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11 見た目詐欺没落令息は、働きます。

悲痛なシーンが連続してあります。

次回の前書きに今回のあらすじを置きますので、苦手な方は飛ばしてください。


 家に戻ると、幸いなことに母の熱はかなりさがっていた。まだ目は覚めていないものの、あんなに苦しそうだった顔が今は穏やかなものになっている。

 だけど父は、ゼイゼイと苦しそうな息遣いだ。

 やはりクライネフ風邪は、老人や体の弱っている者ほど悪化するらしい。健康だった母は、たった一本の薬で明らかに快方に向かった。だが、父の場合は違う。

 たとえ熱が出てすぐに薬を飲ませられたとしても、数年に渡る闘病生活ですっかり体力が落ちてガリガリに痩せてしまっている父が回復できたかどうかわからない。しかも、その肝心の薬をまだ飲ませられていないのだからどうしようもない。


「……父上」


 街中でトム爺に会えたのが偶然なら、セザールが婚約者と一緒のところに行ってしまったのも偶然だ。よい偶然も悪い偶然も、同じ重さでもってブライアンにのしかかる。

 だけど今日、父のための薬が手に入らなかったのは、偶然だったのだから仕方ないでは済まされないのだった。


「父上、もう少しだけ頑張ってください」


 セザールを怒らせてしまった。挽回の余地は、金をきっちりと用意することにしかないだろう。

 ブライアンは父の古いシャツと上着、寝間着にしていたよれよれのズボンを出して身に着けた。少し考えて、暖炉の灰を髪と顔になすり付けて汚す。

 これならば、いくら何でも絵本の中の王子には見えないだろう。あんな汚れ仕事だ、貴族だとばれたら雇ってもらえないかもしれないと思ったのだ。

 トム爺からもらったはちみつ飴の缶にロンから借りた金貨とジョナスからもらった金貨を入れてから、母の宝石の入っていない宝石箱にしまった。持ち歩いて仕事中に落としでもしたら目も当てられない、これだけの金額をブライアンが再び用意することは、不可能なのだから。


「父上、母上、行って参ります」


 毎朝、学園に行く時と同じ挨拶をしてからブライアンは外に出た。夜には家に入れてもらえるため、裏木戸のところにラディの姿はない。せめてあの茶色い老犬が見送ってくれたらと思ったけれど、今頃は暖かい寝床で丸まっているであろうラディが安らかに眠っているならば、その方がいいに決まっている。

 ジョナスに頼んだら、あと大銀貨三枚くらいなら貸してくれるかもしれない。だけど、自力で稼ぐ方法があるのに借りるのは、間違っている気がした。

 集合時間が近い、ブライアンは足を速めた。

 日雇い仕事の集合場所は、トム爺が住む教会にほど近い場所だった。いつもは何もない空き地に今は何台もの荷馬車が停まっていて、それぞれにボロ着をまとった男たちが出発の準備をしている。

 空き地の奥の方、地面に木箱を逆さまに置いて、その上に立っている髭もじゃの男が人足頭(にんそくがしら)だろうか。ブライアンが近づいて行くと、じろりと睨まれた。


「その細っこい体で働くつもりか」

「はい」

「きつい仕事だぞ」

「覚悟しています」


 男は、ブライアンの頭のてっぺんから足の先までジロジロと眺めまわしてから、はあっと息を吐いた。


「お前みたいなお坊ちゃんでも追い返せないほど、人手が足りていない。夜明けまで休みなしで働いて、大銀貨三枚だ。この御大層な報酬には、口止め料も含まれている。今夜、どんな仕事をしたかは親兄弟であっても話してはならん」

「わかりました」

「あそこのデカいおっさんと組め、仕事はおっさんが教えてくれる」


 人足頭が顎をしゃくって示したのは、縦にも横にも大きな、まさにデカいおっさんだった。


「リック、こいつの面倒を見てやれ」

「おう、こっち来いや。すぐに出るからな」


 リックという名前らしい大男と並んでブライアンは荷馬車の御者台に座った。すぐに出るという宣言通りに、ブライアンが腰をおろすとすぐに動き出す。


「まずは南通りだ、八十過ぎの爺さん」

「……」

「手早くな、遺族が何か言って来ても無視するんだ。俺らの割り当ては、北地区だ。夜明けまでに二十八人を迎えに行って、二十八人を穴に放り込む。これでも今夜は、少ない方なんだぞ」

「……はい」


 わかっていた、一晩で大銀貨を三枚も貰える仕事がどんなものかは。だけど、二十八人という具体的な数字がブライアンを怖気づかせた。


「坊主、金がいるんだろう?とにかく何も考えずにがむしゃらに働いて、朝になって大銀貨を受け取ったら今夜のことはすっぱり忘れるんだ」

「はい」

「これで口を覆え、死体を運ぶ時にはなるべく息をするな」


 これ、と言って渡されたのは薄汚れた布だった。言われた通りにブライアンは、その布で口を覆った。


「ここだ、まずは一人目。行くぞ、坊主。腹に力を入れろ」

「はい!」


 頭の方は、リックが持ってくれた。ブライアンは足首を持ち、なるべく死体を見ないようにして運んだ。腕にかかるずっしりとした重みが、この老人がこれまで生きて来た人生の重みのように感じた。

 亡くなった老人の妻だろう、白髪の老婆が老人が家から運び出されるのを静かに見送っていた。声もなく、ただただ流れ続ける老婆の涙を見たくなくてブライアンは、老人の遺体を荷台に乗せると振り向くことなく御者台に戻った。


「次は、六歳の女の子。子供は軽くて運ぶのは楽だが、辛いぞ。覚悟しておけ」

「はい」


 二人目は、母親が必死で抱きしめているその腕から無理矢理に奪わなければならなかった。

 リックが女の子の亡骸を取り上げて、ブライアンは娘を取り戻そうと暴れる母親を何とかなだめようとした。でも、落ち着いてくださいとか、怪我をしますから暴れないでとか、そんなことしか言えないブライアンの声など届くはずもなく、母親を抱きしめて止めたのは彼女の夫、女の子の父親だった。

 手早く、遺族が何か言って来ても無視をする。リックにそう忠告されていなければ、ブライアンはその女の子を荷台に乗せられなかったかもしれない。


「返して、私の娘よ!まだ六歳なの、連れて行かないで」


 母親の悲痛な叫びと、その母親を背中から抱きしめて泣いている父親を置き去りに荷馬車を走らせた。待って、娘を返してと、いくら走っても声が追いかけて来る。


「しっかりしろ、坊主。まだまだこれからだぞ。次は、二十五歳の女性」


 なるべく静かに運び出してくださいと言われて家に入ると、亡くなった女性の周りに三人の子供たちが眠っていた。三人とも男の子だ、一番小さい子はまだ三歳くらいだろうか。


「妻は、元々あまり体が丈夫ではなかったんです」


 全てをあきらめてしまったかのように静かに話す男は、人差し指の先で妻の頬にそっと触れてから、お願いしますとリックとブライアンに向けて深々と頭を下げた。


「お母さんっ、待って、お母さん!」


 女性の遺体を老人と女の子と並べて荷台に乗せ、荷馬車を出そうとした時に家の扉がバンっと勢いよく開いた。眠っていた子供たちが起きてしまったのだ、リックがかまわず馬車を出す。


「お母さん、お母さん」

「おかあしゃん」

「うわーん」


 泣き叫ぶ声と、荷馬車を必死で追いかけて来る足音を聞きたくなくてブライアンは両耳を塞いだ。


「いいか、坊主。忘れるんだ、朝になったら忘れるんだぞ」


 北地区だけでも二十八人ということは、全体ではどれだけの人が亡くなったのか。こんな風に死体を迎えに行く荷馬車が今、この街には何台も走っているのだ。

 ガラガラという車輪の音に追い立てられているようで、ブライアンの指先が小刻みに震えた。少し走ってすぐ停まり、死体を積んでまた少し走る。寒い冬の夜であるはずなのに、いつの間にか寒さなんて感じなくなっていた。

 五人目を積んだところで、大きいと思っていた荷馬車の床は見えなくなった。六人目からは、死体の上に死体を積んだ。

 幼い女の子の上に大柄な男を乗せるのは可哀想な気がして、死体の上下を入れ替えたいとリックに言ったら、何のためにと問われた。その子はもう重さなんて感じないと言われて、返す言葉がなかった。


「どうか母をお願いします」


 看病疲れが見える女性に頭をさげられた。


「どうしてこんなことに……せめてお祈りを、今からでも神父様にお願いすることはできませんか」


 兄を亡くした男性に、そう言い募られた。とても仲がよかった、自分にとって大切な兄なのだと切々と訴えられても、ブライアンにはどうすることもできない。


「ばあさんや、ちょっと先に行ってくれ。すぐにあとから追いかけるからのぉ」


 自身も明らかに熱のある老人が、愛妻に手を振って見送っていた。


「トーマス、トーマス」


 夫の名をただただ呼び続ける、大きな腹をした若妻が泣いていた。


「お姉ちゃん、起きて。早く起きないと、連れていかれちゃうんだよ」


 小さな男の子が必死で姉を起こそうとしていた。


「代われるものなら代わってやりてえよぉー」


 老人が床に座り込んで、悲痛な叫びをあげていた。


「ああ、どうして先に逝っちまうんだよ……あんた……あんたぁー」


 幾人もの嘆きの声がブライアンの耳にこだまする。何度も何度も繰り返し、こだまする。


「坊主、水があるが飲むか?」

「いえ」

「そうか」


 飲んだらそのまま吐いてしまいそうでブライアンは、唇がカラカラに渇いていても水袋に手を伸ばすことはしなかった。

 十人を乗せたところで荷馬車は一旦、街の外に向かった。門番が微動だにせず立っている前を素通りしてからもしばらく進み、途中で街道を外れて森に入る。

 街を出てから小一時間も走っただろうか、森に入ってからはすぐだった。行く先にかがり火がたかれているのが見えた。鎧を着込んだ騎士たちも見える。


「穴の底を見るな、落っこちないように自分の足元だけを見ていればいい」

「……はい」


 穴は、本当に大きかった。どうやって掘ったのかと思うほどに。リックはその先は何も言わず、ただ身振りだけでブライアンに死体の足の方を持つよう指示して、次々と穴に放り込んで行った。

 ブライアンは、リックの忠告通りに穴の底は見なかった。昨日の夜にはあの優しかったマダムもこの穴の底に横たわったのかと思うと、見ることができなかったのだ。

 家々をまわって死体を回収して穴に放り込む、これを三回繰り返した。ブライアンは途中から何も考えることが出来なくなってしまって、ただ淡々とリックの指示通りに体を動かし続けた。


 三度目の、最後の死体がどさりと穴の底に落ちて、それでブライアンの長い夜は終わった。このあとは、火を放って火葬にするのだけれどそれは、死体運びの人足の仕事ではないのだそうだ。


 リックと並んで荷馬車に乗り、集合場所であった空き地まで戻った。手綱はずっとリックが握ってくれたから、ブライアンはただ揺られているだけだった。

 口を覆っていた布をリックに返して、人足頭から大銀貨を受け取る。大丈夫か、一人で帰れるかとリックに聞かれたのは覚えているけれど、何と答えたかは記憶にない。

 体が鉛のように重かった、自分の足で歩いている感覚さえなくなっていた。気づけばブライアンは、中央広場をふらふらと歩いていた。どうやってあの集合場所からここまで帰って来たのか、自分でもわからない。

 フェリシアと一緒に食べたはちみつワッフルの屋台があったあたりで立ち止まり、ぼんやりとあたりを見回す。ブライアンの目がかすんでいるのか、それとも朝靄のせいなのか。夜明けの中央広場はまるで知らない場所のようで、ブライアンは迷子の子供にでもなったような気分だった。


「寒いな」


 無意識に呟くと、働いている間は少しも感じなかった寒さが急に襲って来た。冷気がブライアンの体を容赦なく包んで、体温を奪っている。

 ずっと指先の感覚がないのは、寒さのせいなのか、それ以外の理由なのか。


「……朝になったら忘れろとか、リックも無茶を言うよな」


 早く薬を買いに行かなければならない。いや、その前に家に置いてある金を取りに戻らなければ。着替えもしなくてはならないだろう。こんな格好では、ガードナー邸に入れてもらえないだろうから。

 そう思うのに足が動き出さない。三枚の大銀貨を握り込んだ手が強張って、どうしても開くことが出来ない。

 父の容態は、どうだろうか。熱があがっていないといいのだけれど。薬を、早く。早く買いに行かなくてなならない。でないと今度は、あの車輪の音が父を迎えに……。


「フェリシア」


 フェリシアと二人ではちみつワッフルを食べたのは、そんなに昔のことではないのに。だけど、あの楽しかった時間が遠い過去に思える。

 ああ、もうどれくらい彼女の笑顔を見ていないだろうか。あの弾むようにブライアンを呼ぶ声を、どれくらい聞いていないだろうか。


「……」


 ようやくブライアンの足が動きだした。だけど、ふらふらと覚束ない足取りで向かうのは、両親が待つ家ではない。大商会の娘であるフェリシアの家は、朝靄の中であっても大きく立派なものだった。彼女の部屋がどこなのか聞いておけばよかったと思いながらブライアンは、その大きな屋敷を見上げた。


「……フェリシア」


 こんな小さな声で名を呼んでも、彼女に届くはずがない。だけど、それでも願ってしまう。今すぐあの窓を開けて、顔を出して欲しい。ブライアンに気づいたらフェリシアは、おどろいた顔をするだろうか。だけど次の瞬間にはきっと、とびきりの笑顔を見せてくれるのだ。


「フェリ……」


 目がかすむ。体が重い、頭が痛い。もう何も考えられない。

 ドサリという、何かが地面に落ちた音をブライアンは聞いた。それが、自分の体が倒れた音だとは、わからなかったけれど。


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