第10話 県予選(3)
「すまん裕也。さっきのゲーム、俺のミスで落としちまった」
「気にすんなって。それより、切り替えていこーぜ。ほれ」
試合もいよいよ正念場を迎えていた。
再び訪れたチェンジコートの合間、ベンチで項垂れていると、裕也が俺の鞄からペットボトルを取り出して渡してきた。軽く礼を言って受け取り、ひとまず喉を潤す。
自分でもわからないが、さっきからどうも思うような動きができていない感じがする。
裕也はいつも通り積極的に攻めているが、一方の俺はというと立ち回りが一歩遅れる場面が多い。
試合も終盤になり、相手が俺たちの動きに慣れてきているというのもあるかもしれないが、それにしても俺たちの方に勢いがなくなっているのは明らかだった。
しかもさっきのゲームでは俺がつまらないケアレスミスを犯し、リードしていたはずだった点差はあっさりと巻き返されてしまった。
どうにかして試合の流れを変えないと。そう焦っていた俺に、裕也が「なあ」と話しかけてくる。
「ひとつ提案があるんだが、いいか?」
「提案?」
聞き返すと、裕也はにいっと口元に笑みを浮かべた。
「次のゲーム、めちゃくちゃカッコ悪いテニスをやろうぜ」
「は? カッコ悪いテニス?」
「遥斗。お前ぶっちゃけ今、ダサいところを見せたくないって思ってないか?」
「そっ……」
そんなことない――そう言おうとして俺は言葉を飲み込んだ。
裕也は「誰に」とは言わなかったが、その相手は明白だ。
実際、俺の調子が悪くなったのは実憂に見られているとわかってからだった。
俺は自分でも気づかないうちに、情けないところを見せたくないと、気持ちの上で委縮していたのかもしれない。
自問自答する俺に向かって、裕也が楽しげな口調で言う。
「そんな遥斗にひとつ残念なことを教えてやろう。俺たちは元々、カッコいいところなんてない!」
「へっ?」
「いやむしろ、俺たちは元からカッコ悪いと言った方がいいか」
「ど、どういうことだ?」
いいかよく聞け、と裕也。
「去年の地区予選のこと覚えてるか? あとちょっとのところで県予選出場を逃して、めちゃくちゃ悔しい思いをしたあのときのこと」
「ああ。もちろん覚えてるよ」
「その日の夜、俺たちは学校に戻ってがむしゃらに練習したよな。途中で雨も降ってきて、泥まみれになりながら。で、その結果どうなった?」
「……二人で風邪引いて、しばらく練習できなくなった」
忘れもしない。二人で意気込んで練習しておきながら、結局体調壊して一週間くらいまともに部活できなくなった。
二人ともアホすぎるって、南にバカにされたっけ。
「あと去年の夏合宿のときも、二人で新しいコンビネーション技試そうとしたことがあったろ。あのときもなかなか上手くいかなくて、挙句俺が打ったボールがお前の後頭部に直撃してさ。二人でやいのやいの言い合いになったよな」
「ああ。コートで騒いでいるのが監督にバレて怒られて、その日ずっと二人でコートの隅で正座させられたな」
「ははっ、そうそう」
裕也は一瞬くしゃっと笑うと、緩んだ口元のまま俺を見る。
当時は二人で喧嘩になったが、今となってはもう笑い話だ。
「他にもまだまだあるけど、とりあえずこれくらいにしといてやる。どうだ? 俺たちがカッコよかったときって何かあったか?」
「……いや、ないな」
「だろ。つまりさ、俺たちは元からダサくて、カッコわりーんだよ」
自分たちのみっともない昔話を恥ずかしそうに語りながら、それでも裕也はどこか楽しげに続ける。
「だけど、俺たちはそうやってここまできたんだよ。だから今だって変に肩に力入れたりしないで、いつもの俺たちらしいテニスをしようぜ。馬鹿みたいに、泥臭く球追いかけて!」
そう言って裕也は、額に汗を滴らせながら拳を向けてきた。
俺はふっと息を吐き出して、差し出された拳の自分の拳をぶつける。
「わかったよ。こっから先はもうがむしゃらだ」
「っし、そうこなくっちゃ相棒! それじゃあ次の作戦は『馬鹿みたいに頑張る』だ!」
「それ、作戦って言わねー」
俺たちは互いに笑い合うと、ラケットを持ってベンチから立ち上がり、観客の声援が響くコートへと向かった。
◇
それからはもう無我夢中だった。
二人ですべてのボールに食らいついていくように、とにかく必死に足を動かす。
俺たちが怒涛のねばりを見せたせいで試合は接戦にもつれ込み、いつしかコートの周りには多くの人が集まり始めていた。
ただ当の本人である俺たちは周囲のギャラリーの視線や歓声は一切気に留めずに、全神経を目の前の相手とボールに集中させる。
そんな緊迫した状況がしばし続いていたが、最後は根負けした相手のショットがついにネットにかかり、その異様なまでの泥仕合は俺たちの勝利で幕を下ろした。
試合が終わりコートを後にした俺たちは受付に行って結果報告を済ますと、そのままふらふらと適当に歩き、人気のないベンチを見つけて座り込んだ。
歩いていたときは激闘を制した高揚感が優っていたが、ベンチに腰を下ろした途端一気に疲労が押し寄せてきた。体が鉛のように重い。
「なあ遥斗、知ってるか。俺たちこの後二回戦があるらしいぜ」
「しかも二回戦の相手、シード選手だったような気がするんだが」
「「…………」」
二人で顔を合わせて、声にならない声で笑い合う。
一回戦を突破するだけでもこんなに満身創痍になっているのに、この後さらに強い相手との二回戦があるなんて。
インターハイ出場への道のりは、あまりにも険しい。
「あっ、こんなとこにいたー!」
そのとき、遠くから南の元気な声が聞こえてきた。
手を大きく振りながら、子犬のように駆け寄ってくる。
その後ろには少し遅れてこちらに走ってくる実憂も見えた。
「二人ともおつかれっ! なんか、色々とすっごい試合だったねえ。最後の方とかなんかもう気合だけで押し切るみたいな感じだったし」
「あー、俺としてはもうちっとクールに勝つ予定だったんだけどなー」
先ほどまでの疲れた様子を一切見せずに、裕也がおどけたような口調で言う。
「もう、本当だよ! 見てるこっちもずーっとハラハラしてたんだからっ!」
「ははは。ま、結果として勝ったんだからノープロブレムだろ」
「まあとにかく、次の試合もあるんだから少しでも休んで。はいこれ、裕也の好きな炭酸入りのスポドリ買ってきたよ」
「おおっ、サンキュ! ちょうど今欲しかったんだ」
裕也は座ったまま南からペットボトルを受け取ると、すぐにごくごくと飲み始める。
なんだかこの二人の息がぴったり合っている感じ、仲良しカップルを通り越しておしどり夫婦みたいだ。
そんな微笑ましいことを勝手に思っていると、
「遥斗君も、おつかれさま、です」
「……え?」
南の後ろにいた実憂が俺の前に歩み寄ってくる。そして両手を差し出して飲み物を渡してきた。
(ヤバい、嬉しすぎる……)
俺は込み上げてくる感情を一旦胸の奥に押し込み、ただ一言「ありがとう」とお礼を言ってペットボトルを受け取った。
そのまま蓋を開けて一口飲む。実憂がくれたのは、俺が普段よく飲んでいるさっぱりしたものとは違う、少し甘みの強いスポーツ飲料だった。疲れた体に、驚くほど心地よく浸透していく。
俺はもう一度ちゃんとお礼を言おうと、座ったまま実憂の顔を見上げる。
(あれ? 実憂の手、震えてる?)
差し入れを渡してきたときはただ緊張しているのかと思っていたが、それにしては少し様子がおかしい気がする。
俺の勘違いだったらいいけど、何かにおびえているような、そんな印象を受けた。
「実憂、大丈夫?」
「え?」
「その手」
俺に言われて初めて、実憂は自らの指先が小刻みに震えていることに気づいたようだった。
「あ、あれ? ほんとうだ。なんでだろね。アハハ……」
無理やり笑顔を作ってごまかそうとする実憂。
何か気になることがあったのか訊ねたいが、この場で聞いていいのかわからない。
その不自然な様子を心配していると、俺たちのやり取りを横目で見ていた裕也がすっと立ち上がった。
「そうだ遥斗。俺ちょっと次の相手の試合見てくるわ」
「は?」
「そのほうが色々と二回戦の対策とか立てられるだろ。あ、お前はもう少しここで休んでろ。悪いけど俺の荷物見ててくれ」
「あ、じゃあわたしもいくー」
すかさず南が裕也の提案に乗っかると、二人は俺の返答を待たずにベンチから離れる。
(次の対戦相手の試合なんて、もうとっくに終わってるだろ)
さっき俺たちが試合後の結果報告に行ったときに受付で見たトーナメント表によると、他の一回戦はすべて終わっていた。
つまり次の対戦相手はすでに試合を終えて俺たちとの二回戦の準備をしているはずである。
だがそれは受付に足を運んだ俺と裕也しか知らないことなので、先ほどの裕也の発言が嘘であるということは実憂には伝わらない。
こんな疲れている状態だというのに、相変わらず空気を読むのが上手い奴である。
ベンチから離れていく裕也の背中は「ごゆっくり」と言っているような気がした。




