第8話 県予選(1)
実憂たちとカラオケに行った日から約一週間後。夏の気配が色濃くなってきた六月中旬の土曜日。
俺は裕也とともに市の中心地から少し離れた場所にある市営公園のテニスコートに来ていた。
まだ午前だというのに、園内には既に多くの人が行き交っており、あたりは緊張に満ちた空気に包まれている。
「いよいよだな、遥斗」
「ああ、そうだな」
普段の練習着とは違うしゃんとしたテニスウェアを着た裕也が、ベンチに腰かけて靴紐を結びながら言う。
今日はテニスのインターハイ県予選、個人戦当日。
地区予選を勝ち抜いた選手たちがインターハイ出場を賭けた試合に挑む公式戦の日だ。
俺は裕也と組んだダブルスで地区予選を勝ち抜き、今日これから始まる県予選の一回戦に臨もうとしていた。
インターハイに行くためにはトーナメントで三回以上勝たないといけない。当然ながら県予選の出場者は強豪校出身の選手ばかりなので、勝ち進むのはおろか、一回戦を突破することさえ一筋縄ではいかないのは想像に難くない。
ちなみに去年の大会では俺たちは地区予選で敗退しているため、県予選に出るのは今年が初めてだ。そのため、まずはなんとか一回戦突破を目指したいところである。
「あ、一応先に言っておくけど、南が今日試合見に来るって」
「ああ。別に構わないよ」
うちの高校のテニス部は男女とも県内ではそこそこの実績があり、俺たち以外にも今日の試合に出場している生徒が何人かいる。
そのため高校の同級生が試合を見に来ることは決して珍しいことではなかった。
南もそのうちの一人で、予定さえあればこれまでも試合の応援に来てくれることがしばしばあった。
今思えば、南が裕也と仲良くなり始めたのも、テニス部の試合の応援に来てくれたのがきっかけだったような気がする。
「ちなみに遥斗は、今日のことは実憂ちゃんには言ったのか?」
「試合があるというのは一応言った」
「ふーん。で、呼んだのか?」
「いや、呼んでないけど?」
「なんだ。せっかくこの前一緒に遊んだんだから、その勢いで今日も呼べばよかったのに」
裕也がいたずらっぽい笑みを浮かべながら言う。
たしかに、先週末の休日、裕也や南を交えて四人で遊んだときは実憂との距離がぐっと縮まったような気がする。
カフェで一緒に飲んだフラペチーノも美味しかったし、その後四人で行ったカラオケも意外と盛り上がった。
何よりも驚いたのは、実憂が想像以上に歌がうまかったということだ。
別に歌が苦手そうと思っていたわけではないが、実憂の歌声はいつもの自信なさげな話し方からは考えられないくらいよく通る声だった。
本人曰く、中学時代に部活が強制参加だったため友人と一緒にコーラス部に入っていたらしく、そこで鍛えられたとのことだった。
実憂の歌を聞きながら、裕也たちと一緒に目を丸くしたのをよく覚えている。
(たしかに、一声かけてもよかったかもしれないな。ま、今さら考えても仕方ないか。それより今は目の前の試合に集中しないと)
裕也の言う通り、思い切って声をかければよかったかなと一瞬思ったが、よくよく考えれば付き合っているわけでもないのに試合に誘うのも少し違う気もする。
きっと実憂にだって予定はあるだろうし、そんな中わざわざ素人の試合に呼ぶのは申し訳ない。
俺は自分に言い聞かせるような口調で、裕也に返事をする。
「やっぱりいいよ。実憂も忙しいだろうし。それに向こうはテニスに興味があるわけでもないからな」
言うと、裕也はこちらに顔を向けて、もの言いたげな目を向けてきた。
「な、なんだよ?」
「いや、そういう問題ではないような気がするんだがな。この場合、テニスに興味があるかないかより、お前に興味があるかないかじゃねーの?」
「? どういうことだ?」
「……いや、なんでもない」
呆れたように目を細めながら苦笑いする裕也。
「いやー、実憂ちゃんも大変だなあ。まあでも、今日に限って言えば、遥斗が余計なこと考えずに試合に集中できるほうがいいから、まあいっか」
「?」
ますますよくわからない。
追及してみようかと思ったが、裕也がベンチから立ち上がり「そろそろアップでもしておこうぜ」と促してきた。
試合開始まで時間もあまりなかったので、俺は首を傾げながらもこの話は一旦忘れることにした。
◇
太陽が高く昇り、日差しが強くなってきた頃。
俺たちの一回戦は既に始まっていた。両者の実力は均衡しており、序盤は接戦になる展開が続いた。だが途中で相手チームにミスが連続する場面があり、そのチャンスをものにした俺たちがリードする形で後半戦を迎えていた。
「チェンジコート」
コートを入れ替えるインターバルを告げる審判の声が響き、俺たちはコートの脇にあるベンチへと移動する。
テニスの試合ではコートを入れ替える際に水分補給のための短い休憩時間が与えられる。
俺と裕也はベンチに腰かけて、ラケットを置いてタオルで額の汗をぬぐった。スポーツドリンクを喉に流し込むと、火照った体を芯から潤していくように全身に染み渡った。
「ふー、生き返るな」
隣で同じように水分補給しながら、裕也が話しかけてくる。
「さっきのポイント、危なかったな。正直ずっとヒヤヒヤしてたぜ」
「俺も。でも結果こっちがリードできてるし、いい流れがきてると思う」
「だな。っし、このまま最後まで突っ走ろーぜ!」
ダブルスでは休憩時間はただ休むだけでなく、お互いに声をかけ合いながら励まし合ったり、次の作戦を考えたりする。ほどよく緊張をほぐして次のゲームに向かうために重要な時間だ。
「なあ裕也。さっきからこっちの作戦が徐々に相手に見抜かれ始めてる気がするんだ。次のゲームから攻撃のパターンを少し変えていくのもありだと思うんだが――」
言いかけて、俺は言葉を止めた。裕也の視線がこちらではなくて、俺のさらに後方に伸びている気がした。
「裕也? どうかしたか?」
「ん? ああ。すまんすまん、なんでもない」
いつもは試合中に集中を切らすことなんてないのに珍しいなと思いつつ、俺は裕也の視線を辿ってみる。
コートを囲うフェンスの向こう側には、試合を観戦している俺たちの高校の生徒と、相手校の生徒と思われる学生たちがいた。
その中に私服姿の小柄な女の子の姿が見える。
(あ、南がいる)
そういえば朝、裕也から南も来ると言われていた。試合前には見かけなかったから、試合が始まってから会場についたのだろうか。
とはいえ、南が応援に来ることは既に知っていたわけであり、それだけで裕也が動揺するとは考えにくい。
試合中に余計な詮索をするのはよくないと思いつつも、気になって目を凝らしてみる。
すると、南の背後にもう一人の別の人物がいるのが見えた。
南の背に身を隠すようにしているその人は、肩越しにひょこっと頭を出してこちらを覗いている。
(……え? あれって、まさか……)
俺の視線に気づいたその人物は、まるで天敵にみつかった子リスみたいに、すばやく南の背後に頭をひっこめた。その挙動不審ぶりに何となく見覚えがある。
「あー、遥斗。どうやらお前も気づいちまったようだな」
裕也の声にハッとした俺は慌てて視線をコート内に戻す。
苦笑いを浮かべながら、裕也が確かめるような口調で聞いてきた。
「南の後ろに隠れてるの。あれ、実憂ちゃんだよな?」
「……たぶん」
「言っとくけど、俺が呼んだわけじゃないからな。今回はマジで」
無意識に目だけで「なんで?」と問いかけてしまい、裕也は俺が口を開く前にそう告げてきた。
だとすると、実憂が一人でここに来るとは考えにくいので南が連れてきたのだろうか。
そんなことを考えていたら、休憩の終わりを告げる審判の声が響いた。
俺たちは反射的にベンチから立ち上がると、ラケットを手にコートへと向かう。
結局、作戦会議はできないまま試合が再開した。




