102話 夢天=クソ
新しい仲間が集まった。それぞれが違う場所から集まり、それぞれの音を持っている。
まだ一つにはなっていない。
けれど、少しずつ音を重ねていけば――きっと、そこには新しい響きが生まれる。
楽器を準備する響。その隣から、声が飛んできた。
「天の剣、かっこええなぁ」
夢天だった。
「そうだね」
「あの速いところとか、めっちゃかっけぇやん。たんたかたんたんたかたんたんたんたんたんたん!って、あのパーカス超かっこええし、最高やん!」
「そうだね」
「まぁ、ユーフォもかっこいいんとちゃうんか?」
「そうだね」
「なんやオメェさん。そうだねそうだねって、そうだねロボットかいな? いや、なんでも肯定ロボ? いや、ダサすぎやな、アハハッ!」
「うん、そうだね」
夢天は、何かを思い出したように上を向いた。
「そういや、作曲者誰やっけ?」
「福田洋介」
横から柊木が即答した。
「あぁ、あの人かぁ」
「知らないだろ。知ったかぶるな」
「なんや、柊木のやつ厳しいなぁ。知ってるに決まってるやん。ほら、あれやろ?」
夢天は得意げに指を立てた。
「『さくらのうた』。めっちゃええ課題曲作った人やろ?」
柊木の動きが止まった。
それと同時に、響は俯いた。
「ッ、痛ッ!!」
突然、頭痛が襲う。
「なんや、大丈夫か? 頭痛いんか? まさか、恋の病? って、それは心臓やんけ。何言ってんだ俺? アハハッ!」
「夢天」
柊木の声のトーンが下がった。
「ひぇぇ、おっかねぇな。冗談やて。そいや、事故ったんだもんな、東海前に――」
言い切る前に、柊木が舌打ちした。
「あのなぁ、そんな怒らんくても。ま、しゃあねぇよな。俺ってアホやし、空気読めへんし。いや、それでも案外演奏は上手かったり? って、自惚れすぎやな、アハハハッ!!」
そう言いながら、夢天はマレットを持って部屋を出ていった。
痛みが治り、その背中を見送った響は、とてつもない気配を背後から感じた。
「あのー……柊木君?」
恐る恐る振り返る。
そこには、拳を握りしめ、震えている柊木の姿があった。
「もしかして、怒ってる?」
「逆に怒らないとでも?」
「そ、そうだね……」
柊木は、一言はっきりと吐き出した。
「クソが」
「いや、口悪。柊木君がそんな口調するなんて……」
「事実を言っただけだ。響がどれだけ苦しんでたのか、まるで分かってない。人の傷を、あんな軽々と口にしやがって……」
「あ、あの、落ち着いて。僕は大丈夫だって。心配してくれてありがとう。彼にも何かしら事情とかあるだろうし」
「事情なんて話じゃない。アイツは本当に、故意に人を踏みにじってる。東堂先輩なんて比じゃなかった」
「……」
響は、ため息をついた。
「そんなに嫌なら、どうして彼をこのチームに? 都築先輩も言ってたけど、君が誘ったんだよね?」
「僕も、ここまでだとは思ってなかったんだ。ただ、うるさくてふざけたやつだって」
柊木は一度言葉を切り、顔をしかめた。
「でも、演奏は……技術だけは本物だった。あれは上手い」
「……」
「だから、今は余計にイライラする。性格がクソなくせに演奏は上手い」
「はは……」
響は苦笑した。
「まぁ、僕はそもそも夢天君の演奏、聴いたことないしね」
そう言ってから、ふと思い出したように続ける。
「あ、そうか。きっと忘れちゃってるんだよね、僕は」
「もうその話はしなくていい」
「あ、ごめん」
柊木はホルンを抱え、そのまま部屋を後にした。
一人になった響は、しばらく黙っていた。
やがて、ぽつりと呟く。
「……さくらのうた」
その曲名を、もう一度口にする。
「演奏したこと、あった?」
教室に、八人が集まった。
打楽器も入る分、なかなかに窮屈だった。
それぞれがそれぞれの場所で、楽譜と向き合っている。譜面台を並べ、楽器を構え、音を確かめる。
響も部屋の端でユーフォを構えた。
そんな中。
「よっしゃ、やったるでぇ! 天の剣、初陣や! 俺の華麗なるマレットさばきを見せてやるわ! いや、誰も見てへんか! アハハハッ!!」
夢天が、相変わらず何やら騒がしいセリフを口にしながら練習していた。
「……ほんと、よく喋るなぁ」
響は思わず苦笑する。
けれど、すぐに意識を切り替えた。
耳を澄ませる。
夢天の演奏が、教室の中に響いていた。
「……」
確かに、上手い。
いや。めっちゃ上手い。
軽やかな音の運び。正確なリズム。曲の流れを捉えた、迷いのない演奏。
先ほどまでのふざけた言動からは、想像もつかないほどだった。
それは、柊木の言う通りだった。
響は、耳を澄ませながら、一人ひとりの音に意識を向けていた。
(田邊先輩……)
トランペットの音が響く。
(音の輪郭がはっきりしてる。高音でも音が細くならないし、しっかり響いてる。さすが二年生だなぁ。ただ、少しだけ音の立ち上がりが強いところがあるかも。もう少し柔らかく入れたら、もっと綺麗に聴こえそう)
(鶲切さん……)
アルトサックスの音。
(音の抜けがいいなぁ。フレーズの流れも自然だし、指もよく回ってる。でも、速いところになると少し音の粒が揃わなくなる。指だけじゃなくて、息の流れも意識したらもっと良くなるかも)
(柊木君……)
ホルンの音。
(音色が豊かで、響きも安定してる。フレーズの歌い方も上手いなぁ。だけど、少し力が入ってる? 音の変わり目で響きが硬くなるところがある。もう少し力を抜いて吹けたら、もっといい音になりそう)
(都築先輩……)
テナーサックスの音。
(音の支えがしっかりしてる。低音から高音まで安定してるし、フレーズのまとまりもいい。さすが先輩だなぁ。ただ、少し音の長さが均一すぎるところがあるかも。もう少し音の方向性を意識したら、表現の幅が広がりそう)
(来島君……)
チューバの低音が響く。響は、静かに耳を傾けた。
(……うん。やっぱり、まだ慣れてないところが多いなぁ。音の支えも不安定だし、音程も少し揺れてる。でも……)
そこで、ほんの少しだけ目を細める。
(音そのものは、ちゃんと鳴ってる。低音を出そうっていう意識も伝わってくるし、何より、一音一音を大切に吹こうとしてる。焦らず基礎を積み重ねていけば、もっと良くなると思う)
(向井先輩……)
打楽器の音が、教室に響く。
(リズムが正確だし、周りの音をよく聴いてる。打点も安定してるなぁ。ただ、少しだけ音の強弱が単調かも。フレーズの山を意識したら、もっと音楽的になりそう)
響は首を傾げた。
(……まぁ、僕が言えることじゃないか)
それぞれの音が、教室の中で重なり合う。
八人が別々に練習しているだけのはずなのに。響の耳には、その一つひとつが、まるで独立した演奏のようにはっきりと届いていた。
部室の一角で、守田は机に向かっていた。
目の前に広げられた紙には、アンコンに出場する各チームの編成が一覧表としてまとめられている。誰がどのチームに所属し、どの編成で出場するのか。
部員の数が多いだけに、こうして整理しておかなければ把握しきれないのだ。
「……よし、こんな感じかな」
守田がペンを走らせていると、隣からひょいっと顔を覗き込まれた。
「真面目だね。わざわざ表にまとめるなんて」
桜咲だった。
「こうしないと、誰がどこに入ってるか分からないでしょ? 桜咲もちょっとは手伝ってほしいのに」
「えー、ちゃんとやってるじゃん」
「何を?」
「こうして守田の相手をしてあげてる」
「それ、手伝ってるって言わないから!」
守田が思わず声を上げる。桜咲は悪びれる様子もなく、くすくすと笑っていた。
「それでさ、守田はどのチームに入るの?」
「うーん……。ファゴットって、チーム組みづらいしなぁ」
守田はペンを置き、表を眺めながら唸った。
「奏多君は確定じゃないの?」
「それは本人に聞かないと分からないでしょ?」
「そっか。じゃあ、ほかには……」
桜咲はしばらく考え込んだあと、何かを思いついたように顔を上げた。
「あ、あの子はどう? 永井君」
「永井君? コンバスの?」
「うん。ファゴット二人とコントラバス一人で、三重奏とかどう? なんかよく分からないけど」
「いや、編成をよく分からないまま提案しないでよ……」
守田は苦笑した。
「それに、永井君ならソロコンで出るって」
「そ、ソロコン?」
「らしいよ」
「ええっ、そうなの!?」
思わず声を上げる桜咲。せっかく思いついた案も、あっさりと消えてしまった。
「じゃあ尚更どうするの?部長さん」
「からかわないで」
再び表に目を落とす守田。その隣では、桜咲が相変わらず楽しそうに彼女の様子を眺めていた。
職員室。
パソコンに向かっていた瞬崎は、ふと手を止めた。
「……アンコンは、少しだけ退屈になってしまいますね」
唐突な呟きに、隣で書類を整理していた瀬戸川が顔を上げる。
「指揮がありませんからね。先生にとっては、そう感じるのかもしれません」
「ええ。普段は大人数を相手にしていますから。少人数のアンサンブルとなると、どうにも手持ち無沙汰になってしまいそうで」
「……あまり、そういうことを言うのは不謹慎ですよ」
「そうですね」
瞬崎は苦笑した。
それから椅子の背もたれに身体を預け、窓の外へと視線を移した。
澄み渡る空が広がっている。
生徒たちは、次の舞台に向けて動き始めていた。
「新しい仲間を迎え、チームを組み、それぞれの目標へと歩み出す。東海大会を経験したことで、部員たちの実力は確かに上がっている。以前とは違う音を奏でられるようになった者も、少なくない」
だが。
「来年も、再来年も。彼らが同じように成長し、同じように前へ進めるとは限らない?環境が変わる。人が変わる。目標も、抱える事情も変わっていく。そして、実力だけではどうにもならないことだってあるんですよ」
「……響君の、ことですか?」
瀬戸川が、ぽつりと口にした。
言ってから、はっとしたように自分の口元を手で覆う。
「すみません。本人がいないからって、失礼ですね」
「……いえ」
瞬崎は窓の外を見つめたまま、短く答えた。
しばらく、沈黙が流れる。
職員室には、キーボードを叩く音や、教師たちの話し声が響いていた。
その中で、瞬崎は誰に聞かせるでもなく、独り言のように呟いた。
「……どうして、こうなってしまったんだ?」
その声は、静かな職員室の喧騒に紛れて消えていった。
僕に誰かと比べられる価値なんてなかったんだ。




