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心はB♭で響いている  作者: World of Tukimoto
第1章 響く音響編 —始動—

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97話 夢なら、覚めてくれ

昨日と今日。その間にあるのは、本当に一日だけなのだろうか。

誰も疑わない。

誰も気づかない。

ただ一人を除いて。

響(ひびき)は、朝起きた時から表情が変わらなかった。


何かがおかしい。

そう思っているはずなのに。

何がおかしいのか、それすら分からない。


ただ、胸の奥に薄い違和感だけが残っていた。

響は、いつものように音楽室へ向かった。


そして。

扉を開けた瞬間。

足が止まった。


壁には、見慣れないものが飾られていた。


額縁。

その中には、賞状と記念写真。


そして、その横には大きく――。


           銀賞

    第61回 全日本吹奏楽コンクール

    東海支部代表 長野県東縁(とうえん)高等学校

   課題曲Ⅰ / 自由曲 黎明(れいめい)〜到来の夜明け〜

         作曲:能世林(のぜはやし)


「…………」


響は、何も言わなかった。

ただ、その文字を見つめていた。


銀賞。

全日本吹奏楽コンクール。

全国大会。

東縁高校。


どれも知っている。

どれも、自分に関係している。


なのに。

どうして。


「…………なんで?」


声が、こぼれた。

響は、ゆっくりと記念写真へ目を向ける。

そこには、全国大会を終えた部員たちが写っていた。


見覚えのある顔。

知っている先輩たち。

そして――若田(わかだ)先輩。


「…………」


響の視線が、写真の中をゆっくりと動いていく。


一人。

また一人。


けれど。

そこに、自分の姿はなかった。


「…………あれ?」


小さく呟く。

けれど、その違和感の意味を考えるより先に。


響の頭には、昨日のことが浮かんでいた。


昨日。

そうだ。

昨日のことなら、覚えている。


若田先輩と話した。

東堂(とうどう)先輩とも話した。


そして――。


『お互いの百万倍を、ぶつけましょう』


確かに、そう言った。

約束した。


全国大会のオーディションで、今度こそ本気で勝負するって。


なのに。


「……なんで、こんなものが?」


響は、額縁に近づいた。


賞状。

記念写真。

そこに書かれた日付。



10月27日(日)



今日は、

11月22日(金)


全国大会は、もうとっくに終わっている。約一ヶ月も経っていた。


「……もう、全国は終わった?」


響は呟いた。

自分で言っておきながら、その言葉の意味が分からなかった。


何を言っているんだ。

全国大会は、これからだ。

オーディションだって、まだ。


だって。

昨日。

昨日、若田先輩と――。


「…………」


そこで、響は言葉を失った。


昨日。

本当に昨日だったか?


いや、昨日だ。

間違いない。


自分は昨日、眠った。

そして、今日、目を覚ました。


ただ、それだけのはずだ。


なのに。

目の前には、全国大会の結果がある。


そして。

写真の中には、自分がいない。


「……何を、言ってるんだ」


自分自身に言い聞かせるように呟く。


悪い夢でも見ているのか?

そう思った。


けれど。

目の前の賞状は消えない。

写真も消えない。


何度、目を擦っても。

何度見直しても。


そこにある。

確かに、そこにある。



昼休み。

響は、来島(らいとう)や陽翔(はると)、奏多(かなた)、永井(ながい)たちと一緒に昼食を取っていた。


いつもと変わらない昼休み。


くだらない世間話。

授業の話。

部活の話。


そして。


「そういえば、もうすぐアンコンだね!」


奏多が、どこか嬉しそうに言った。


「張り切らないと!」


「お前、張り切るのはいいけど、まず練習しろよ」


陽翔が笑う。


「してるって!」

「本当かよ」

「本当だって!」


いつもの会話。

いつもの空気。


けれど。

響だけは、そこにいなかった。


目はぱっちりと開いたまま。

口は、わずかに半開き。

何か一点を見つめるように。

まるで、感情そのものが抜け落ちてしまったかのような顔をしていた。


「……」


そんな響を見て、陽翔が声をかける。


「響」


「……」


「今日、ずっとそんな顔だけど、大丈夫か?」


響は反応しない。


「響?」


少し間を置いて。


ようやく、響が陽翔を見る。


「……え?」


「いや、だから。今日ずっと変だぞ」


永井も会話に入ってくる。


「確かに、なんか今日変だよ。大丈夫?」


「…………」


響は二人の顔を見た。


みんなは、何を言っているんだ?

僕は、何もおかしくない。


ただ。

分からない。

分からないことが、多すぎる。


響は、ゆっくりと口を開いた。


「ねぇ」


「ん?」


「昨日、僕……何してた?」


「…………」


その場の空気が止まった。


「え?」


奏多が首を傾げる。


「何って……?」


「僕、誰かと……話してた、よね?」


響の声は、どこか確認するようだった。


「そうだよね?」


「……いや、だから、え、いや、え?」


陽翔が困惑した表情を浮かべる。

響は、周囲の顔を一人ずつ見る。


「まだ……全国、終わって、ないよね?」


「…………」


誰も答えられない。

響だけが、真剣だった。


そして。

奏多が、何かを理解したように微笑んだ。


「もちろん!」


明るい声だった。


「まだ来年、再来年とチャンスがある。次は絶対、金取るよ!」


「……」


響の目が、さらに大きくなる。


「終わって、ない、よね?」


奏多が何かを言おうとする。


しかし。

その前に響が遮った。


「終わって、ない、よ、ね?」


その声は、さっきよりも小さかった。

来島が、不思議そうに響を見る。


「……つーか、そもそも」


「…………」


来島は何気なく言った。





「お前、昨日も早退したじゃん」




「え……?」



来島は続ける。


「まだ、引きずってんのか?」


何を、何を言ってるんだ。

来島君、君は、一体、何を?


「まぁ、確かに大変だったもんな。まぁ無理すんなって。ちゃんと安静に」


「は?」


響は来島に向かってそう言い放った。


「え、は?って、え?」


来島も本気の困惑。


「そだ――」


響は静かに立ち上がる。


「嘘、だ。嘘だ、嘘だ」


「ちょ、え、響君?」


もはや響には届いていなかった。

響はそのまま教室を後にする。


来島達は目を見合わせていた。



嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ



そんなわけがない。


だって。

昨日、確かに話した。


若田先輩と。

東堂先輩と。

全国大会のオーディションで。


今度こそ。

本気で。


「…………」


なのに。

全国大会は、終わっている。


銀賞。

10月27日。


今日は11月22日。


一ヶ月近く。

一ヶ月近くも。


自分は何をしていた?


いや。

違う。

そんなはずはない。


僕は昨日、眠った。

ただ眠って。

今日、起きた。


それだけだ。

それだけのはずなのに。


どうして。

どうしてみんなは、何もおかしいと思っていない?


どうして僕だけが。

どうして。


「…………」


分からない。

何も分からない。


昨日の記憶はある。

ちゃんとある。


若田先輩の声も。

表情も。

あの約束も。

全部、覚えている。


なのに。

その後がない。


いや。

その前も。


どこからが昨日で。

どこからが今日で。

どこからが――。


「……僕は」


自分の声が震えていることに気づいた。


「僕は……何を忘れてる?」


答えは返ってこない。

誰に聞けばいい。


若田先輩?

でも、若田先輩は写真の中にいた。


全国大会を終えた部員たちの中に。

僕の知らない時間を過ごしたみたいに。


「…………違う」


違う。

違う違う。

そんなわけがない。


僕はここにいた。


ずっと。

ずっと、ここに――。


「…………」


違う。

もしかして。


ここにいなかったのは。

僕の方なのか?


そんな考えが頭をよぎった瞬間。


響は足を止めた。

怖かった。


その考えだけは、認めてはいけない気がした。


けれど。

否定するための記憶が、どこにもなかった。


「……なんで」


声が漏れる。


「なんで、僕だけ……」


何かを失った。

その感覚だけが。


はっきりと残っていた。


なのに。

何を失ったのかすら分からない。


それが。

何よりも怖かった。


「覚めろ……」


響は歩き出した。


一歩。

また一歩。


「覚めろよ……」


何度も首を振る。


違う。

違う。

違う。

こんなのは違う。


だって。

全国なんて、まだだ。

まだ終わってない。


若田先輩と、オーディションを。


ちゃんと。

ちゃんと――。


「……あれ?」


足が止まった。


今。何を?

思い出そうとした?


若田。

全国。

オーディション。


それから。

それから……。


「…………」


何もない。

何も。

何もない?


いや。

違う。

ある。

絶対にある。


自分は知っている。

知っているはずなのに。


知らない。

知らない。

知らない。


「……覚めろ」


声が小さくなる。


「覚めろよ……」


返事はない。

廊下は静かだった。


いつもの学校。

いつもの景色。

いつもの東縁高校。


なのに。

そこにいるはずの自分だけが。


どうしても、いつもの自分じゃない。


「……なんで」


息が乱れる。


「なんでだよ……」


思い出せない。


何を忘れている?

何を失っている?


そもそも。

僕は。

いつからここにいる?


昨日は?

一昨日は?

その前は?

全国大会は?

若田は?

三年生は?


――待て。


全国大会?


「……全国?」


その言葉を口にした瞬間。

頭の奥で何かが引っかかった。


けれど。

掴めない。


あと少し。

あと少しなのに。


届かない。


「……っ」


響は目を閉じた。


暗くなる。

それだけだった。


目を開ける。

同じ景色。

夢じゃない。


「…………」


じゃあ。

これは何だ。

自分の記憶が間違っているのか。


それとも。

今見えているものが間違っているのか。


分からない。

分からない。

分からない。


「僕は……」


言葉が続かない。

自分が何者なのかさえ。


一瞬だけ。

分からなくなった。


そして。


その瞬間。

響は初めて思った。


もしかしたら。

忘れているんじゃない。

――誰かに、忘れさせられているんじゃないか。


「…………違う」


すぐに否定する。

そんなわけがない。

そんなこと、あるはずがない。


なのに。

一度浮かんだその疑念は。

もう、頭から消えてくれなかった。


すると突然、何かにぶつかった。


「……?」


響はよろめいた。

前を向いていなかったのだ。

ぶつかるのは、当然だろう。


けれど。

そんなことすら、今の響にはどうでもよかった。


しかし、


ゆっくりと。

ゆっくりと顔を上げる。


そこにいたのは――。


「ぶ、部長?」


久瀬真奈美(くぜまなみ)だった。

君は、僕に約束したはずだ。なのに......

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