナの服がするりと逃げた。
駆け登った勢いのままジーナはぐんと反り返り、お頭の顔を蹴り飛ばして宙に舞う。
「フガッ!?」
「よっと」
伸ばした脚がヒュンと綺麗な円を描き、ジーナはそのままふわりと床に着地した。
「乱暴だなぁ、父ちゃん」
足蹴にされたお頭は後ろに数歩よろけて下がり、ジーナを驚いた目で見る。
お頭の鼻から一筋、鼻血が伝った。
「お頭!」
「ガズ様!」
部屋の扉を塞ぐように立っている3人の男たちから、驚きと心配の声が上がる。
そんなお頭……ガズに構わず、ジーナは首を捻った。
「うーん、なるほどね? 本当に闘技場に守られてた一面もあるのか。……いやその闘技場で何度も殺されかかってんだから守られてるってのとも違うなぁ?」
「な……、何をしやがるてめえ!」
「あっごめん」
ジーナはトンと一歩でガズの懐に飛び込み、
「怪我させるつもりはなかったんだ、ごめんね、父ちゃん」
と言いながらガズの服を掴み、伸び上がってその服で鼻血を拭う。
「……な」
「父ちゃん大丈夫?」
すぐ顎の下からうるうるとした目でこちらを見上げるジーナの可愛い様子に、ガズは逆に顔を青褪めさせて身をのけぞらせた。
「父ちゃん?」
「きっ……、貴様!」
「おっと」
ガズが掴みかかろうとしたその腕の中から、ジーナはフッと姿を消す。
「ど、どこへいきやがった!」
「こっちこっち」
真後ろから聞こえる声に、ガズが慌てて振り返った時には、もうそこにはジーナは居ない。
「こっちだって」
クスクスと笑う声だけを残して、ジーナはひらひらとガズの視界の外へと回り込む。
「大人しくしろ! 逃げんな!」
ガズは部屋の真ん中で、右へ左へとオロオロ回った。
「父ちゃん、上手上手。はいクルッと回ってー」
ジーナは踊るように逃げながら、手拍子で囃し立てる。
「……っいい加減にしやがれ! 逃がすと思うなよ!」
苛立ったガズはついに怒りを爆発させた。
怒鳴ると同時に、近くにあったサイドテーブルの上のものを乱暴に薙ぎ払い、部屋へと投げ散らし始める。
金の燭台、銀の皿。その皿に乗った、どこから奪ってきたか分からない宝飾品の数々。
ワインの瓶は何本も割れ、壁を汚し、床に散らかった宝飾品を濡らして無残な赤に染め上げた。
「うわあ」
ジーナは投げつけられたガラスの置物を避け、ひょいと執務机の上に飛び乗る。机の上に乱雑に置かれていた小物や酒瓶が、蹴り飛ばされてガチャガチャン! と音を立てた。
「なんでさ、逃げないよ。母ちゃんのとこに連れてってくれるんでしょ、父ちゃん」
「うるせえ! 父ちゃんって呼ぶな! いいか、俺はてめえの父ちゃんじゃねえ。リラはオレのもんだけどな、お前は邪魔なオマケなんだよ! リラもわかってるからお前を売り飛ばしたんだろうが!」
「ひっどいなぁ」
言葉とは裏腹に、ジーナはケラケラと笑う。
「もー、すぐ怒るじゃん。そんなに気が短くてよく母ちゃんに嫌われなかったね、父ちゃん」
「ガズ様と呼べ、このガキ! リラはオレの女だ! オレが決めたんだからオレの女なんだよ!」
「オレが決めたぁ?」
ジーナは目を見開いてみせた。
「えー? もしかして、母ちゃんの意思は関係ないってこと?」
「意思だぁ? このオレがオレの女にしてやるって言ってんだから、ありがたく股を開けばいいんだよ! それをあの女はグズグズ言いやがってよぅ……」
何かを思い出したのか、ガズは不意に激昂する。
「ああ、どいつもこいつも面倒くせぇ!! おい、ナイフをよこせ! てめえに預けたナイフだ!」
ガズはジーナに視線を合わせたまま、背後に手を突き出して怒鳴る。
「あ、預けた? 投げつけたの間違いだろ」
「うるせぇ! いいからよこせ!」
「はいはい……」
「さっさとしろ!」
ガズは部下の男から引ったくるようにナイフを奪い、鞘を払った。
「その減らず口が二度とたたけないよう、オレがしっかりその身体に警告を刻んでやるよ」
「えー」
ジーナは眉尻を下げる。
「ガズさぁ、さっき傷を増やすなとか言ってなかった?」
「知らねえなぁ」
「ええー」
刃物を手にして余裕が生まれたのだろう、ガズはにやりと笑った。
「知ってるぞ、『折れ枝』。狭いところで戦うのは苦手だろう。ほら、追いかけっこだ、一回捕まるごとにその貧弱な身体にナイフでバツ印を刻んでやるよ」
さーてどこから刻むかなぁ、とニヤつきながら、刃に厚みのある、重そうなナイフを、ガズは手の中で軽々と回す。
机の上に立ったまま、ジーナは小首を傾げる。
「あー、うんまあ、狭いとこは飛び回れないから苦手なんだけどさ。ここはむしろ……」
元は役場か領主の屋敷だったのだろう。
広い部屋。
高い天井。
壁には作り付けの本棚。良い足場になりそうだ。
部下の男三人が塞ぐように立っている重厚な両開きの扉は、引き開ける用の取手が付いているが、鍵穴は見えない。
それらを確認するようにきょろりと部屋を見回したジーナの様子を、怯えていると思い込んだガズは、にやりと笑ってナイフをジーナに突きつける。
「決めたぁ。まず片目に刻み目を入れてやるよ。復讐だぁ」
ガズはニヤニヤとよだれを垂らさんばかりに笑い、ナイフを自分の目に向けた。
「オレのこの目の傷、リラのやろうが付けたんだよ。あの女、素直に股を開かねえから、ちょっと殴ったら斬りつけてきやがった」
ペッ、と床につばを吐く。
「おかげでこっちの目は見えにくくなっちまった。不便で仕方がねえ。お前も同じ目に合わせてやるよ」
「え、お頭、リラは自分のモンにしたって言ってなかったか? ヤレてねえのか?」
扉を塞ぐように立っている男たちのひとりがキョトンと問う。
「うるせえ! リラはオレの女だよ! オレがオレのモンって決めたんだからオレのモンだ!」
「そ、そうかぁ、うん、そうなのか」
ガズの剣幕に男はコクコクと頷くしか出来ない。
そこへ、もうひとりが口を挟む。
「えっ、じゃあモノにした女をすぐに領主様に売っちまったのか? あんないい女を勿体ねえなぁ……」
領主様。
ジーナの目が光る。
――ふうん、領主様ね。
「てめえは黙れ! オレがオレのモンを売って何がおかしいんだ!」
「わ、わかったよ、おかしくねえよ……」
男たちはジーナそっちのけで口論をしている。
その隙に執務机の上の酒瓶にそっと手を伸ばしたジーナだったが。
「動くんじゃねえ、ガキ!」
耳元を掠めるようにナイフが飛んできて、机の背後の書棚に刺さる。鈍い音とともに、棚から埃が舞い上がった。
「あっぶなぁ」
ジーナが目を見開いて言う。
「コントロール悪すぎない? 今ココ狙ってたよね」
ジーナは自分の肩口をトントン、と指先で突付いた。
その様子にガズはケケッと笑う。
「ビビったか? だがもう謝っても遅いぞ」
「いやいや、今避けたじゃん私……」
「ほーらもう逃げ場はないぞ、今捕まえてやるからな、覚悟しろ」
「いや武器投げちゃったじゃん……」
ニヤニヤと距離を詰めてくるガズを呆れた目で見ながら、ジーナはじりじりと執務机の上を後退る。
その時。
「あっ」
ジーナがよろけた。
机に転がった酒瓶を踏んで、あおむけに倒れて大きな執務机の向こうへと姿を消す。ガシャン! と瓶の割れた音がした。
「バカが!」
ニイっと笑ったガズが、転んだジーナを捕まえようと走る。
机の向こうに回り込んだかと思うと、ジーナに向かって屈んだのか、そのままフッと机の陰に姿を消した。
あーあ、あの小娘も終わりだな、と、見ていた男たちが思った瞬間。
「ギャアッ!!」
ガズの叫び声が部屋中に響いた。
* * *
ジーナは、転んだふりであおむけに倒れると、机の上でくるりと後転して床に降りた。
転がると同時に酒瓶を手に取り、机の縁でガシャンと割っておく。
そこへ、ガズが無防備に駆け込んで来た。
その足首に、身を低くしたジーナが肩から突っ込む。
ガズはあっさりと足をもつれさせ、ガラスの欠片の中に突っ込むように転んだ。
* * *
「ギャアアッ、手っ、手が、足がぁ!」
「どうした、お頭!」
男たちが驚いて駆け寄って来る。
ジーナは素早く本棚に飛びつき、そこに刺さったナイフを抜き取った。それを持って再び机に飛び乗ると、オタオタと走ってくる男たちの間に飛び込んで、矢のようにまっすぐ駆け抜ける。
「バカどもっ! その小娘を逃がすな!」
ガズが怒鳴る。
「はん、愚図に捕まるほど間抜けじゃないよ」
扉に駆け寄ったジーナの前で、不意に扉が反対側から僅かに押し開けられ、その隙間から数人の男がこちらを覗き込んだ。
「なんだなんだ?」
「どうしたんです!?」
「その小娘を捕まえろ!!」
ガズが叫んだ。
「うわ」
一斉にこっちを見た男たちの視線を受け、ジーナは舌打ちをする。
「思ったより人数いるじゃん、面倒くさいなぁ」
ジーナは走り込んだ勢いのまま扉を体当たりで閉め、扉の取っ手にナイフを閂のように差し込んだ。
ガタガタ言う音とともに、「なんだ? 開かねえ」「大丈夫っすか、お頭!」などの声が扉の向こうから聞こえてくる。
「大した時間稼ぎでもないけど、まあ……」
ジーナはガズを振り返る。
「……やれるでしょ」
ジーナの視線の先で、3人の男たちが各々ナイフを取り出していた。




