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心はB♭で響いている  作者: World of Tukimoto
第1章 響く音響編 —始動—

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88話 もう、逃げない

文化祭という一日は、いつもとは少し違う時間を作ってくれる。

笑って。

遊んで。

仲間と過ごして。

けれど、楽しい時間はいつまでも続くわけではない。

それぞれの場所で過ごした午前が終わり、彼らは再び音楽のある場所へ戻っていく。

文化祭では、普段あまり一緒に行動しない相手と過ごすこともある。


この日、香久山(かぐやま)と今伊(いまい)も、二人で校内を回っていた。


「あ、二人とも。アミーゴ!」


「ん?」


声をかけられて振り向く。

そこには、こんな看板が掲げられていた。


3-2

トレジャーハント


その看板を片手に、久瀬(くぜ)が二人を呼び止めていた。


「おぅ、部長か。って、やる気すごいな」


久瀬は冒険服にフェドラハット。

いかにも冒険家といった格好をしている。


「ちょうど宣伝係しててね。通りかかったからさ。あ、うちのクラス並ぶ?結構楽しいんだ」


「断る」


「早ッ、即答?!」


香久山は、看板の先にできている長い列を見ながら、そっけなく答えた。


「こんな並んでて長々と待つか?普通」


「まぁまぁ、そこまで言わなくても」


今伊が苦笑しながら宥める。

そのときだった。


「あ、あったあった。ここだよ、ここ!」

「ち、ちょっと、まってってばー!」


少し遠くから、聞き覚えのある声が聞こえてきた。


振り向くと、笑顔でこちらへ向かってくる来島(らいとう)の姿があった。


その後ろには、響(ひびき)と陽翔(はると)もいる。


「なんだ、三人もいたんだ」


「ほら、早く並ぼうよ!」


来島は二人を急かしながら、トレジャーハントの列へ向かっていく。


さっきまで『絶望迷宮』で逃げ出していたとは思えないほどの勢いだった。


「ちょっと待て」


香久山が声をかける。

しかし、来島は止まらない。


「先輩たちも一緒にやりましょうよ!」


そう言って、来島は香久山と今伊まで無理やり列へ並ばせた。


「おいおい……」


香久山は困ったように眉を寄せる。


「まぁ、来島がそこまで言うなら」


結局、香久山は折れた。


「後輩には本当甘いな」


今伊が呆れたように笑う。


「うるさい」


香久山はそう返しながらも、列から抜けようとはしなかった。



そうして、一般公開の午前の部が終わった。


午前中から校内を歩き回っていた生徒たちは、少しずつそれぞれの場所へ戻っていく。


吹奏楽部の部員たちも、休憩のため音楽室へ集まっていた。


「疲れたぁ……」


誰かが椅子に座るなり、机に突っ伏した。


「分かる。思ったより歩いた」

「俺なんて絶望迷宮で走ったからな」

「それはお前が勝手に逃げただけだろ」

「だって怖かったんだもん」

「まだ言ってるし」

「茅野、あのパフェ本当に食い切ったんだ」

「ブラックホールかよ」


部屋のあちこちから笑い声が起こる。


「でも、楽しかったな」

「うん。こういう文化祭もいいよね」

「午前中だけでも結構いろいろ回れたし」

「トレジャーハント、意外と面白かった」

「いや、あれ待ち時間長すぎだろ」

「でも楽しかったじゃん」

「まぁ……楽しかったけど」


それぞれが午前中の出来事を振り返りながら、思い思いに話している。


「そういえば、あそこのクラスの展示見た?」

「見た見た。結構すごかった」

「俺は食べ物の方がよかったな」

「結局それかよ」

「文化祭なんだから食べるだろ、普通」

「午後も食べる気?」

「当然」


また、笑い声が響く。


響も椅子に座りながら、その会話を聞いていた。

朝からずっと歩き回っていたせいか、少し疲れている。


けれど、不思議と嫌な疲れではなかった。


「……なんか、文化祭って楽しいな」


響がぽつりと呟く。


「今さら?」


隣にいた陽翔が笑う。


「いや、こういうのちゃんと参加するの、初めてだから」


「そっか」


陽翔は、それ以上何も言わなかった。


ただ、少しだけ笑っていた。


「でも、午後もあるんだよな……」


誰かが時計を見る。


「まだ結構時間あるじゃん」

「いや、すぐだよ」

「その前に飯食おうぜ」

「午後の部も回るんだから、ちゃんと休まないと」

「お前ら、もう午後の話してるのかよ」


そんな会話が続いていく。


笑って。

疲れて。

思い出を話して。


午前中にできた思い出を、互いに共有していく。

けれど――。


「……そろそろ、俺たちの番だな」


ふと、誰かがそう口にした。

部員たちの表情が少しだけ変わる。


そう。

今日の文化祭は、遊ぶだけでは終わらない。


午後には、自分たちの出番が待っている。

スペシャルコンサート。


そのために、ここまで準備してきた。


「まあ、まだ時間あるけどな」

「でも、そろそろ切り替えないとな」

「せっかくのコンサートだし、ちゃんとやろう」

「もちろん」


さっきまでの笑い声とは少し違う、落ち着いた空気が音楽室に広がっていく。


それでも、誰も嫌そうな顔はしていなかった。

むしろ――。


「楽しみだな」


来島が、ぽつりと呟いた。

その言葉に、何人かが頷いた。


文化祭の午前の部は終わった。


そして。

彼らの一日は、まだ終わらない。



「……そろそろ、奏多(かなた)君来てもいい頃だと思うけど」


響が、ふと時計を見ながら呟いた。


「そうだな」


陽翔も時計を見る。


文化祭の午前の部が終わり、午後の部が始まろうとしている。


奏多は午後から来ると言っていた。

なら、そろそろ来てもおかしくない。


そんなことを考えていると。


陽翔が、手にしていた一冊の楽譜ノートを持って、音楽室の隅へ向かった。


そこには、柊木(ひいらぎ)が一人で座っていた。


「柊木」


「……ん?」


柊木が顔を上げる。


「何?」


「ちょっといいか」


陽翔は柊木の前に立った。


「奏多のことなんだけど」


その名前を聞いた瞬間、柊木の表情が僅かに変わった。


「……奏多が、どうしたの?」


「まだ、ちゃんと話せてないんだろ?」


「……うん」


柊木は視線を落とした。


「僕も、どうしたらいいのか分からないんだよ」


「そうか」


陽翔は少しだけ考えるように黙った。


そして。


「……頭いいお前なら――」


そこまで言って、言葉を止める。


「いや」


陽翔は首を横に振った。


「それは関係ないな」


「……?」


「実際、お前が残した火種なんだ」


柊木が少しだけ眉を寄せる。


「……分かってるよ」


「だったら」


陽翔は、まっすぐ柊木を見る。


「お前だからこそ、できるって信じてるからな」


「……!」


柊木の表情が変わった。


「ちょっと待ってよ」


思わず、少し強い口調になる。


「なんで僕が……」


「俺は責めてるんじゃない」


陽翔は落ち着いた声で返した。


「ただ、今のままじゃ駄目だろ」


「……」


「ずっとギスギスしたままでいたいのか?」


柊木は答えられなかった。


そんなわけがない。

本当は、自分だって話したい。


奏多と、もう一度。

以前みたいに。


けれど、どう声をかければいいのか分からない。


怖かった。

また拒絶されたら。

また傷つけたら。


そう考えると、一歩が踏み出せなかった。


陽翔は、そんな柊木を見ながら、手にしていた楽譜ノートを差し出した。


「これ」


「……何?」


「読めば分かる」


柊木は不思議そうにノートを受け取った。


「じゃあな」


「え?」


陽翔はそれだけ言うと、その場を離れていった。


「……」


柊木は、手元のノートを見つめる。


そして。

ゆっくりと表紙を開いた。


そこに書かれていたものを見た瞬間。


「……あ」


柊木の目が、大きく開いた。


陽翔が言いたかったことが、ようやく分かった。


誰かが悪いわけじゃない。

奏多だけが悪いわけでもない。

自分だけが悪いわけでもない。


それでも。

このままでは、何も変わらない。


そして――。

その火種を残した自分だからこそ。

自分にしか、できないことがある。


柊木は、もう一度ノートへ目を落とした。


その表情には、ほんの少しだけ。

決意が浮かんでいた。



しばらくして。

音楽室に、部員たちが少しずつ集まり始めた。


楽器の準備をする者。

譜面を確認する者。

友達と話しながら、最後の休憩を取る者。


やがて、部員全員が揃った。


「よし、これで全員かな」


久瀬が周囲を見渡す。

 

「奏多君が、まだ来ていません」


守田(もりた)が手を挙げながら口を開く。


「そろそろ来ると思うんだけどなぁ」


そのとき。


ガラッ。

音楽室の扉が開いた。


「おっと、もう集まっていましたか」


入ってきたのは、瞬崎(しゅんざき)だった。


「はい!準備も終わってます。奏多君はまだ来ていませんが」


「如月(きさらぎ)君ですか。了解です」


久瀬の返事を聞きながら、瞬崎は軽く頷いた。


そして、部員たちの前に立つ。


「では、少しだけ」


音楽室が静かになる。

瞬崎は、一度部員たちを見渡した。


「今日の演奏ですが」


そこで、一度言葉を切る。


「別に、コンクールのようにガチガチにやる必要はありません」


部員たちの表情が少し緩む。


「むしろ、そうはしてほしくないと思っています。というか、コンクールでもガチガチはしてほしくないですが」


「……」


「今日は文化祭です」


瞬崎は穏やかに続ける。


「自分たちが楽しむ日でもあります。だから、失敗しないように、完璧に、なんて考えすぎなくていい。普段通りでいいんです」


部員たちは黙って話を聞いていた。


「ただし」


瞬崎の声が、ほんの少しだけ真剣になる。


「一つだけ、忘れないでください。今日、ここまで来てくださったお客さんがいます。わざわざ時間を作って、私たちの演奏を聴きに来てくださる人たちです」


瞬崎は、ゆっくりと部員たちを見渡した。


「楽しませてもらうだけではなく、楽しんでもらうことも考えてください」


「演奏する側が楽しんでいることは、大切です。でも、それと同じくらい、聴いている人がどう感じるかも大切です」


誰もが静かに頷く。


「難しく考える必要はありません。笑顔で演奏してもいいし、多少間違えてもいい。いつもより少しだけ大胆に吹いてもいい」


さらに前へ出る。


「ただ、目の前にいる人たちへ、音楽を届ける。それだけは忘れないでください」


瞬崎はそこで言葉を止めた。


しばらくして。

ふっと、いつもの穏やかな表情に戻る。


「それでは」


部員たちの顔を一人ずつ見渡す。


「全力で楽しんできてください」



体育館裏。


吹奏楽部の部員たちは、整列しながら静かに出番を待っていた。


すでに楽器は準備されている。

譜面も確認した。


あとは、呼ばれるのを待つだけだ。


「……なんか、緊張してきた」


誰かが小さく呟いた。


「今さら?」

「いや、だって本番だぞ?」

「文化祭のコンサートなのに?」

「それでも緊張するものはするだろ」

「手、震えてきた……」

「落ち着けって」

「お前は緊張しないのかよ」

「してるよ」

「してるんじゃん!」


小さな笑いが起こる。


けれど。


笑っている声の奥には、やはり緊張があった。


「ちゃんと音出るかな……」

「楽器の調子は大丈夫?」

「さっき確認した」

「譜面、持った?」

「持った」

「リード大丈夫?」

「大丈夫」


一人ひとりが、最後の確認を繰り返している。


「……いよいよだな」


来島が呟いた。


「うん」


響も、自分の楽器を見つめる。

胸の奥が、少しだけ速く鼓動している。


今日は、たくさんの人が自分たちの音楽を聴きに来てくれている。


「……楽しんでこよう」


響は小さく呟いた。


そのときだった。


「はぁ……はぁ……!」


体育館裏に、誰かが駆け込んできた。


「間に合った……!」


陽翔が顔を上げ、叫ぶ。


「奏多!!!!」


全員が一斉に振り返る。


そこに。

奏多が立っていた。


「……間に合った、よね?」


少し息を切らしながら、奏多が笑う。


「お前、遅いんだよ!」

「もう来ないかと思ったぞ!」

「午後から来るって言ってたじゃん」

「本番直前まで来ない奴があるか!」

「ごめんって」


奏多は苦笑しながら答える。

その姿を見つめる者もいた。


驚いた顔。

嬉しそうな顔。

ほっとした顔。


そして――。

柊木も、奏多を見つめていた。


しばらく、何も言わなかった。


やがて。

柊木は一歩、前へ出る。


そして。

まっすぐ奏多の前に立った。


「……柊木、君?」


奏多が首を傾げる。


柊木は答えない。

ただ、手にしていたものを差し出した。


一冊の楽譜ノート。


「これ」


奏多が目を落とす。


そして。

柊木の顔を見る。


二人の間に、短い沈黙が流れた。


文化祭の喧騒が、遠くに聞こえている。


「奏多君が、どんな気持ちだったのか……今なら少しだけ、わかる気がする」


「柊木君?」


すると、扉が開く。


「吹奏楽部、お願いします」


係の人が扉から顔を出した。

それと同時に、部員達が次々と体育館に足を踏み入れていく。


柊木は奏多の肩に手を置くと、


「君を変えられるのが僕なら……僕は、もう逃げない」


「え、それってどういう…」


それだけ告げ、柊木は列の中に消えていった。

文化祭には、いろいろな時間がある。

誰かと笑った時間。

何気ない話をした時間。

思いがけない出来事に出会った時間。

そして、音楽を奏でる時間。

それぞれの思いを抱えながら、彼らは舞台へ向かう。

感想、評価、ブクマ、レビューも是非お願いします。

次回もお楽しみに!!

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