第1067話 黒竜VS機竜(2)
オルテンシアの王族はハイエルフである――――などと言われているが、何てことは無い。ただ優れた者の血を取り込んできただけに過ぎない。
身体能力、魔力、容姿、頭脳……優れた者と婚姻させるのは他の国でも行われる、特別なことではないだろう。
エカテリーナが物心ついた時には、そのことを理解していた。自分は特別な存在ではない。ただ特別な存在であるよう、求められる立場に生まれただけなのだと。
「『北天星イオスヒルト』の御心のままに……」
本当に特別なのは、神様だけだ。
幼くして『北天星イオスヒルト』の厚い加護を授かったエカテリーナは、それもまたよく理解した。
だからこそ女神へ捧げる信仰の道を選んだ。
その選択が結果的に、エカテリーナの命を救い、女王の座へと導いた。
エカテリーナが生まれた当時のオルテンシアは、良くも悪くも発展が進んできた。特に完全な状態の戦人機が複数発掘されたことで、大陸の覇権を握るという野望が現実味を帯びていた。
国力は十分に養われ、大陸を制するに足る古代兵器も手に入る。今この時に王位につけば――――そんな野心が、オルテンシア王族の誰もが抱いてしまった。
そうして壮絶な王位継承争いの結果、最後に生き残ったのはパンドラ神殿で幼くして隠遁生活を送っていたエカテリーナであった。
すでに血みどろの暗闘が終わった後の王宮で、エカテリーナは女神の意志に導かれるようにして、王冠をその小さな頭へと載せた。
「私が女王に……それが、女神様のご意志なのですね」
今となっては反吐が出るような、純粋な覚悟だった。
女王となったからには、とエカテリーナは奮闘した。
凄惨な権力闘争に明け暮れ荒れ果てた王宮であっても、国の統治は滞りないよう采配を奮った。まだ幼いエカテリーナを傀儡にしようと目論む連中を排除した。
決して国が乱れぬようにしながらも、小さな女王に忍び寄る魔の手を強かに返り討つ。そうしてエカテリーナは少しずつ、着実に、ただ運良く王位が巡って来た小娘から、本物の女王へと成ってゆく。
とうに両親を失い、同じ王族でも心から信頼できる者など一人もいない。孤立無援、そんな状況下でも心を強く保ち、己を貫いて来れたのは、他でもない、女神イオスヒルトの加護があったから。
それは『星詠み』の予知能力だけではない。心の拠り所として、女神が見守ってくれている、というのは何よりも強い存在感であった。
エカテリーナは、その点だけは認めている。かつての小さく幼い、最も弱かった頃の自分を支えたのは、確かに『北天星イオスヒルト』であると。盲目的な信仰心でも無ければ、とても耐えきれない環境であった。
そう、あの頃は純粋にも心から女神を信じていた。
「私にも、いつか魔王様が――――」
運命の人が、現れてくると。
甘い、あまりにも甘すぎる、夢を見ていてしまったのだ。それがいつしか、呪いになるとは知らずに。
エカテリーナが初めて女神イオスヒルトの加護を授かった時、聞こえたのは彼女の声だった。
それは、とても幸せそうな声で、その幸福と喜びを分け与えたいと感じるような、天上の祝福そのもの。
何がそんなに嬉しいのか。女神の心をこれほどまでに満たす、素敵なモノとは何なのか。答えはすぐに得られた。
加護によって女神と強い繋がりを持つエカテリーナは、夢でイオスヒルト自身の記憶を垣間見た。最初は断片的な、古代の光景。けれど、その内容はすぐに理解できた。
それは出会いの光景。
森に墜落してボロボロになった戦人機から這い出て来る、黒い髪に赤い瞳の小さな少年。魔王ミアと初めて出会った時のこと。
それから、ミアと共に過ごしたかけがえのない一時。
何れも光り輝く宝石のように、美しい思い出の欠片として、エカテリーナの目にはキラキラ輝いて見えて仕方が無かった。
「七人目の花嫁、イオスヒルト――――やっぱり、女神様は魔王様と結ばれていたのですね」
『北天星イオスヒルト』にまつわる伝承は、驚くほど少ない。
ただある時期に、このオルテンシアのある場所で、ミアとイオスヒルトの二人が出会った。
後にミアが魔王としてパンドラを征服した頃、再びイオスヒルトを迎えに来て、結ばれた。
その始まりと終わり、だけしか明確に伝わってはいないのだ。
けれどエカテリーナにとって、それはハッピーエンドを示す証拠としては十分過ぎるものだった。
何せ自分は、歴史に残らぬ二人の素敵な思い出を、こうしてこの目で見ているのだから。
あの二人がとても幸せな恋人であり、夫婦となったことに疑いようはない。
だからこそ、イオスヒルトの加護を授かる自分も、女神と同じ幸福を得られるのだと――――愚かにも、自分は信じ切っていた。
『ミアに愛されたイオスヒルトが、そんなに羨ましいか?』
「クロノ、貴様は言ってはならぬことを言った」
クロノの一言は、何よりも深く己の心を突き刺した。
凍てつく永久凍土の奥底に封印したような、心の底まで切先が確かに届いた感触に、途轍もない不快感が湧く。
それは己が最も否定すべき、忌むべき感情――――『嫉妬』。
「下らぬ挑発……と、切って捨てるべきなのだろうが……」
冷静な部分が強くそう訴えかけるが、一度噴き出した怒りの感情は止められない。
冷徹な女王として振る舞い続け、どれほど経ったか。人としてすっかり冷え切ったと思っていた己の心に、これほどの熱が残っていたことに驚くほどだ。
強烈な憤怒の感情は、どこまでも冷静に観察していた彼我の戦力分析すらも忘れさせてしまう。
魔王騎ベルクローゼンを名乗る黒竜。その燃えるような赤い輝きを放つ形態は、このブリュンヒルトを打倒しうる戦闘能力を持つが、決して長くは続かない。
このまま無理に攻めることなく、守勢に徹していれば勝利は盤石。この戦況、この戦力差、時間は確実に自分の味方となり得る。
そうするべきだし、そうするつもりであった。オープンチャンネルでの会話の応酬など、余興のようなもの。余裕の表れ。
あるいは、何か魔王クロノに感心するべきところはないかと、確認するような気持ちであった。
「どうやら、貴様をこの手で八つ裂きにでもしなければ、この怒りは治まりそうもない」
そう口にしてしまえば、もう止まらない。
悠長に時間稼ぎのような温い戦法を捨て去り、エカテリーナは怒りのままにブリュンヒルトを駆る。今すぐ決着をつけるに足る、切り札の一つを使って。
「『DDD』起動準備」
ドラゴン・デストロイ・ディバイダー。システム上『DDD』と呼ばれる、ブリュンヒルトに搭載した秘密兵器である。
この『DDD』はスプリガンが持つライフルやロングキャノン、ミサイルポッドなどといった戦人機用の装備とは異なる。
これは対龍災用の兵器なのだ。
故に、これを使う対象はドラゴンであり、特効的な威力を誇る。
本来は黒竜を消耗させても尚、仕留め切れない場合にのみ使う奥の手であった。決まれば確実に巨竜も殺せる必殺の秘めているが、万一にも外せば大きな隙を晒すこととなる。
戦闘はエカテリーナが当初予測した通りに推移しており、『DDD』を使うことなく完封するはずだったが……己の内から湧き上がる怒りを込めるのに、これほど相応しい武装は無い。
「私の前に力尽き倒れたならば、慈悲をもって降伏も受け入れるつもりであったが――――クロノ、貴様は己の失言によって、無様に命を散らすこととなる!」
『図星を突かれて怒り狂うとは、可愛いところあるじゃないか』
「それが遺言なら、聞き届けやる価値もない!!」
ブースト全開。黒竜から距離を取るように旋回していた軌道を一転、相手に向けて一直線に距離を詰める。
これを待っていた、とばかりに収束させたブレスを放ってくるが、
「無駄だ、ブリュンヒルトの盾は砕けん!」
渾身の一撃を狙ってくることなど、分かり切っていた。正面にシールドを集中させ、防御に任せて突っ切る。
デュアルリアクターが唸りを上げて高密度エーテルを供給する脈動が、強く感じられる。視界の端に、各部から過負荷を示すアラートも映るが、最早気にすることでもない。
このまま間合いを詰めて、一気に決める。それで魔王との決闘は終わる。
『来るぞっ、ベル!』
ブレスを完全に凌がれ、目前まで迫ったブリュンヒルトを前に、魔王が叫び、黒竜が吠える。
ベルクローゼンの四肢に魔力が集中し、その爪が赤々と輝きを放っているのが見えた。殴り合い上等といった構え。ブレスが通じずとも、牙と爪でもって相手を引き裂くという強い意志を感じる。
確かに、完全にゼロ距離で組みつかれれば、ブリュンヒルトの方が分が悪い。生身の分だけ、近接格闘能力の素早さ、繊細さ、といった滑らかで素早い動きは黒竜の方が優れている。
挑発的な言葉で、こちらを怒らせ接近戦に持ち込むよう仕向けたのも、クロノの策の一つだろう。自分はまんまとそれに乗った形だが、エカテリーナは拳が届くよりも前に、ナイフ一本分のリーチを活かして先に刺すべく、タイミングを見切っていた。
ぶつかり合う寸前の黒竜と機竜。今正に、この瞬間、
「――――『DDD』起動」
グリーンのスパークがブリュンヒルトの胴体に奔ると共に、その装甲が爆ぜる。
いいや、弾け飛んだのではなく、射出したのだ。
ソレは竜の爪のように鋭い形状と化し、胴体とワイヤーで繋がった状態で発射されていた。
すでに殴り合う寸前の間合いにいたため、ベルクローゼンは飛んできたクロウアームを回避できる余地もなく、そのまま胴体に食らいつかれた。
思わぬ攻撃に、ベルクローゼンも咄嗟に胴に食い込むように締め付ける巨大な爪をこじ開けるように両手をかけるが、
「竜殺しの力、とくと味わうといい」
雷撃に似た閃光が、ワイヤーを伝ってクロウから放たれる。黒竜の体を決して離すまいと掴みこんだまま、ゼロ距離で雷撃は余すことなくその身を打つ。
神々しいエメラルドに輝く雷が、ベルクローゼンの全身に駆け巡る。巨大な黒竜の咆哮さえもかき消して、万雷が爆ぜる音が鳴り響く。
この緑の雷撃は、ただのエーテルの塊である光弾やビームとは性質が異なる。様々な龍災を経て編み出された、最も龍に効くよう調整された、特殊なエーテルの波動だ。
それそのものが超高熱を宿し、物質を砕く衝撃波も発するので、物理的な威力だけでも破格の効果を誇っている。それに加えて、龍特効と言うべき毒のような効果が付与されている。
龍特効は当然、戦人機や天空戦艦といった純粋な機械兵器には何の効果も及ぼさない。だがしかし、黒竜、すなわち戦竜機は龍災の龍を元に作られた生体兵器である。
龍に対抗するため、龍と同じ力を持つが故に、対龍災兵器はこの上ない効果を発揮する。
「ふん、これもイオスヒルトの予知だと思えば、あまり良い気分では無いがな」
エカテリーナは自分の前に魔王が立ち塞がる時、必ず黒竜に乗ってやって来る、と『星詠み』で知っていた。
魔王はあらゆる種族を従え、黒竜の群れさえも率いて来る――――そして、その予知が真実であることを証明するように、クロノは確かに大陸各国を平定し、ラグナ公国まで傘下に加えた。
そして戦人機軍団を擁するオルテンシア軍を前に、最強の戦力を結集させて決戦に臨むべく、黒竜ベルクローゼンを駆り、目の前に現れた。
予知の内容に、現実が追いつく。
だからこの先は、自ら切り開いた運命の結果。
魔王を征した勝利の――――
ズドォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!
「――――っ!? 撃たれた、だとぉ……一体どこから……」
ロックオンアラートが耳に届いた時には、すでにその一撃は炸裂していた。
ブリュンヒルトの背中、ど真ん中に巨大な火柱が上がり、機竜の巨躯を揺るがす凄まじい衝撃波と破壊力が駆け抜けていく。
瞬時に機体のダメージ状況が表示。背面装甲が砕け散り、内部にまで損傷が届いている。さらには翼にも少なくないダメージが入り、エーテルクラフトと同じ浮遊効果を得る翼膜の出力が急速に低下し始めていた。
だが、今すぐ墜落するワケではない。ならば被害状況の把握は後回し。
エカテリーナは、不遜にも女帝の背中を撃った不届き者を探った。
「おのれっ、沈みかけの船がっ!!」
砲撃を放ったのは、シールドを粉砕され航空部隊の猛攻に晒されていたはずの、天空戦艦エルドラドであった。
いまだ空を飛び回り、粘り強く抵抗を続けている。エカテリーナの思っていた通り、エール・スプリガンに襲われ続け、満身創痍といったほどに追い込まれている。
決して、航空部隊が敗れたワケでもなければ、攻勢を緩めたワケでもない。
それでも、エルドラドは撃った。
いいや、最初から狙っていたのだ。このブリュンヒルトに一撃を加える、その瞬間を。
気づかなかったのも、無理はない。ただ主砲を向けられれば、絶対にロックオンアラートが先に知らせてくれる。エルドラドの主砲の射程範囲は分かっている。反応しないはずがない。
それでも、撃たれる寸前になるまでロックオンを感知出来なかったのは、想定された射程範囲を超えるほどの遠距離から放たれたから。
普通は撃っても当たらない。超長距離でも狙いを定めるのに時間をかければ、主砲に込められたエーテル反応で感知できる。
ブリュンヒルトには、古代で使われたあらゆる誘導システム、ロックオンシステム、に対する鋭い感知センサーを備えている。それらが全く反応せず、発射の直前でやっとエーテル反応を拾ったということは――――まるで、人力で狙って撃ったかのようだ。
ありえない、と真っ先に否定的な感想が浮かぶが、超長距離砲撃を行うために、砲塔を犠牲にして撃ったエルドラドが、煙を噴きながら飛び去る姿に、現実で起こってしまったことは受け入れるしかないと、思い直す。
一体どんな砲撃手がいるのか。それともブリュンヒルトでも感知できない誘導システムがあったのか。いずれにせよ、エルドラドに気を取られるワケにはいかない。
まずは確実に魔王と黒竜へトドメを、
『悪いな、決闘すると言ったが、アレはウソだ』
平然といった様子の言葉に、ありえない、の感情が上書きされる。
効いていないはずがない。『DDD』は竜殺しのための兵器。
しかし、黒竜ベルクローゼンは掴んでいたクローに、更なる力を込めて、吠えた。
『――――『炎の竜王』』
これが、魔王の加護。
直感と同時に、イオスヒルトの神意がエカテリーナに示す。
ベルクローゼンの両腕に真っ赤なオーラが吹き上がり、メキメキと掴んだクローを力任せに歪ませてゆく。
対竜災兵器である以上、龍を拘束するに足る耐久力を持つはずのクローアームだが、無慈悲に破損を示すアラートが鳴り響く。
想定以上の膂力。魔王の第一の加護は、純粋なパワーを上昇させる。
まずい、もう何秒もしない内に、力任せに破られる……ならば、最後の瞬間まで攻めるべきだと、エカテリーナは叫んだ。
「龍を殺してみせろっ、『DDD』!!」
『――――『鋼の竜王』』
再びワイヤーを通して放ったエメラルドの雷撃は、鈍色のオーラによって阻まれた。
黒竜の全身から発せられるその力は、魔王の第二の加護。
最初に放った竜殺しの力を防いだのは、この加護であると理解する。
確かに『DDD』は龍を殺す兵器だが、クロノはそれを防ぐ切り札を隠し持っていた。
それが黒竜そのものに、魔王の加護の力を発現させること。
『俺達の勝ちだ――――『虚竜砲』』
鋼鉄の悲鳴を上げて『DDD』のクロウアームが引き千切られた瞬間、エカテリーナが見たのは渾身のブレスを放たんと開かれた黒竜の口腔。
そして、全てが闇に包まれた――――




