↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
心はB♭で響いている  作者: World of Tukimoto
第1章 響く音響編 —始動—

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

77/102

77話 静かに崩れる世界

大会が終わったあとに残るものは、達成感だけではない。むしろ本当の意味での“現実”は、そのあと静かに姿を現す。

うまくいった者も、届かなかった者も、同じ場所に立っているはずなのに、見えている景色は少しずつ違っていく。

言葉にならない不安は、時に小さな噂となって広がり、気づかないうちに誰かの心を揺らしていく。

音楽が鳴り止んだあとも、物語は止まらない。ただ、その形を少しずつ変えながら続いていくだけだ。

翌日。


東縁(とうえん)高校吹奏楽部を乗せたバスは、長い移動を終え、長野県へと戻ってきた。


見慣れた校舎が視界に入ると、どこか張り詰めていた空気が少しだけ和らぐ。


「帰ってきたな……」


誰かがぽつりとつぶやく。


バスがゆっくりと正門前で停車し、部員たちは順番に降りていった。


すると、そこには校長をはじめ、多くの教職員たちが並んで待っていた。部員たちの姿が見えると、自然と大きな拍手が広がる。


「皆さん、本当にお疲れさまでした!」


校長が笑顔で一歩前へ出る。


「そして――全国大会出場、おめでとうございます!」


再び大きな拍手が響く。


「創部以来、初の全国大会出場です。本当に素晴らしい結果でした」


教頭をはじめ、先生たちも次々と祝福の言葉を送る。


「おめでとう!」

「よく頑張ったな!」

「全国でも東縁らしい演奏を期待しているぞ!」


思いがけない歓迎に、部員たちは少し照れくさそうに笑いながら頭を下げた。


「ありがとうございます!」

「応援ありがとうございました!」


全国大会への切符を手にした喜びが、ようやく現実のものとして胸に広がっていく。


けれど、その笑顔の裏では、まだ誰も知らない出来事が、静かに動き始めていた。


職員室へ戻ると、瞬崎は机の上に荷物を置き、小さく息をついた。


その時だった。


「瞬崎(しゅんざき)先生」


声を掛けられ、振り返る。

そこには瀬戸川(せとがわ)が立っていた。


「お疲れ様でした」


「ありがとうございます。瀬戸川先生も、お疲れ様でした」


互いに軽く頭を下げる。

瀬戸川は穏やかに笑みを浮かべた。


「まさか、本当に全国大会へ出場する日が来るとは思いませんでした」


少しだけ遠くを見るように目を細める。


「ここは、長い間ずっと地区大会で銅賞止まりでした。県大会すら夢のまた夢。それが当たり前になっていたんですから」


静かに息をつく。


「それが今では東海大会を勝ち抜き、代表として全国大会へ出場するまでになった……本当に信じられません」

瀬戸川は改めて瞬崎へ視線を向ける。


「もちろん、ここまで努力してきた部員たちが一番素晴らしいです。ですが、その部員たちをここまで導いた瞬崎先生も、本当にすごい方ですね」


少し照れ笑いを浮かべる。


「正直、同じ教師として尊敬していますし……少し圧倒されてしまいます」


瞬崎は静かに首を横へ振った。


「ですが、ここから先は今までと同じようにはいきません」


瀬戸川は真剣な表情で耳を傾ける。


「今年の私たちは、挑戦者でした。だからこそ、失うものなくぶつかることができた」


一度言葉を切り、静かに続ける。


「しかし、東海大会でエーストリア学園を破ったことで、その状況も変わります。東海三神(とうかいさんじん)の一角を倒した学校として、下剋上の名は全国へ轟いていることでしょう」


瞬崎は窓に視線を向け、続ける。


「全国大会ではもちろん、来年以降も、私たちはこれまで以上に警戒される存在になります。研究され、対策され、それでも勝たなければならない。それが、一度結果を残した学校の宿命です」


瀬戸川は静かにうなずいた。


「……それも含めてまた、やるんでしょう。オーディションを」


その言葉に、瞬崎は迷うことなく笑みを浮かべる。


「もちろんです。全国大会で吹くにふさわしい、東縁高校吹奏楽部(わたしたち)の真の奏者を集めます。全国へ行くからこそ、妥協はできません。誰であろうと、もう一度その座を勝ち取ってもらいます」


瀬戸川はその言葉を聞き、小さく笑みをこぼした。


「これから、さらに忙しくなりますね。」


瞬崎も穏やかに笑みを返す。


「ええ。もう、成り上がり者ではありませんから」


――プルルルル。


静かな職員室に、一本の電話が鳴り響く。

瞬崎は受話器を手に取った。


「はい、東縁高校。……瞬崎です。」


しばらく相手の話に耳を傾ける。


「……はい。……え?」


その表情が、わずかに変わった。

目を見開き、息をのむ。


「……それは、本当ですか?」


職員室の空気が静まり返る。瀬戸川も、思わず瞬崎の様子を見つめていた。


瞬崎は短く返事をし、静かに受話器を置く。


沈黙が流れる。


瀬戸川がおそるおそる口を開いた。


「……何か、あったんですか?」


瞬崎はしばらく黙っていた。

そして、静かに答える。


「……月本(つきもと)君が、記憶障害になったそうです」



その知らせは、本来ならまだ部員たちの耳に入るはずのないものだった。


けれど、学校という場所では、一つの出来事が思いがけない速さで広がることがある。


職員室で交わされた会話を、偶然耳にしてしまった生徒がいた。


「……え?月本が?」


その一言が、別の生徒へ。

そしてまた別の生徒へ。

噂は、あっという間に校内を駆け巡っていった。


当然、その話は吹奏楽部にも届く。


「嘘……だよね?」

「記憶障害って……どういうこと?」

「前まで普通だったじゃん……。」

「全国大会は……?」


戸惑いの声が、部室のあちこちから聞こえてくる。

誰も確かなことは知らない。


知っているのは、「月本響(ひびき)が記憶障害になったらしい」という噂だけ。


だからこそ、不安だけが静かに広がっていくのだった。



柊木(ひいらぎ)は最初、その噂を信じようとはしなかった。


(そんなはずがない)


響が記憶障害?

そんな言葉を、簡単に受け入れられるわけがない。


「どうせ誰かの勘違いだ」


そう自分に言い聞かせる。


だが、時間が経つにつれ、その話は校内中へ広がっていった。


「本当らしいよ」

「職員室で先生が話してたって」

「病院から連絡があったんだってさ」


誰もが、まるで事実であるかのように口にする。


(違う。)

(そんなわけない。)

(あいつが……。)


胸の奥で何かが軋む。


(あいつは……。)

(やっと……。)

(ようやく……。)


途切れ途切れに、誰かの笑顔が脳裏をよぎる。


夕暮れ。

何かを必死に追い掛ける背中。


「約束だ」


誰かの声。


「絶対、忘れるな。」


(忘れるな……?)


その言葉だけが、頭の中で何度も何度も繰り返される。


(忘れるな……。)

(忘れるな……。)

(忘れるな……。)


「柊木君?」


どこか遠くから声が聞こえた。


「……」


「柊木君?」


現実の音が少しずつ近づく。

だが、耳には届いているのに意味を持たない。


(違う。)

(響が忘れるわけがない。)

(あいつだけは……。)


「柊木君!」


肩を軽く揺さぶられる。

その瞬間。


「――うるさいッ!!!!」


反射的に腕を振り払う。


ドンッ。

「うわっ!」


奏多(かなた)の体が大きくよろめき、そのまま床へ倒れ込んだ。


空気が、一瞬で凍りつく。

柊木だけが、荒い呼吸を繰り返していた。


奏多は、目の前にいる柊木の表情を見つめたまま、一歩も動けない。


柊木のその表情は、今まで一度も見たことのない顔だった。

怒りでもない。

悲しみでもない。


何かが壊れてしまったような、張りつめた表情。


その目を見た瞬間、奏多は思わず息をのんだ。


「……僕、そんなに君に迷惑をかけるようなこと、した?」


震えた声が静かな教室に落ちる。


柊木は荒い呼吸を繰り返したまま、何も答えられない。


「ごめんね……」


奏多は無理に笑おうとした。


「無理に話してほしいなんて言っちゃって。僕、バカだからさ、こういう時、周りの空気を読むのとか、本当に苦手なんだ」


その笑顔は最後まで形にならなかった。


静かに立ち上がる。

頬を伝う涙を拭うこともなく、小さく頭を下げた。


「ごめんなさい」


一歩。


「ごめんなさい」


また一歩。


「ごめんなさい……」


その言葉だけを繰り返しながら、奏多は教室を後にした。


扉が静かに閉まる。

――パタン。


その音が響いた瞬間だった。


「……っ」


柊木の膝から力が抜ける。

そのまま床へ崩れ落ちた。


両手で頭を抱え、苦しそうに息を吐く。


「僕は……」


震える声が漏れる。


「何をやってるんだ……」


視界に焼き付いて離れない。

怯えきった奏多の表情。


震える声。

流れ続ける涙。

そして、自分の腕が奏多を突き飛ばした瞬間。


「違う……違うんだ……」


誰に向けた言葉なのか、自分でも分からない。


「僕は……あいつに」


そこまで口にしたところで、言葉は喉の奥に詰まった。


苦しげに頭を抱えたまま、柊木は何度も何度も首を振る。


「違う。こんなつもりじゃ……なかった……」


教室にはもう誰もいない。


静まり返った空間に、柊木の途切れ途切れの呼吸だけが、重く響いていた。



扉が静かに開いた。


東堂(とうどう)はすぐに一歩前へ出て、深く頭を下げる。


「……響君の部活の先輩です。東堂成昭(なりあき)です。」


病室の空気がわずかに動く。


母親は戸惑いながらも、震える声で言った。


「東堂君じゃない……。聞いたわよ、全国大会に出るんだってね。すごいじゃない」


そして視線を響へ向ける。


「それで……響に何か用なの?」


東堂は一瞬ためらったあと、口を開いた。


「彼と、少しだけ話をしてもいいですか?」


その言葉に、父親の表情が一気に変わる。


「ダメだ」


即答だった。


「ど、どうしてですか……」


東堂の声がわずかに揺れる。


父親は一歩も動かずに言った。


「事故のあと、彼と何かあったそうだな。突き飛ばした、と聞いている。」


東堂は言葉を失った。


「君を許すつもりはない。二度と響の前に顔を見せるな」


母親が慌てて止めに入る。


「ちょっと、あなた……!それは言い過ぎよ!」


だが父親は冷たく母親を見た。


「響がこうなるまで放っておいたのは誰だ?私たち、いや、私だ」


母の動きが止まる。


「この件は私が責任を取る。これ以上、外部の人間を関わらせるな」


東堂は何も言えず、ただ拳を握りしめていた。


そして父親は静かに告げる。


「帰りたまえ。本当に目障りなのはどちらだったのか……よく考えるんだな」


その時だった。

廊下から、激しく走ってくる足音。


「――ッ!」


扉が勢いよく開く。


東堂が振り向くより早く、その人物は声を上げた。


「東堂君ッ!!!!!」


息を切らせながら立っていたのは、巴海斗(ともえかいと)だった。

音が止んだあとに残るのは、静けさだけではない。言葉にできなかった感情や、整理できないままの違和感が、少しずつ形を持ち始めていく。

同じ時間を過ごしていても、見えているものはもう同じではない。

それでも歩みは止まらないのだ。

感想、評価、ブクマ是非お願いします。

次回もお楽しみに!!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。