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心はB♭で響いている  作者: World of Tukimoto
響く音響編 —始動—

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48話 大好きの音

上手い、下手。それは関係ない。大事なのは、誰と吹くか、どんな気持ちで吹くか――

その答えが、二人に訪れる瞬間とは?

比奈(ひな)は譜面台の前に立ったまま、フルートを構えていた。


けれど、息を吸っても、指が動かない。音が、頭の中で濁る。


「……あいつを排除するんだよ」


先輩たちの声が、何度も反響する。低く、淡々としていて、怒鳴り声よりもずっと怖かった。


分かっていた。


天奏(てんそう)の頬に貼られたガーゼも、包帯の巻かれた手も、偶然なんかじゃない。


――あの人たちだ。


そう思った瞬間、胸の奥に熱が走る。


許せない。

そんなこと、あっていいはずがない。


……本当は。


比奈は、ぎゅっと唇を噛んだ。


「あんな音、ずるい。ずるいよ」


誰に聞かせるわけでもなく、零れた声。その言葉に、自分自身が一番傷ついた。


天奏の音は、美しかった。

まっすぐで、嘘がなくて、触れたくなるほど透明で。


だからこそ――。


(……当然、だって思ってる)


天奏が傷つけられていることを、「仕方ない」と感じてしまった自分が、確かにいる。


自分より上手いから。

自分より注目されるから。

自分が、積み重ねてきたものを、軽々と越えていくから。


その理由が、頭の中で、いくつも並ぶ。

比奈は、フルートを強く握りしめた。


指が白くなるほど。


譜面に視線を落とす。


そこには、あのソリの旋律があった。フルートが歌い、オーボエが応える場所。


本来なら、心が躍るはずの音。


――なのに。


息を入れた瞬間、音が震えた。音程でも、リズムでもない。もっと根本的な、“気持ち”の部分で。


比奈は、音を止めた。


(集中できない……)


頭の中に浮かぶのは、ガーゼ越しの天奏の頬と、先輩たちの、あの言葉。


「協力するだろ?」


その問いが、


今も、答えを待っている。



部活終わり。


比奈はフルートケースを肩にかけ、早足で校舎を出ようとしていた。


教室棟を抜ける、その途中。ふいに、音が耳に入る。


――オーボエ。


一音目で、分かってしまった。


天奏の音だ。


比奈の足が、わずかに止まる。


(……聞きたくない)


そう思った。

思ったはずだった。


胸の奥が、きゅっと締めつけられる。まるで、自分が積み上げてきたもの全部を、否定されるみたいで。


音は、相変わらずだった。


派手じゃない。

力任せでもない。

なのに、息の流れが自然で、音が迷わない。


――上手すぎる。


技術とか、才能とか、そういう言葉では足りない。「そこにあるのが当然」みたいな音。


比奈は、奥歯を噛みしめた。


(……やめて)


頭では、拒絶している。

今は聞きたくない。

これ以上、自分を傷つけたくない。


……なのに。


気づけば、足が動いていた。

音のする方へ。

吸い寄せられるみたいに。


(なんで……)


廊下は静かで、他に人の気配はない。放課後の校舎特有の、少しだけ冷えた空気。角を曲がると、音がはっきりと輪郭を持つ。


――ソリの旋律。


フルートが歌うはずの場所を、オーボエが、一人でなぞっている。


その音に、比奈は息を呑んだ。そこには、怒りも、自己主張もなかった。


ただ、淡々と。

必死なほど、丁寧に。


まるで、誰かに届くことだけを願っているみたいに。


(……ひとりで、吹いてる)


胸の奥が、ちくりと痛んだ。先輩たちの声が、また蘇る。


「……あいつを排除するんだよ」


聞いてはいけない音。

聞かなければいけない音。


そのどちらでもある旋律が、夕方の校舎に、静かに響いていた。



天奏は、静かにオーボエを下ろした。手の甲がじんと痛む。頬の奥にも、まだ鈍い違和感が残っていた。


息を入れるたび、ほんの少しだけ、吹きづらい。


……それでも、音は出た。


教室の扉が、きぃ、と小さく音を立てて開く。立っていたのは、比奈だった。


「……比奈」


「天奏……」


二人の視線が、ぶつかる。その一瞬、時間が止まったみたいだった。


何を言えばいいのか、分からない。聞きたいことも、言いたいことも、頭の中で絡まって、言葉にならない。


比奈は、わざとらしいほどゆっくりと口角を上げた。


「まだ練習してたの?もう時間はとっくに過ぎてるけど」


「う、うん」


天奏は、小さく頷く。視線が、自然と比奈から逸れた。


「相変わらず上手いね。流石だよ」


褒め言葉。

聞き慣れているはずの言葉。


なのに。


天奏の胸に、ちくりとしたものが刺さった。


「……そんなことないよ」


反射的に、そう答えていた。


比奈は、一歩、教室の中に入る。夕方の光が、床に長い影を落とす。


「さっきのソリのところ」


比奈は、軽い調子で続けた。


「一人で吹いてたでしょ?」


天奏の指が、オーボエを握り直す。


「あ、うん……」


「フルートのパートまで、全部」


比奈の声は、穏やかだった。けれど、その奥に、何かが混じっている気がした。


「……ごめん」


天奏は、俯いたまま言った。


「一人で吹くつもりじゃ、なかったんだけど」


比奈は、一瞬だけ、言葉に詰まる。


「……別に、責めてないよ」


そう言いながら、比奈は視線を逸らした。


天奏は思い出したように口を開く。


「比奈、一緒に吹こ?」


「何を?」


天奏は譜面台に立ててある楽譜を指差す。自由曲のソリ部分。


比奈は一拍置き、笑顔で答える。


「うん、いいよ」

(私はいっつも嘘ばっかり)



二人は、無言のまま楽器を構えた。


視線は合わない。けれど、譜面台の前に立つ距離だけは、自然と揃っている。


比奈は、息を整えた。


そして――吹き込む。フルートの音が、教室に広がる。


一拍遅れて、オーボエが重なった。


その瞬間。

比奈は、はっきりと気づいた。


(……違う)


いつもの天奏じゃない。


いつもなら、最初の一音で分かる。音の立ち上がり、息の流れ、フレーズの運び。


――置いていかれる。


必死に追いかけても、届かない場所へ、軽々と行ってしまう。


……なのに。


今のオーボエは、フルートを待っている。比奈の音を聞いて、呼吸を合わせて、ほんのわずかに、速度を落としている。


(……合わせてる)


理解した瞬間、胸が、ひどく痛んだ。


フルートとオーボエの音が、綺麗に溶け合っていく。主張しすぎることもなく、譲りすぎることもなく。


正しい形の、アンサンブル。


本来なら、嬉しいはずの瞬間。


(……そっか)


比奈は、心の中で、静かに呟いた。


(天奏には、勝てないんだなぁ)


努力も、焦りも、嫉妬も。全部ひっくるめて、届かない場所がある。


(私、バカだね)


音は、何も答えない。ただ、淡々と、次のフレーズへ進んでいく。


二人の演奏は、途切れることなく続いた。夕方の光が、少しずつ傾いていくことにも気づかずに。



演奏が終わり、最後の余韻が教室に溶けていく。二人は、ほぼ同時に楽器を下ろした。


比奈は、しばらく俯いたまま、ぽつりと呟く。


「……天奏」


「?」


天奏は振り向かず、オーボエを抱えたまま、短く返事をした。


「天奏ってさ……音楽、好き?」


迷いのない声が、すぐに返ってくる。


「大好き。楽しい。比奈と一緒に吹け――」


「私なんかと吹いて、楽しいの?」


言い切る前に、比奈が遮った。


「え……?」


「私、天奏に比べたら下手くそ同然だよ。一緒にやる資格なんて、ない」


「そんなことない」


即座に返した天奏の声に、比奈は首を振る。


「そうやって、無理に励まされるのが……一番、嫌いなの」


次の瞬間だった。


天奏が、比奈に抱きついた。ぎゅっと、逃がさないみたいに。


「――そんなんじゃない!」


比奈の服を掴む力が、さらに強くなる。


「そんなんじゃ、ない……っ」


天奏は顔を上げた。瞳から、堪えていたものが溢れ落ちる。


「私が……私が、好きなの!」


比奈が息を呑む。


「比奈も、比奈のフルートも!」


腕に、さらに力がこもる。


「最初に声をかけてくれたの、比奈だよ。一緒に吹奏楽やろうって言ってくれたのも。オーディションも、曲作りも……全部」


言葉が、涙に滲む。


「私、楽しかった。音楽も、もっと好きになった」


「ち、近いって……」


比奈がそう言っても、天奏は離れなかった。


「忘れたの……?」


震える声で、天奏は続ける。


「約束したじゃん。一緒に響かせようって。――『祈風』を」


その言葉で、比奈の中に、封じていた記憶が蘇る。二人で譜面に向かって、音を探していた、あの日。


「上手いとか、下手とかじゃない」


天奏は、必死に言葉を繋ぐ。


「私が、吹いていたいの。比奈と、二人で」


一拍。


「……比奈は、違うの?」


比奈は、目を閉じた。ここまで言われてしまった。裏切れるはずが、なかった。


「……ごめん」


「謝る必要なんて、ないよ」


比奈は、そっと腕を回す。


「ありがとう。私も好きだよ。天奏も、天奏のオーボエも」


夕暮れの教室で、二人は、静かに抱き合った。


「もっかい吹こ?」


「......うん」



そうして片付けを終え、


「ちょっと用事あるから、先帰ってて」


「うん、分かった」


天奏はそう言って、階段を下りていく。その背中が、踊り場の影に溶けかけたとき。


「――天奏!」


思わず、声が出た。


天奏が立ち止まり、振り返る。階下から、見上げるような視線。


「ありがとね」


天奏は一瞬きょとんとしたあと、柔らかい笑顔で頷いた。


「……うん」


それだけ言って、今度こそ姿が見えなくなる。――別れ際としては、あまりにも普通で、穏やかだった。


比奈は息をつき、スマホを取り出す。画面に映る時刻を、無意識に確認した。



そのとき。


「……残念だよ、冴山」


背後から、聞き覚えのある声。

空気が、凍りつく。

 

「……え?」


振り返った瞬間、視界いっぱいに、何かが迫った。


ごっ、と鈍い音。

一瞬の痛みが走る。


次に気づいたとき、

私はもう――何も分からなくなっていた。

小さな教室に、二人だけの旋律が溶けた。だけど、その余韻が消える前に、物語は新たな波を呼ぶ――

比奈を襲う影が、静かに近づいていた。

もう後戻りなど、出来るはずがない。

感想、評価、ブクマ是非お願いします。

次回もお楽しみに!!

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