尻が痛くならず、さして揺れもせず
初めての馬車はものすごく揺れた。景色を見ながらのんびり、なんて生優しいものではなかった。
揺れがダイレクトにケツに来る。エキナさんが『クッション』と言っていた訳が、いまなら痛いほど分かる。
「……よ、吉田ァ……エチケット袋、持ってない?」
「あるわけないじゃん。そめちゃん、やばそう?持たない?」
「……あと五分が限界……やっぱ五秒かも」
「止まりましょう。御者さーん!ストップストップ!!」
エキナさんが声をかけてくれたお陰で間一髪だった。かくいう俺も完全に酔った。
「ケルちゃんたちも疲れたわね」
ケルベロスもぐったりしていた。いっそ巨大化して走った方が速いかもしれない。
「アオイ、馬車に乗ったことがないというのは、そちらの世界には違う交通手段があるのか?」
「車だね。俺たちの世界は、えー、油とか電気で走る、機械の箱?」
「車輪みたいなゴム製の輪がついてるよ」
「ほう」
ティアさんが目を輝かせた。もっと聞きたいオーラが溢れていたので、話を続けた。
「尻が痛くならず、さして揺れもせず……しかも馬より速い!?なんだそれは!魔法よりすごいぞ!!」
「ティアの野郎は本気で転生するつもりなのかよォ?それって死ぬってことだろ?」
「可愛いものは!?ねえ、可愛いものはたくさんあるの?」
「あるよォ〜!!なんたって日本は、カワイイを輸出する国だからね!」
俺たちの世界の話は、思ったよりウケが良かった。興味深く聞いてもらえるの、結構嬉しいな。
『ベロニカ』に着いたのは日が暮れる寸前、その頃にはもう尻の感覚はなくなっていた。
ベロニカは赤レンガで覆われていて、夜になると街全体が黒っぽくて、カルミアとは正反対だ。
一つ、二つ灯されていく灯りが綺麗で、町は食べ物とタバコの匂いで溢れかえっていた。
「この辺まで来ると、夜はさみーな」
「お前は頭丸出しだしな、アリッサム」
「人をハゲみたいに言うんじゃねえ、ティア!」
「ねーねー何食べる?初っ端から酒場行っちゃう?吉田ぁ」
「でもこの町、ざっと数えただけで三件はあるわ酒場」
ケルベロスも腹が減ったらしく、キュウンと切ない声をあげていた。
「そめちゃん、……なるべく明るい居酒屋行こうよ」
「オッケ、教師の勘でいい感じのお店を引き当ててみせましょう!」
そめちゃんが選んだ店は、大通りに面したそこそこ古そうなお店だ。
木製のドアは色褪せ、ドアノブは人の手が触れたところだけ変色していた。




