落武者が斬る
「なぁ……本当にここ、来て大丈夫な所なんだよな?」
俺は友人にそう訊いた。
深夜の森の中。夜の夏風が頰を微かにくすぐる。
俺達は懐中電灯を片手に森の中を歩いていた。目の前を歩く友人が突如「肝試しに行こう」と言い出したからだ。俺は当初「怖いから嫌だ」と断ったが、彼が何度も懇願してくる為、渋々了承したのだ。
「大丈夫だって。そんなにビビるなよ。ましてや幽霊なんて信じてるのか?」
「そうか……お前こっちに引っ越してきて間もないから知らないか……」
友人はつい先日綾羽市に引っ越してきたばかりだ。つまり、この土地の“常識”を知らない。
「なんだよ……そんな含みのある言い方して……」
彼は怪訝そうな表情を見せた。
「綾羽市には霊や怪異が蔓延ってる。怪奇事件なんて日常茶飯事だ。だから肝試しなんてやったら、本当の霊に取り憑かれるかもしれないんだぞ」
俺はそう説明した。
しかし、友人は信じなかった。
「まっさかー。俺、生まれてから一度も霊とか怪異とか見たことないぜ? どうせ迷信だろ? それか俺を怖がらせる為の作戦とか? 憎いなあ、お前」
「俺の話……信じてないだろ?」
「だってそんな夢みたいな話。信じるわけねえだろ。良いから進もうぜ。もう少しで今回の“メインイベント”だからな」
「メインイベント?」
「行けば分かるって。ほれ、行くぞ」
友人は夜の闇の中を突き進む。
「おい、置いていくなって」
俺は彼の後をついて行くので必死だった。
やがて、俺達はある一つの分かれ道で立ち止まった。
「見てみろよ」
友人が懐中電灯で分かれ道の中心を照らす。果たしてそこには森の中にぽつんと置かれた墓石があった。
「なんだよ、これ……墓?」
「ああ。前にこの森に入った時にたまたま見つけてよ。どうだ? 雰囲気あるだろ?」
「いや、お前。これ見るためだけにわざわざこんな時間に『肝試しやろう』なんて言ってきたのか?」
「まあ……そうだけど」
彼は気まずそうに頭をポリポリと掻いた。
俺は呆れて長い息を吐く。
「もう良いから、帰ろうぜ」
「な、なんだよ。もっと怖がれよ!」
「怖がれたって墓石だぞ? こんな森の中にあるのは確かに不気味だけど、特に怖くも何ともないぜ?」
「チッ、なんだよ。つまんねえな。しらけちまったじゃねえか」
彼は不服そうに唇をとんがらせ、墓石を足で蹴り飛ばした。
「バカ、お前っ──何してんだよ!」
俺は彼にそう言った。
墓石を蹴るなんて、死者への冒涜に他ならない。特に綾羽市は何が起きるか分からない。一番行なっていけない行為だ。
「お前がしらけるようなこと言うのが悪いんだよ」
「俺のせいかよ。いや、この際そんなことはどうでも良い。墓石を蹴るなんて中で眠ってる人に失礼だろ? 今すぐ戻せよ」
「やだね。どうせ、この墓もただの作りもんだろ? 蹴り飛ばしたぐらいなんだってんだよ」
彼は不機嫌気味にそう言った。
俺は思わず溜息を吐く。
「わかった。もう良いから、帰ろうぜ?」
俺はそう言った。
「へいへーい」
友人は両手を後頭部に添えて、踵を返した。
しかし次の刹那、友人の背中に大きな切り傷が走った。鮮血が吹き出し、彼はその場に倒れ込む。背中からどくどくと血液が溢れ出ている。
「──は?」
あまりに一瞬の出来事であった為、俺は事態を把握できず、フリーズする。
彼は死んだのか?
誰かに背中を斬られた?
一体どうして?
俺の後ろに誰かいるのか……?
俺は意を決して後ろを振り向いた。
そこには、甲冑に身を包み、頭に矢が刺さった落武者がいた。全身に切り傷があり、血が流れ出ている。そしてその手には、刃こぼれした刀が握られていた。刀身は血で真っ赤に染まっている。
「嘘……だろ?」
怨霊だ。落武者の怨霊だ。間違いない。おそらく、先程の墓の中に埋葬されていたのだろう。友人が墓石を蹴り飛ばした為、怒って現れたというわけか。
「す、すみませんっ。墓石はすぐに戻しますので、どうか命だけは──」
「拙者の戦は、まだ終わっていない──」
俺の言葉は落武者の声に掻き消される。
そして次の刹那、俺は落武者に斬られた。
「がはっ……」
口から血を吐き、俺はその場に倒れ込む。
「殿……今、向かいまする。しんがりは拙者にお任せ下さい……」
俺は遠のいていく意識の中で、森の奥に入っていく彼の背中を見ていた。
ああ、俺、死ぬんだ。
俺は目を閉じた。
次の瞬間には、俺は完全に事切れた。
深夜の森の中。
俺達はパトカーを降りて、現場へと赴いていた。
懐中電灯で照らすと、そこには二人分の遺体があった。一人は背中をざっくりと斬られており、もう一人は胸を斬られていた。切り傷は内臓にまで達しており、血液が絶えず流れ出ていた。
黒田は思わず、両手で口を押さえた。
「すみません……戻しそうです……」
「吐くならそっちの茂みの方にしろ」
俺はそう言った。
無理もない。こんな酷いに死に方をしているのだ。鵺の時のように内臓がまろび出ているわけではないが、見ていて胃酸が逆流しそうになるのは確かだ。
俺は遺体の前で手を合わせて黙とうを捧げた。
既に現場には鑑識が入っており、刑事事件ということで捜査が開始されている。綾羽市警には「森の中で二人の少年が血を流して倒れている」と通報が入った。狩猟者からの通報だった。狩猟者は仕掛けた罠の様子を確認する為に森に入り、この二人の遺体を見つけたらしい。
災難なことこの上ない。
「黒田、吐き終わったら、詳細聞かせろ」
「は、はい。うぷっ」
黒田はまだ気持ち悪そうにしていた。
俺は彼が落ち着くまで待つことにした。
やがて、黒田は手帳を持って俺の元にやってきた。
「すみません。お待たせしました」
「おう。それで?」
「はい。遺体の身元は中嶋優弥と佐伯仁。どちらも十六歳です」
「十六歳の男子がなんで深夜の森にいるんだよ……未成年は深夜の外出、禁止だっつうの」
俺は遺体を見て「まあ。今はそんな話してる場合じゃねえよな……」と言った。急いで犯人を特定しなければ、しかし遺体には刀で斬りつけられたような切り傷が残っている。
銃刀法を破った人間による犯行か?
それとも……。
「赤城刑事。今、少し良いですか?」
ふと、警官の一人が俺の元に駆け寄ってきた。
「どうした? 何か進展か?」
「いえ、それが、このようなものが落ちていまして……」
警官が手に持っていたのは小さな墓石だった。
「なんだそれ……墓石?」
「はい……どうやら、この分かれ道の中心に置かれていたものらしく、何者かによって位置を移動させられたみたいなんです……」
「墓石……ねえ」
怨霊の類だろうか?
もしかすると、この遺体の二人のどちらかがこの墓石を退かし、それに痺れを切らした死者が怨霊となって現れ、二人を斬り殺したのかもしれない。
今回の現場と遺体と見るに、人間が引き起こしたとは考えられない点が幾つかある。一つは遺体が刀のような長い刃物で斬られていること。銃刀法の観点から見て、刀を所持している人間がいるとは考えにくい。そしてもう一つ、遺体が放置されていること。一般的な殺人事件であれば、遺体はどこか見つかりづらい場所に遺棄するか、埋め立てて証拠隠滅を図る。しかし今回の現場では、遺体はそのままの状態で放置されていた。霊や怪異が犯人だとすれば、遺体を遺棄したり、隠したりするという思考を持たない可能性が高い。
つまり、今回の犯行は霊や怪異によるものでほぼ間違いない。
「黒田。悠斗に連絡だ。この場所の位置情報を送って、来るように伝えてくれ。今回の犯人、おそらく霊か怪異のどちらかだ」
「は、はい。分かりました」
黒田はすぐにスマートフォンで悠斗に連絡を取った。
その次の刹那、森の草木がおもむろに揺れ始める。
「なんだ……?」
森の奥から人影が徐々に見えてくる。
小枝を踏み締める音があたりに響く。
そこにいたのは、甲冑に身を包み、頭に矢が刺さった落武者だった。
「鑑識は下がれ。他の警官は『霊弾』をリロードしろ。迎え撃つ」
俺はそう指示を出した。
落武者の手には刃こぼれした刀が握られていた。その刀身には血がベッタリと付着している。俺はすぐに悟った。奴が今回の犯人だ。
鑑識達は逃げるように警官の背後に身を潜め、警官達は『霊弾』をリロードする。
「──撃て!」
俺達は『霊弾』を発砲した。
「──拙者の戦の邪魔をするな」
四方八方から襲いかかる『霊弾』を、奴は一本の刀で全て斬り分けた。
「なんだと……⁉︎」
警官達は『霊弾』を発砲し続ける。
しかしそれらは全て斬り伏せられてしまう。
まずい。有効打になっていない。このまま発砲を続ければ『霊弾』が枯渇してしまう。そうなって仕舞えば、俺達に反撃する手段は残されていない。
いや、そんなことは考えるな。
撃つんだ。
撃って、撃って、時間を稼ぐのだ。
落武者は『霊弾』を全て斬り落とし、間合いを詰めてきた。
そして奴の凶刃が俺に襲いかかる。
「ッ!」
俺は死を覚悟した。
しかし、俺が斬られることはなかった。
「……?」
目の前を見ると、白髪の霊能者が青い刀で奴の刀を受け止めていた。
悠斗だった。
彼は青い刀身の刀を振り切って、落武者を後方に弾き飛ばした。
「赤城刑事。遅くなりました」
「悠斗……お前どうやってこんなに早く……」
「転移霊陣を使いました。黒田さんから送られた森には一度行ったことがあったので、僕の転移霊陣の対象になります」
「そ、そうなのか……」
「ひとまず、警官の皆さんは下がっていて下さい。僕達でケリをつけます」
「僕……“達”?」
俺はそう訊き返した。
次の刹那、落武者に向かって氷の針が投てきされた。
奴はそれを全て斬り落とす。
サユキの妖術だ。
見ると、足元に吹雪を発生させて上空にボバリングする雪女の少女の姿があった。
サユキはゆっくりと地面に降り立つ。
「生半可な攻撃は効かないみたいですね……」
彼女はそう溢した後、「創成・氷刀」と詠唱し、二本の氷の刀を生み出した。
悠斗も青い刀を構える。
僕達は落武者の怨霊と対峙する。
なんとか間に合って良かった。危ない所だった。あともう少し現着するのが遅れていたら、警察に死者が出ていたかもしれない。
相手は武士。剣術の達人だ。落武者とは言え、戦場を駆け巡った英雄のうちの一人。そんな彼と相見えることになろうとは。
僕は霊刀を握る力を強くする。
「サユキ、いくよ」
「はい」
深夜の夏の風が吹き、木の葉が戦場に落ちる。
次の刹那、僕達と奴は同時に駆け出した。
僕と落武者は正面から斬り合う。
刀と刀がぶつかり合う度に火花が散り、大気が揺れる。一太刀一太刀が重く、速い。そして太刀筋がしっかりしている。流石は武士といったところだ。
「零明流剣術・朧桜」
僕と刀を上段から振り下ろした。
しかし奴はそれを難なく受け止める。
ガチガチと刀が正面からぶつかり合う。
僕達は硬直状態に入った。
「殿……お守りできなかった……」
ふと、落武者は血の涙を流した。
殿……。そうか、落武者はいわば敗走兵。仕えた殿を守ることができず、戦場から逃げた武士だ。それは即ち、殿への想いが未練となり、死して怨霊に転じたということだ。
「──拙者の邪魔をするな」
落武者は僕の刀を弾き飛ばした。
「ッ!」
まずい。霊刀が後方に飛ばされた。
「零明流霊術・閉栓結界──」
僕が結界を張り終えるよりも速く、奴は動いた。
まずい。奴の刃が迫り来る。防ぎ切れない。
僕は腕に霊力を溜め込んで、皮膚を頑丈にし、奴の凶刃を受け止めようと試みた。
しかし、咄嗟にサユキが落武者に向かって刺突を繰り出したことで僕は難を逃れた。
落武者は身をねじることでサユキの攻撃を回避する。
「ありがとう、サユキ」
僕は礼を告げた。
「大丈夫ですよ。気にしないで下さい」
サユキはそう返した。
彼女は二本の氷の刀を振り切って、奴の鎧を斬った。
「ぐっ……」
落武者は後方に歩を進めた。
「やりおる……これほど血がたぎるのは久方ぶりでござる」
ふと、落武者は笑みを溢した。
「殿……お許しを。どうか拙者に戦を楽しむ慈悲を与えて下され……」
彼は天を仰いでそう呟いた。
「さあ、参ろうか」
落武者は刀を構える。
どうやら、何かを振り切ったらしい。
これは、僕達も本気で相手をしなければならないようだ。
僕は霊刀を拾い上げ、中段に構えた。
サユキも二本の氷の刀を構える。
そして次の刹那、僕とサユキは同時に奴との間合いを詰めた。
一本の青い刃と二本の氷の刃を交互を振るう。
奴はそれを一つの刀で受け切った。
僕は咄嗟に体勢を低くし、奴の脛を斬った。
──零明流剣術・蒼黒。
落武者は体勢を崩し、よろめき出す。
その隙を、サユキは見逃さなかった。
サユキは氷の太刀を振るい、奴の刀を真っ二つに切断した。
しかし落武者は刀が折れても攻撃を止めなかった。
折れた刀身を振るい、間合いを詰めていたサユキに切り傷を与えた。
「ぐっ……!」
サユキは腕を斬られた。血が滴り落ちる。
「サユキ……!」
「──大丈夫です」
サユキは氷で傷口を凍らせて止血した。
「このぐらい、なんのその!」
サユキは再び刃を振るった。
そして刀を持っていた奴の片腕を切断した。
後方にベチャッと彼の腐った腕が落ちる。
ここだ。
仕留めるならここしかない。
「零明流剣術・枝垂柳・弔」
僕は霊刀を逆手に持ち替え、奴の脳天からその体躯を串刺しにした。
「ぐあ……あぁ」
奴は苦しみ出し、やがて黒い塵となって消滅するのだった。




