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心はB♭で響いている  作者: World of Tukimoto
響く音響編 —始動—

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50/64

50話 救世主?

友も、音も、笑顔も、全てを失った少女。天奏は心を閉ざし、壊れた世界の中で孤独に生きる。

しかし、忘れられない旋律が、彼女を静かに、そして確実に追い詰めていた。

白かった。


天井も、壁も、光も。


何もかもが、音を拒んでいるみたいだった。嗚咽だけが、かすかに震えている。


比奈(ひな)……」


その名前が、空気に溶ける。


誰かが崩れ落ちる。

肩を抱く人。


「どうして、あの子が……」


その後ろに、天奏(てんそう)は立っていた。一歩も動けずに。


視界の先。

白いシーツ。


輪郭だけが分かる。


細い。

小さい。


もう、呼吸しない。

医師が何かを言っている。


「——残念ですが」

 

そこから先は、入ってこなかった。

時間が、妙に遅い。


自分の鼓動だけが、やけに大きい。


ドクン。

ドクン。


視線を落とす。


握っていた紙が、くしゃりと鳴った。


祈風(きふう)


赤い染み。

乾いて、少し硬くなっている。


指先に触れる。

冷たい。


——あのホームの匂いが蘇る。


黄色い線。

遠くで近づく振動。


《私も……大っ嫌いだよ》


胸の奥に、遅れて落ちる。

天奏は瞬きをした。


涙は出ない。

出るはずなのに。

出ない。


喉が、ひどく乾いている。

誰かが叫ぶ。


「返してよ……!」


その声が、天奏の背中を通り抜ける。


突き刺さらない。

何も刺さらない。


ただ、ひとつの事実だけが、静かに形を持つ。冴山(さえやま)比奈は、もう音を出さない。


病室の空気が、わずかに揺れた。


天奏は、楽譜を握りしめる。


赤が、指に移る。

それを見て、やっと理解する。


ああ。

これは血だ。

そして、初めて思う。


——私の音は。


そこで、思考が止まった。言葉にしたら、壊れる気がした。


だから、何も考えない。

何も感じない。

ただ、立っている。


世界から音が、ひとつ消えた。

そして、私の中でも。



―――


気付いたら、家にいた。


靴を脱いだ記憶がない。

鞄を置いた記憶もない。


制服のまま、リビングに立っている。


夕方の光が、やけに薄い。


テレビがついていた。誰がつけたのか分からない。


アナウンサーの声が、妙に澄んでいる。


「本日、市内の駅で中学1年生の女子生徒が線路に立ち入り、搬送先の病院で死亡が確認されました」


一拍。


「警察は自殺とみて、詳しい経緯を調べています」


その単語だけが、やけに浮いた。


自殺。


音になった瞬間、意味を持つ。  


テレビの向こうでは、ただの情報。

けれど。


胸の奥で、何かが軋む。


自殺。


そんなはずがない、と思ったのか。それとも、そう思いたかったのか。


テレビは続ける。

何事もなかったみたいに。


【冴山 比奈さん(13)】


名前の横に、貼りつけられる。


自殺。


世界が、簡単に整理していく。


原因。

動機。

背景。


テロップが淡々と並ぶ。


天奏は、画面を見たまま、瞬きもしない。


手の中の楽譜が、くしゃりと鳴る。



数日後。


音楽室へ向かう廊下は、やけに長い。足音だけが響く。


後ろから声。


「……天奏」


軽い声。

振り返る。

男子の先輩たち。

一人が壁にもたれている。


「どんな気持ちだよ」


静かだ。


天奏は何も言わない。


「まさか、先輩達が?」


やっと出た声は、掠れている。


「はぁ……違うなぁ」


一人が、ゆっくり近づく。

距離が、やけに近い。

制服の襟を、掴まれる。

逃げられない強さ。


「殺したのは俺達か?」


一拍。


「違うよな」


目が合う。

逸らせない。


「殺したのは——お前だ」


空気が止まる。

声が出ない。

喉が、固まる。


「冴山、最初からお前の音嫌いだったぞ」


「……」


「上手いくせにさ。ああいうの、残酷って言うんだよ」


言葉が、じわじわと染み込む。


「そ、そんな、こと……」


否定が弱い。

自分でも、確信が持てない。


「なぁ、今どんな気持ちだ?」


耳元で囁く。


「自分の音で、心友潰した気分はよぉ?」


心臓が、強く跳ねる。


ドクン。

ドクン。


廊下の音が歪む。


遠くで誰かが笑っている。

違う。


過去の笑い声だ。


《大っ嫌いだよ》


呼吸が浅くなる。

視界が狭くなる。

襟を掴む手が、やけに大きく見える。

 

「なぁ、答えろよ」


返事ができない。

できない。

できない。


――その瞬間。


音が、消える。

先輩の口は動いている。


何か言っている。

でも聞こえない。


代わりに。


祈風の旋律が、頭の奥で鳴り始める。


止まらない。

止められない。


楽器もないのに。


音が、鳴る。

鳴り続ける。

鳴り続ける。


——違う。


 これは音じゃない。


罰だ。


高音が、耳の奥を引き裂く。

低音が、胸を圧迫する。


息が吸えない。


「……っ」


声にならない。


視界が白く弾ける。

膝から崩れ落ちる。

床に手をついた瞬間、


頭の中の旋律が、ぐしゃりと歪んだ。


次の瞬間。

完全な無音。

何も聞こえない。

先輩の声も。

廊下のざわめきも。

自分の呼吸も。

何も。


世界から音が消えたのではない。

自分が、世界から切り離された。


口が動く。

でも、声が出ない。

出し方を、忘れた。


目の前で誰かが何かを言っている。

分からない。

意味が、入ってこない。


胸の奥で、何かが音を立てて崩れた。


そして。

二度と戻らない何かが、静かに壊れた。



それから私は吹奏楽部を辞めた。


続けられるわけがない。

いや、続けたくなかった。


音を出せば、あの日の廊下が蘇る。


私は残りの中学校生活を、ひとりで過ごした。


誰とも関わらない。関われば、きっと私が壊してしまう。そう思っていた。


卒業式も、写真も、連絡先も。

何も残さなかった。


音のないまま、春が来た。


東縁(とうえん)高校。


入学理由なんて、覚えていない。偏差値と、家からの距離。それだけ。


私はただ、席に座っていただけ。


「えーと、1年3組の天奏若葉(わかば)さんでいいかな?」


顔を上げる。

知らない女子。

腕章に“吹奏楽部”の文字。


「……」


「あれ?おーい、起きてる?」


「あ、すみません」


声が出たことに、自分で少し驚く。


「よかった!実はさ、新入生全員に声かけてて——」


私は首を振ろうとした。


関わらない。

そう決めたはずだった。

けれど。


「ようこそ、東縁高校吹奏楽部へ!」


その一言が、妙に明るくて。拒絶の言葉が、喉で止まる。


(やめて)


そう思ったのに。


気づけば私は、音楽室の前に立っていた。


扉の向こうから、音が漏れている。懐かしいはずの、ただの音。


胸が、わずかに痛む。


(そんな、どうして)


私はもう、音を失ったはずなのに。


なのに。


その扉を、開けてしまった。



そうして私は、吹奏楽にもう一度足を踏み入れた。それだけだった。


入部届は出した。

楽器も受け取った。

でも、音は出さない。


音楽室まで行く。

立ち止まる。

帰る。

その繰り返し。



吹けるはずがない。私はもう、音を持っていない。


いつからか、学校に行くことすら重くなった。朝が来るたび、息が浅くなる。


「本当に大丈夫?」


「……うん。もういい。関わらないで」


それ以上、言わせたくなかった。


「あ、ちょっと、天奏——」


振り返らない。


連絡も、メッセージも、全部見ないままにした。


ある日、担任と親が話しているのを聞いた。


「しばらく、休ませます」


それでよかった。


私は、休学扱いになった。


安心したのか、それとも、何かを失ったのか。分からない。


ただ。


音は、遠ざかった。

今度こそ、本当に。


それも、休学期間が明けるまでは......



もう何も考えたくなかった。


考えなければ、音も、名前も、あの日の白さも、薄れていくと、思っていた。


私は、忘れた。

忘れたことにした。


思い出さなければ、なかったことと同じだと、思い込んだ。


だから。


今、私は——

ここにいるのかもしれない。



天奏先輩は、いつの間にか涙を流していた。


嗚咽すら、もう出ないはずだったのに。声にならず、肩が微かに震えるだけ。


(ひびき)はその背中を見つめながら、話していた言葉をちゃんと聞き取れたのか、自分でも確かめたくなる。


天奏は響を見た。じっと、息を止めるように。


「話はそれだけ。もう私には関わらないで」


教室を出ようとする背中に、響は声をかける。咄嗟だった。


「待ってください。確かに、先輩には辛いことがあったかもしれない。それは十分分かりました。でも──」


一拍置く。響はゆっくりと、しかし確信を帯びて続ける。


「じゃあ、何でここにいるんですか」


天奏の足が止まった。手が一瞬、机に触れる。


「分からない……」


「音楽から離れたかった。辞めたかった。なのに、ここにいる」

 

「それは……」


響は一歩踏み込む。距離が縮まる。天奏の肩を押し返すわけではなく、ただ、前に出る。


「先輩は今も自分に嘘をついている。冴山先輩のこと、本当は忘れたくなかったんですよね」


「あなたには、関係ない」


「自分から拒んだんです。冴山先輩は、天奏先輩のこと、本当は憎んでなかったんじゃないですか?」


言い切る前に、天奏は響の腕を掴む。


「じゃあ、どうすれば良かったって言うの?!何も知らないくせに、色々言って。私は、私はどうすれば良かったの!?」


肩を震わせ、膝を折り、崩れ落ちる天奏。涙はまだ止まらず、頬を濡らす。呼吸は浅く、掴んだ机の端に力が入りすぎて白く変色している。


「私が、私が……全部壊した。比奈も、部も、音楽も……全部。私の音のせいで……!」


天奏が震えるたびに、教室の空気は凍ったように止まる。


ふと響の頭の中に、誰かの声が浮かぶ──


〈先輩の音、まっすぐで、でもどこか頼らなくて、私は好きですよ〉


誰だ?


そう考える前に別の感情が頭をよぎった。


響は息を吐き、目を閉じ、ゆっくりと口を開く。


「へぇ、そんなに自分の音に自信があるんですね」


響は近づき、天奏の手を取り、握っていた楽譜をそっと掲げる。


「なら、一緒に吹きませんか?その祈風ってものを」


天奏は顔を上げ、涙の跡を拭う。乾いた頬にはまだ絶望の痕。震える唇が、かろうじて言葉を紡ごうとする。


「どういうこと?だって、これは……」


「簡単な話です」


響はにっこり微笑む。残酷に見えるかもしれないけれど、誰かを傷つけようとした笑みではない。


ただ、真実をそのまま突きつけるための、静かな光のような微笑み。


そして静かに、しかし決然と告げた。


「上には上がいるって事を、思い知らせればいいんですよ」

響の瞳は、冷たく、鋭く、静かに燃えていた。優しさでも怒りでもなく、ただ現実と可能性を同時に切り裂く力。

それはまだ誰も知らない、新しい響の姿であり、これから天奏が向き合う刃の兆しでもあった。

感想、評価、ブクマ是非お願いします。

次回もお楽しみに!!

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