第9話 県予選(2)
「実憂ちゃん、たぶんもうバレてるから、いつまでも後ろに隠れてないで出ておいで?」
「うっ……、ご、ごめん」
そう言われたわたしは、顔が熱くなるのを自覚しながら、南ちゃんの背後から隣へと移動した。
目の前のコートでは遥斗君たちが強烈な打球音を響かせながらボールを打ち合っている。ポイントが終わるたびに周囲の観客から激しい声援が沸き上がる。
正直、場違い感が半端じゃない。いつも教室の隅っこで静かに本を読んでいるわたしには、この熱気に満ちた空気はあまりにも刺激的過ぎた。今すぐどこかへ隠れてしまいたくなる。
「実憂ちゃん、大丈夫? そんなにびくびくしなくても、ボールが飛んできて顔にぶつかるようなことはないから大丈夫だよ?」
「あ、うん。ありがとう」
そういうわけではないんだけどと思いつつ、背中をさすってくれる南ちゃんのやさしさに少し気持ちが和らいだ。
たしかに、あの速い球がこっちに向かって飛んできたらと思うとぞっとする。もしコートに立っているのがわたしだったら、すぐにラケットを放り出して悲鳴を上げながら逃げ出すだろう。
そう考えると、ビュンビュンと飛び交っているあのボールに臆せずに反応している遥斗君も裕也君も本当にすごいなあと思う。先週一緒に遊んでいたときとは別人みたいだ。
尊敬のまなざしを送っていると、隣から南ちゃんの穏やかな声が聞こえた。
「どう? 少しは落ち着いた?」
「う、うん。なんかごめんね、色々と迷惑かけちゃって」
「なんでよ。そもそも誘ったのは私じゃん。一緒に来てくれてありがとね」
にこりと微笑む南ちゃん。
昨晩突然、南ちゃんからメッセージがきた。それだけでもびっくりしたけど「明日一緒に試合を見に行かない?」と誘われてさらに驚いた。
テニス部の大事な試合があることは遥斗君から聞いていたけど、無関係なわたしが見に行ってもいいのかと最初は少しためらった。
それでも、週末の予定は何もなかったし、何より南ちゃんが誘ってくれたことが嬉しくて、わたしは勇気を出して行ってみることにした。
ただ、会場についてからというものの、わたしは南ちゃんの足を引っ張ってばかりだ。
「で、でも、わたしのせいでちょっと試合に遅れちゃったし」
会場について、あたりから放たれる凄まじい熱気にすっかり当てられてしまったわたしは、緊張のあまりお手洗いにこもる羽目になった。
ちょっと緊張しちゃって、と伝えたら「実憂ちゃんも今日試合出るの!?」と南ちゃんに本気で驚かれたのが忘れられない。
「全然平気だよ。こうやって試合には間に合ったし。それに遅れたのはわたしが道を間違えたせいってのもあるから」
えへへと恥ずかしそうに微笑みながら南ちゃんが言う。
たしかにわたしたちは駅からこの市営公園に来るまでの道中で二、三回くらい道を間違えた。
南ちゃんが案内してくれると言うから最初はありがたく付いて行こうと思ったが、一向に辿り着く気配がなかったので途中からわたしも一緒にマップを確認しながら歩くことになった。
「あっれー、裕也と一緒にいるときは道間違えないんだけどなー。なんでだろ?」とつぶやく南ちゃんは、もしかしたらちょっぴり方向音痴なのかもしれない。そんな意外な一面も可愛らしいと思うけど。
「それよりさ、ちょっと押されてるよね」
「え?」
「試合」
そう言って、南ちゃんは真面目な顔でコートを見る。
たしかにスコアボードを見てみると、さっきまで遥斗君たちがリードしていたはずのにいつの間にか相手チームに巻き返されている。
それどころか、下手すると今にも逆転されそうな勢いさえあった。
ちょっと目を離した隙に何があったのだろう。
「さっきのチェンジコート以来、なんとなく二人の動きにキレがなくなちゃったような気がする」
(キレがない?)
南ちゃんのつぶやきの意味がすぐに理解できなかったわたしは、もう一度遥斗君たちの動きをじっくりと観察してみる。
ここに来るまでの道中で南ちゃんが教えてくれた話によると、裕也君と遥斗君はプレイスタイルが全く異なるらしい。
裕也君はとにかく攻めまくるタイプで、南ちゃん曰く「猪みたいな奴」とのことだった。一に攻撃、二に攻撃、三四がなくて五に攻撃というのが彼のスタンスなんだとか。たしかに裕也君のテニスは全体的に豪快で見ごたえがあって、周囲の観客を楽しませる雰囲気がある。学校のクラスにいるときのムードメーカー的な彼の人柄がここでもよく出ている気がした。
一方の遥斗君は正反対で、冷静沈着なタイプ。裕也君みたいな派手さはないけど、常にコート全体を見渡す広い視野を持っているらしい。「裕也があんなに暴れられるのは、遥斗のおかげなの」という南ちゃんの言葉を思い出す。たしかに遥斗君のほうは、裕也君のミスをカバーしつつも、淡々と相手の隙を狙っているように見えた。
あの二人の関係はテニスをやっているときも教室にいるときとあまり変わらないのだなと密かに思った。
(たしかに言われてみると、さっきよりも少し動きがカタいような……)
試合をよく見てみると、裕也君が先に攻撃をしかけて攻めきれなかった分を遥斗君がカバーする場面が多かった。
だけど、積極的に攻めているはずなのに相手に上手く処理されてしまい、最終的に相手チームのポイントになる展開が続いている。
「遥斗のサポートが甘くなっていて、その分裕也のミスが目立つようになってきてるのかも」
心配そうな面持ちで見守る南ちゃん。その儚げな横顔に、私は一抹の不安を覚えた。
(……おかしいな。私の記憶が正しければ、この試合は遥斗君たちが勝つはずなのに)
わたしは口を固く閉ざしたまま、心の内でつぶやく。
そう、実はわたしはこの試合の結果を知っている。
わたしがこの世界にタイムリープする前に遥斗君からもらったメッセージによれば、遥斗君たちの結果は「二回戦で負けて県予選ベスト8」となっている。
つまり一回戦のこの試合は遥斗君たちが勝つことになっているのだ。
未来の遥斗君はメッセージで、インターハイ出場は叶わなかったけど全力を出し切れたから後悔はないと言っていた。
実を言うと、そのことを知っていたから、今日わたしは南ちゃんの誘いに乗ることができたのだ。
もしも遥斗君たちの試合が残念な結果に終わるとわかっていたら、何となく気を遣ってここには来れなかったと思う。
後悔はない、という彼のその言葉があったから、わたしは勇気を出して今日ここに来たのだ。彼の勇姿を拝むために。
それなのに――
(も、もしも、遥斗君たちが一回戦で負けてしまったら……、それってもしかして、わたしのせい?)
ありえなくは、ない。
わたしは今まで基本的に未来は変わらないと思っていた。
もちろん過去をやり直しているのだから多少のズレは生じるだろうけど、最終的にはどんな事象もあらかじめ決まっていた筋書き通りに落ち着いていくはず。そう勝手に思い込んでいたのだ。
だけどもし、わたしが当初の筋書きとは違うことをしてしまって、そのせいで世界線が変わってしまったとしたら?
本来であればここにいるはずがなかったわたしが応援に来たことによって、勝つはずだった遥斗君たちが負けてしまったとしたら?
気がつくと、わたしの手は微かに震えていた。




