第1070話 妖魔王
「妖精合体、だと……」
目の前で起こった加護の奇跡に、エカテリーナは驚愕で目を見開く。
複数人で一つの魔法を織り成す複合魔法は高等魔法技術だが、その次元を遥かに超えている。
性別も種族も異なる全くの別人が二人、完全に一人の人物へと融合を果たしているのだ。それも一切破綻することなく、神がそう在れと定めたかのような、美しく完璧な姿をもって。
「ありえない……このような加護、あってはならない……」
「そう、ただの加護じゃないわ。これは私とクロノにだけ許された、愛の結晶なのだから」
通信に割り込むでもなく、直接脳内に届くクリアな音声は強烈なテレパシーによるもの。
艶やかな声は初めて聞くが、その意志が誰によるものかはすぐに理解できる。
「妖精女王リリィ、貴様が肉体の主導権を握っているというワケか」
「ええ、今回は、ね……私の方が、貴女を相手するのに向いてるから」
黒と緑のオッドアイ。クロノ譲りの鋭い目が、妖しい輝きを放ちながら、コックピットに座すエカテリーナを射貫く。
感じる圧力は、先の黒竜ベルクローゼンと変わらぬ強大さ。すなわち、生身のサイズでありながら、この専用機『シグルドリーヴァ』と渡り合える力を秘めているということ。
確かにクロノが身に纏う魔王の姿の象徴となっている『暴君の鎧』は、呪いの力を宿す古代兵器である。リリィが乗り回す『ヴィーナス・ルシフェル』もまた、戦人機のリアクターとブースターだけで戦っているようなイカれた超兵器。
今はその二つも合体し、大型バックパックを背負った機甲鎧の形態と化している。それだけでも戦人機に対抗できる戦力があると推測できるが……エカテリーナの第六感は、それ以上の脅威になることをハッキリと感じていた。
「いいだろう、女王が二人並び立つことは無い。リリィ、魔王諸共この場で葬り去ってくれる!」
今更、言葉を重ねたところで意味はない。決闘の再開と言うように、エカテリーナは目の前で浮遊する黒髪のリリィを薙ぎ払う。
シグルドリーヴァの両腕部、膨らんだ袖のような部位から放たれるのは、エーテルの刃。灼熱の光刃で形勢された斬撃は、人の体など余波で消滅させるが、すでに真紅の羽を瞬かせたリリィは、フワリと舞い上がり、踊るような軽やかさで翡翠に輝く二連撃から逃れた。
「そう、女王は私一人でいいの。エカテリーナ、女神にしか愛されなかった哀れな女――――貴女は、長く女王の座に就きすぎたのよ。今日ここで、玉座を降りて楽になるといいわ」
「男の下についておきながら、女王を僭称する恥知らずめが、今こそ身の程を弁えさせてくれる――――行け、『エインヘリアル』!!」
エカテリーナの命によって、翡翠の輝きが増したロングスカート状の装甲板が可動し、バラバラと分離してゆく。
空に撒き散らされた装甲は、瞬時に羽を開き、エーテルの火を噴き飛翔する。それらは即座に編隊を組み、統率された戦人機の航空部隊のようにリリィへと襲い掛かった。
シグルドリーヴァに搭載された自律稼動兵器『エインヘリアル』。
ビットは単機で複数機を同時に相手取っても圧倒できる、才能のある一部の者にしか許されない特殊な武装だ。
たとえ相手がたった一人の人間サイズであろうとも、回避の隙を許さぬとばかりに、全方位から光線が照射される。
「やっぱりビット持ちだったのね。練習しておいて良かったわ――――貫け、『流星魔剣・バンシー』」
「バンシィー!」
「行くぞぉー!」
「おおぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」
赤黒い光が瞬けば、リリィの元に十数体の幼いリリィが現れる。
元は『流星剣士』という霊体の分身による自律兵器だが、今はその幼い手には黒染めの剣が握られている。
『流星魔剣・バンシー』は、霊体分身であると同時に、『魔剣』でもある。
妖精達が黒き剣を手に、クルクル体ごと回る回転切りを繰り出せば、リリィを襲った『エインヘリアル』のビームは悉く弾かれた。
「貴様もビットを操るとは……いや、それ以上に、慣れているな」
「うふふ、妖精女王イリスの『ティターニア』に比べれば、この程度は小雨ね」
オルテンシアには、古代に生きた妖精イリスの伝説は伝わっていない。だが妖精の女神たるイリスの加護を強く授かるリリィなら、自分がイオスヒルトから様々な情報を引き出したように、古代の叡智に触れていてもおかしくない。
と、そこまでは瞬時に想像できたエカテリーナだが、まさか夢の中で本物と実戦訓練が出来たとは思うまい。
かつてミアを追い詰めた、凶悪な二基搭載の専用機『ティターニア』。その圧倒的な力を、リリィはその身をもって体験してきている。
『エインヘリアル』と『流星魔剣・バンシー』は、互いに互いを喰らい合うような勢いでぶつかり合い、どちらも共に本体への攻撃を許さない。
「ならばこの手で直接、仕留めるまでよ!」
「この私に接近戦を挑むなんて、驕りが過ぎるわね!!」
再び両腕から光刃を発生させ、リリィへ向かうシグルドリーヴァ。
対するリリィの両手には、魔王だけが握ることの許される呪いの大剣、『黒乃神凪「無命」』と『大噛太刀「天獄悪食」』がすでに抜かれていた。
交差する翡翠の斬撃と、呪いの武技。
戦人機と人、本来なら勝負にもならない剣戟の応酬はしかし、魔力喰らいの一振りによって、リリィへと優勢が傾いた。
「ちっ、エーテルの刃が仇となったか」
ボロボロと刃毀れするように形状を崩した光刃に、エカテリーナは歯噛みする。
相性の悪さは明白。
だがそれ以上に、リリィがクロノと全く同じ剣技を奮ってくるのが厄介だった。
邪法によって他人の体を乗っ取ったところで、本人と同じように体を動かせるかは別の問題である。どれほど記憶を共有しようとも、体を動かすのはセンス。
まして鍛錬の果てに身に着けた武技などは、どんなに頭で分かっていても、自らの体が慣れていなければ繰り出すことは出来ない。
それでもリリィがこれほどの剣技を誇るのは、主人格を明け渡していながらも、クロノが寸分違わぬタイミングで体を動かしているからだろう。
正に一心同体にして以心伝心。
二つの人格を宿しながらも、完璧な一人の戦闘能力として発揮されている。
「――――ええ、そう、その通りよ」
自慢げなリリィの声が飛んで来て、エカテリーナはそれだけ己の感情が昂っていたかと省みた。
思考が読まれることの戦術的な不利よりも、純粋な羞恥によって。
「羨ましいでしょう?」
「黙れっ!」
嫉妬など、最も忌むべき感情だ。
先にクロノに突きつけられた時と同じように、いいや、僅かでもテレパシーで読まれたかもしれないことが、更なる怒りとなって発露する。
シグルドリーヴァに内蔵されたミサイルポッドが開き、リリィ目掛けて放たれた。感情的に昂っていようとも、高精度の誘導システムは正確無比に、戦人機に比べれば遥かに小さな的であるリリィを狙う。
「その嫉妬は恥ずべきものではないわ――――『星屑の鉄槌』」
殺到するミサイルを、同じくミサイルで迎撃しつつ、破滅的な煌めきで瞬く空を、リリィは悠々と飛び抜けて行く。
それはさながら、アイドル文化最盛のカーラマーラで催されるド派手なミュージカルのように。軽やかに舞い、高らかに歌うが如く、リリィはエカテリーナへ言の葉の刃を刺しながら。
「愛する人と完全に一心同体となったこの姿を見て、貴女のような女が妬まないわけがないもの」
「頂点は常に一人! 誰もこの高みには届かぬ、故に、何人も私と交わることなど無い。その必要性すら無いのだ」
「あっはっはっは! エルフって本当に『錆びた鏃』って言うのね!」
いわゆる、すっぱいブドウ、と同じような寓話である。
自然の森に生きるエルフと険しい山を掘って暮らすドワーフ、古代の頃から伝わる価値観の相違が強い二種族をモデルにした話は数多く、現代でも伝わっている。
中でも『錆びた鏃』は、まだエルフが製鉄技術も持たなかった頃、ドワーフが作り出す鋭く美しい鋼の矢を羨むが、「あの鏃は錆びている」と手に入らぬことをプライドで取り繕う、という話だ。
ハイエルフの女王が、正に寓話の通りの言い訳を叫ぶのだから、リリィは心の底から大笑いして、吐き捨てる。
「誰かに愛された経験もない、処女のくせに」
「色狂いの小娘が!」
怒りに呼応して、シグルドリーヴァの攻勢は激しさを増す。
ビットとミサイル、本来ならこれだけで同じ戦人機相手でも圧倒できるというのに、リリィは全てに対応している。さらに接近戦では呪いの大剣と、その威力を最大限に引き出す魔王の武技によって、リリィの方に分が上がる。
故にエカテリーナは、十分な間合いをとっての射撃戦という、戦人機の基礎とも言える戦法を取るより他はない。
無論、通常の射撃であっても、エーテルライフル一本などという標準武装を遥かに超えた火力を発揮する。
シグルドリーヴァはその細身に、二基のリアクターを搭載した機体。その有り余る出力によって、両手、両肩、両腰、合わせて6門もの砲口からエメラルドに輝く高出力ビームを放つ。
そのメイン武装に加え、額や胸元など各所に内蔵されている機銃も火を噴く。小口径とはいえ、リリィは人間サイズのため直撃すれば十分にダメージが通る攻撃だ。
エカテリーナの憤怒が翡翠の嵐と化して、嘲笑うリリィを飲み込んで行く――――
「ごめんなさいね、馬鹿にするつもりはないの」
輝ける殺意の奔流、その真っ只中をリリィは尚も余裕を崩さぬ声音で語りかけながら飛び抜けて行く。
妖精本来の無規則な機動、それを強化する『ルシフェル』の推力による、超高速三次元機動が、蒼穹に真紅の軌跡を刻みつける。
高精度のロックオンシステムさえも置き去りにする戦闘機動を、エカテリーナは刹那の『星詠み』でどうにか未来を捉えて撃つ。
しかし必中の一撃も、リリィとクロノ二人分の魔力をつぎ込んだ『妖精結界』によって凌がれる。
一撃では足りない。クロノには黒竜ベルクローゼンに使った『鋼の魔王』という守りの加護もある。
リリィ本人にも、分身体による多重結界に、『暗黒雷雲』という光を弾く防御魔法なんかも持っているのだ。
『妖精結界』一枚を抜くだけの威力では、まだ防ぎきられてしまうだろう。
高機動型の戦人機すら超える圧倒的な飛行能力に、一撃程度では揺るぎもしない防御力。リリィが余裕をもってお喋りできているのは、決してただの虚勢などではないことに、エカテリーナは歯噛みする。
「だって、私と貴女はよく似ている……いいえ、貴女は私よ」
「強き加護を授かった故の共感など、求めておらぬわ!」
「いいえ、加護なんて関係ない。エカテリーナ、貴女はね、クロノと出会えなかった私よ」
もしも、の話は意味のない妄想だ。
けれど、人はその『もしもの話』を考えてしまう。リリィとて、クロノと出会い、愛で満たされた日々を送る中で、脳裏に過ってしまうことがあった。
もしも、クロノが『白の秘蹟』から脱走できず、神兵として完成していたら。
そうしたら彼は十字軍の尖兵として、『光の泉』にも侵攻し、その守護者たる自分と本気の殺し合いをしたのかもしれない。
こんなに愛している運命の相手でも、何か一つ歯車が狂えば、ただの憎み合う敵同士になってしまう。
いいや、それでも私はきっと、貴方と共に行く。
出会いが違えば、関係性も多少は異なるだろう。それでも絶対に、私は彼を愛していると、リリィは隣で眠るクロノの寝顔を眺めていれば信じることが出来た。
だから、リリィにとって最悪の『もしも』は、そもそもクロノが存在しない世界にいること。運命の相手がいるのだと、知ることすらできずに生き続ける自分。
クロノと出会う前の思いと暮らしが永遠に続く、牢獄のような平穏。
その世界でリリィは一生、『光の泉』を守り続けるのだろう。妖精としての、使命に縛られて。
「貴女は女王としてオルテンシアという国に縛られているだけ」
「私が女王として君臨するは神命だ。これ以上の理由が、この世にあるものか」
「ええ、私もきっと、妖精女王イリスの神命だと納得するわ。それがどんなに悲しく虚しい行いか、自ら悟っていても、神命ならばと受け入れてしまうの」
神は優しくも残酷だ。
たとえクロノのいない世界でも、リリィは生きていけてしまうのだから。
愛を知らない虚無の人生であっても、神のためならば。
聖職者なら、それこそが最も清く正しい生き方なのかもしれない。死んだ後に神の世界へと招かれるだけの、徳を積んだとも言えよう。
けれど、そんな人生など絶対に御免だ。愛を知ってしまったからには、死後の救済が保障されていても、ただ清らかなだけの生き方など出来ない。
だって、それが自分だから。
ただ愛のために――――それがリリィの存在証明。
いずれ神の座を継ぐ、妖精女王の真理である。
「悲しいでしょう」
故に、リリィは憐れむ。
「虚しいでしょう」
なんて可哀想な女なのかと。
「羨ましくて、妬ましい。欲しくて、欲しくて、堪らない」
その飢えを、渇きを、リリィは知っている。よく知っている。
32年も味わったのだ。決して忘れ得ぬ苦しみ。けれど、真実の愛を知るために必要な試練の時でもあった。
「ああ、いつか私の前にも、運命の魔王が現れると――――ずっと、夢見てきたのでしょう、エカテリーナ?」
「黙れぇえええええええええええええええええええええええええええっ!!」
それは決して、触れてはならない思いだった。
誰にも悟られてはならない願いであり、望みであり、祈りでもあった。
「オルテンシアじゃ誰も言えない、知らない、知ろうともしない。今日ここで魔王を倒してしまったら、もう二度と、永遠に貴女の本心を理解する者は現れないわ」
だから、これが最後の機会なのだとリリィは訴える。
エカテリーナは声の限りに拒絶の叫びを上げるが、テレパシーで直接刻まれる声をかき消すことは出来ない。
いいや、たとえ耳を塞ぐだけで聞こえなくなったとしても、聞かざるを得ない。
捨てきれぬ希望が、欲望が、己の意志と覚悟に反して、耳を傾けてしまう。
「愛を知らぬまま頂点に立てば、そこに待つのは永遠の孤独。本当に、もう誰もそこには至れない、誰とも交われない」
「それでいい、それこそが私のあるべき姿! 魔王すら倒し、黒き神々の運命を超えて、この私が唯一無二の女王となるのだ!!」
「そうして、愛を知らないまま神様になるつもり?」
その問いかけに、二の句が継げなかった。
エカテリーナは覚悟をして大陸征服に臨んだ。満を持して、この日この時、本物の魔王が台頭した時のために、長い時をかけて準備をしてきた。
そうして得たのは戦人機の軍団と、自ら乗り込む最強の専用機。その気になれば、一息で大陸を征服できる大戦力が揃った。
事実、10年前に行動を起こしていれば、オルテンシアは大陸統一を果たせただろう。
大言壮語でも夢物語でもなく、エカテリーナは自分がパンドラを統べる女帝になった時のことを想像した。
自分こそが頂点、並び立つ者はなく、パンドラの全ての者は女帝を前に跪く。
面を上げて、この自分の目を見て話せる者すらいなくなるだろう。
それは生きながらにして、神の位に至ったかの如き孤高。
そんな絶対の孤独など、とうに覚悟を済ませてきた。
だが自分が死んだ後。伝説の魔王ミアに次いで、大陸統一を果たした君主として、神の座に就いた時。
その時、エカテリーナは何を思うだろう。
人の限りある生を超えた先にある、黒き神々の一柱となった時。真に終わることの無い孤独が始まる。
なぜなら、パンドラ女帝エカテリーナは生涯、誰にも心を開くことなく、誰一人として愛することなく、ただ支配者として君臨しただけなのだから。
「イオスヒルトに憧れた」
「っ!?」
「いつか私も、かの女神のようにと――――でも、強烈に憧れて、信じていたからこそ、残酷な現実に耐えられない、許せなくなったでしょう」
イオスヒルトはミアと出会った。
では、エカテリーナは魔王と出会えたか。
その答えは、たった一人で戦人機に乗り込み、二人で一つとなった魔王と相対しているこの状況が何よりも雄弁に示している。
「貴女は女王になるべきじゃなかった」
ただ生き残ったから、女王の座についた。
だがエカテリーナは己の才覚と加護の力、そして何よりオルテンシアのエルフ達に求められ、瞬く間に偉大な女王となってしまった。
この国で彼女に並べる者は、早々にいなくなった。
「運命と出会う前に、己を国へと捧げてしまった。気づいた時には、もう後には退けない――――それでもイオスヒルトは、貴女の女神は変わらず愛の素晴らしさを語り続けたのでしょう?」
憧れは憎しみへ。
願いは呪いへと変わった。
信じていたのに。彼女のように。いつか自分もと。
けれどいつの間にか自分は、もう女神と同じ道は歩めないことを悟ってしまった。
オルテンシアに自分を愛する男はいない。空から運命の相手が降って来ることも、エカテリーナには無かった。
イオスヒルトにも、リリィにも、あったことが、エカテリーナには無かったのだ。
普通はあり得ぬ奇跡的な出会い。それが至極当たり前のように、エカテリーナの身に起こらなかっただけの事。
けれど厚き女神の加護を授かり、願い続けた乙女が、その運命を望んで何が悪い。
「恨みもするし、憎みもするわよね。イオスヒルトはすでに持ってる者。無二の愛を手に入れ、幸福のまま神の座に至った。無邪気な彼女は、どこまでも純粋な善意で語るでしょう、ああ、愛のなんと素晴らしき事か」
イオスヒルトは純粋な、妖精のような女性だった。
分かっている、悪意など彼女には一欠けらもないと。
ミアと出会い、惹かれ、一時の別れを経て、最後には自分を迎えに来てくれた。その愛と素晴らしさを永劫に渡って語り続けるのが、女神イオスヒルトの在り方。
歴代で最も強い加護を授かり、強烈な繋がりを持つエカテリーナ。けれど女神には、エカテリーナの顔も名前も知らぬ。ただその存在を認識するに留まる。
それでも己と繋がることが出来た一人の少女へ向けて、精一杯に己の愛を説いているだけ。
だからイオスヒルトには知る由もない。加護を授かった、かつて純粋だった少女が、愛のない苦しみに渇き、己を憎んでいることなど。
人の意など、神は解することはない。善悪を問わず。それが人の世と神の世を隔てる理の一つなのだから。
「このまま貴女が女帝として神へ成ったら、確かにイオスヒルトと見えることも出来るのかもね。けれど、そうしてどうするの? 私は貴女の加護を授かって、愛を知ることはありませんでした、と恨み言を言えれば満足かしら」
「イオスのことなど、関係ない……私は、私自身の意志でパンドラの女帝となる! 加護の力など、そのために利用した道具に過ぎん!!」
「やめなさい、本心を殺した意地なんて貫いても、満たされることは決してないわ」
くだらない意地。ただの八つ当たりの当てつけ。
エカテリーナの野心など、結局はそんな小さな個人の感情に過ぎないことを知れば、人々はどう思うか。
けれど、リリィはそれを否定しない。すでに大戦争を引き起こし、大勢の命が失われていたとしても。
きっと自分も同じことをしたから。クロノがいないまま、一国の女王なんて地位についたなら。
「まだ間に合う。今ならまだ、やり直せるわ」
「そんなことが出来るものか。すでに私の覇道は、アヴァロンにまで届いているのだぞ」
「責任なんて一人で背負う事ないわよ。オルテンシアに貴女を止めた者はいなかった。北部にも貴女を止められた者はいなかった。それだけの話よ」
君主であっても無謀な外征は諫められるのが常である。
しかしエカテリーナは万全の戦力を整えた。この力があれば、圧倒的なオルテンシアの戦人機軍団ならば、パンドラを征服するに足ると。誰もが夢見て熱狂し、それを現実にできると確信していた。
だから彼女を止める者などいるはずもなかった。エカテリーナが本心を隠し、ただそれが神命なのだと口にすれば、その通りに誰もが信じた。
民も、配下も、最も自分に近い宰相も。同じイオスヒルトの加護を持つ、エルザヴェータ姫でさえ。
一人も疑うことなく、エカテリーナについて来た。その覇道を進むべしと、背中を押してきた。
「大切なのは、自分の本心よ。エカテリーナ、貴女の本当の望みはなに」
「無駄だ、そんな言葉で私は惑わされたりはしない……今更もう、後になど退けるものか!」
「私を見ろ。私は貴女。貴女が望んだ理想の姿がここにある」
赤と黒の禍々しい色に輝く妖魔王は、さながら世界を蝕む混沌の神が如き姿。
けれど、自分の全てを受け入れ、一つとなったその身は、極限の愛の具現でもある。
それが何よりも、エカテリーナにとって光り輝いて見えて仕方がない。太陽を直視したように、目が焼けるほどの眩さで。同時に、極北の永久凍土を彷徨い凍り付く寸前に小さな火の灯りを前にした温かさも感じる。
そうだ、これだ。これが欲しかった。こうなりたかった。
イオスヒルトでさえ羨むような、愛し合える伴侶が。身も心も一つになってしまえる人。
己の夢見た姿は、確かに目の前にあった。
自分ではない、けれど自分によく似た別な存在として。
「何故だ……何故っ、私には愛が無いっ!!」
抗いきれぬ強烈な嫉妬の炎が、エカテリーナを狂わせる。
「そうなりたかった! そうなるはずだった!」
一度、燃え上がった感情は瞬く間に全身を包む。
叫んだ言葉は、もう止まらない。
「だがイオスは、何も与えてはくれなかった! 私が本当に欲しかったものを、何一つ、その幸福の一欠けらさえも、私には無い!!」
王族の末席に生まれたエカテリーナには、両親の愛情さえ無かった。
幼い彼女にあったのは、ただ、女神が注ぐ慈愛だけ。
神の愛は、エカテリーナを強く、賢く、美しく成長させたが――――人が人を愛することを、教えることはできなかった。
「だからリリィ、私は貴様が羨ましい」
すでにエカテリーナに、戦いの駆け引きは無い。
競り合い続けていたビットを納め、ミサイルも撃ち止め。
「運命と出会った貴様が妬ましい」
一切の攻撃を止めた。
リリィの追撃はない。
「貴様は私だ。私が望んだ全てを手に入れた、理想の私だ」
激しく燃え盛る嫉妬の炎に焦がされて、エカテリーナは決断する。
そうせざるを得ない。これ以上は耐えられない。
故に、全てを一撃に込めて、終わらせる。
「こんなにも、誰かを憎いと思ったことはない。消え去れ、私の夢」
嫉妬に狂った、醜く愚かな剥き出しの感情はテレパシーを通じて、リリィへ余すことなく、ありのまま全て届く。
常人なら瞬時に発狂する強烈にして激烈な憎悪の波動を受けて、リリィは心の底から満足そうに笑った。
「うふふっ、いいでしょー?」
「デュアルリアクター、無制限解放――――」
血の涙で滲む赤い視界の向こう側にあっても尚、煌々と輝くターゲットへ向けて、エカテリーナは殺意の全てを注ぎ込む。
二基のリアクターが限界を超えて急速稼動し、本来、想定された以上のエーテルを機体へと流し込む。
その莫大な力の行く先は、翡翠に輝く両翼。
注がれたあまりのエーテル量に、光の翼はさらに大きく長く、破滅的な煌めきを増して拡大の一途を辿る。
巨大化した翼が大きく上方へと羽ばたけば、光の両翼は頭上で混じり合い、螺旋を描くように融合し……一振りの巨大な光刃へと姿を変えた。
出力全開。どんな防御も消し飛ばす圧倒的な火力を束ねた、シグルドリーヴァ、最後にして最大の攻撃。
己の運命を託すに、相応しい必殺の一撃。
「星の女神の加護よあれ――――『英雄殺し』」
そして必殺の一撃に乗せるのは、必中を約束するイオスヒルトの加護。
1秒にも満たない先の未来を確定させた『星詠み』は、翡翠の巨剣『英雄殺し』に飲み込まれる妖魔王の姿を、確かにエカテリーナへと見せた。
終わった。
これで全て、終わらせた。
自らの手で、孤独の覇道を歩み続ける未来を、選び取ったのだ。
「戦闘形態起動、『光の魔王』」
その声が届いたのは、今か未来か。
ただエカテリーナがこの瞬間に見たのは、黒い闇。光り輝いているはずなのに、遥かなる宇宙の深淵を思わせる黒だった。
「『流星剣・アンタレス』」
その闇を切り裂く赤い流星のように、真紅の輝きが灯る。
「『流星剣・ベテルギウス』」
さらに青い流星が、蒼白の瞬きを閃かせた。
「これが私の愛の形――――『星凪』」
それは一つの剣であり、完成された武技だった。
赤と青、二振りの流星剣が、両手に握りしめられた『黒乃神凪「無命」の黒き刀身に宿る。
本来ならば、絶対にありえない現象。純粋な光の刃が、呪いの刀身と混じる、すなわち光と闇が合わさることなど、魔法の理に反する。
しかし愛はどんな不可能をも可能とする、と言わんばかりに、完全な一体化を果たす。リリィとクロノ、二人が合体したことで、それぞれが誇る剣もまた、一つに束ねられた。
その刃は満点の夜空のように煌めく剣閃で、望む全てを断ち切った。
あらゆる敵を滅すはずの『英雄殺し』を、シグルドリーヴァのコックピットブロックを守る最大硬度の装甲を、その一振りで切り拓いて見せた。
決して誰も届かぬ聖域たるコックピットに、光が差し込む。
リアルな視界を映す全天周囲モニター越しではなく、エカテリーナはその目でもって、直に妖魔王と相対する。
己の全てを上回り、この場に辿り着いた、理想の自分と。
「エカテリーナ」
本物の女神が囁くかのような声で、自分の名を呼ぶ。
「私は……」
この期に及んで、言い残すことなど何もない。
敗北の二文字は、エカテリーナには後悔も屈辱も、何ももたらすことは無かった。
ただ、これで終わるのだと、そう思った。
「さぁ、こんな所から出て、行きましょう」
向けられたのは、刃ではなく、掌。
手にした呪いの大剣を一振りすれば、容易くこの首が取れるにも関わらず。目の前に差し出されたのは、無骨な黒いガントレットに包まれた手だった。
「行くって……どこに……」
「運命の人を、探しにいくの」
その言葉の意味を理解するよりも先に、視界が歪んだ。
それはエカテリーナにとって、よく馴染んだ感覚。あるいは前兆。『星詠み』は未来の光景を、文字通りに『見せて』くれる。
エカテリーナは見た。
誰かが自分に手を差し伸べる光景を。
それはリリィでもクロノでもない。
誰だ。子供のように小さな掌。
けれど、確かな優しさをもって、差し伸べられた手だった。
『ごめんなさい』
女神の声が聞こえる。
何度も、何年、何十年、百年を超えて夢で聞いた声。
けれど今この瞬間だけは、彼女の声は他でもない、自分に向けられている。
『貴女が運命と、出会えますように』
無責任な祈りの言葉――――否、『星詠み』は確定した未来の景色を見せてくれる。
だから見る。エカテリーナは、必死に目を凝らして、見た。
自分に手を差し伸べる、運命の相手を。
「ああ、そうか、お前が私の――――」
朧げながらも、確かに見た。
黒い髪に翡翠の瞳。
夢の中で見たミア・エルロードと似ているけれど、あんな残酷無比な殺人機械のような本物の魔王とはまるで違う、一人の少年の姿を。
その妖精のように愛らしい顔立ちは、本当の愛を知っていた。
その魔王のように堂々とした立ち姿は、本当の愛を教えてくれる。
今この時、エカテリーナはついに運命と出会った。
「星の女神の、神命のままに」
エカテリーナは数百年ぶりに、幼い頃と同じ純粋な気持ちで、己の女神へ祈りを捧げた。
「私の負けだ。戦争はもう止める。リリィ、お前の言う通り、私は運命の人を探しに行こう」
そう言い放ち、女帝エカテリーナは妖魔王リリィの手をとった。
2026年3月13日
イオスヒルト戦、決着です。実質2話分を1話にまとめた文字数となっていますので、来週の更新はお休みさせていただきます。
個人的にロボのラストバトルは、ラスボスとレスバしながら決闘だと思うので、戦闘内容そのものよりもリリィとエカテリーナの言い合いがメインになってます。戦闘開始から決着までの勢いが大事だと思ったので、この1話にまとめました。勢い、感じていただければ幸いです。




