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第11話 県予選(4)

 実憂と二人きりになった俺は、沈黙を紛らわせるようにポツリとつぶやく。


「なんかあいつら、元気だよな」

「うん。もう次の試合のこと考えているなんて、すごいね」


 俺が元気と言ったのは、試合直後にこんな気配りができることについてだったのだが、これはわざわざ訂正しなくてもいいだろう。


「あのさ。よかったら、ここ座る?」


 裕也がいなくなった後のベンチに手のひらを向けて促すと、実憂が少し間を開けて俺の隣に座った。

 うつむき加減に黙り込むその横顔は、何か言いたいことがあるけど言い出せずにいるようだった。


(さて、どうしようか)


 無理に聞き出したくはないけど、もう少ししたら次の試合の準備をしないといけないので、あまりここに長居もできない。それにせっかく人払いしてくれた裕也たちの気遣いも無駄にはしたくない。

 俺は実憂からもらったスポーツ飲料で口の中を湿らすと、隣に顔を向けた。


「実憂、さっき手が震えてたけど何かあった? もちろん、話したくなければ無理には聞かないけど」


 たとえ返事が返ってこなくても、心配しているということだけでも伝わればと思ってかけた一言だった。

 俺の気持ちが多少は伝わったのか、実憂は戸惑いながらもおもむろに口を開いた。


「……怖かったの」


 絞り出したような彼女の声に、俺は思わず息を呑む。


「ごめん。さっきの試合、ほんとに危なかったよね。途中から俺がミスしまくりだったせいで心配させちゃって――」

「ち、ちがうの」


 慌てて顔を上げて俺の言葉を遮ってくる。

 珍しく大きな声を上げた実憂に、俺は何も言えなくなる。

 実憂は再び視線を落とすと、ためらうように間を置いてから、言葉を選ぶような口調で言った。


「わたしのせいで、結果が変わっちゃったらどうしようって」

「実憂のせいで結果が変わる?」


 思わず聞き返した俺に、実憂はそれ以上何も答えない。

 たしかに俺は実憂が試合を見ているとわかってから、体に自然と力が入ってしまった。そのままずるずると失点を重ね、試合終盤に相手に逆転を許すという危機的状況に追い込まれた。

 途中で裕也が上手く気持ちを切り替えてくれたから何とかなったものの、もしも俺が一人で戦っていたら確実にあのまま負けていただろう。

 ただ、もし仮にそうなっていたとしても、試合に負けたのが実憂のせいだなんて絶対に言うはずがない。

 試合の勝敗を決めるのはあくまでも自分自身だ。実憂が俺たちの試合の結果に責任を感じる理由なんて一つもない。


「実憂は何も悪いことなんてしてないよ。今日の試合で苦戦したのは全部俺の実力不足のせいだから。それにもし仮に実憂が今日ここにいなかったとしても、今日の相手に勝てた保証だってないし。試合の結果なんて、終わってみるまでは誰にもわからないから――」


(ん? 待て)


 そこまで言って、ふと俺の頭にある考えがよぎる。

 それは普通であれば絶対に思いつくはずのないありえない仮定。


(もしも、実憂が本当に未来からきているとしたら、今日の結果を最初から知っていた?)


 以前、実憂は未来の俺から聞いたという、俺自身も知らないことを話してくれたことがあった。

 今回も同じように実憂が未来の俺とメッセージをしていたとすれば、今日の県予選の結果について聞いていたとしてもおかしくはない。

 これまでも部活のことはよく話していたから、きっと未来の俺は試合の結果について話しているだろう。

 もしそうであれば、実憂にとってさっきの試合は、俺たちが勝利するという結果がわかりきっている再放送映像を見ているような感覚だったのかもしれない。

 だけど俺たちが苦戦し、変わるはずがないそのシナリオが崩れそうになったとき、彼女はその原因が自分の存在にあると考えてしまったのではないだろうか。

 自分が試合を見にきたことによって、他者である俺や裕也の未来が変わる。それが恐ろしくて、実憂は一人で密かに震えていた。

 そんな突拍子もない思い込みが、俺の頭の中を一気に駆け巡っていた。


「実憂はもしかして……」


 言いかけて、俺はハッと口を閉じる。

 実憂の神妙な面持ちが、それ以上聞かないで欲しいと言っているような気がした。

 俺は慌てて喉まで出かかった問いを無理やり飲み込む。代わりに口から出てきたのは、自分でもよくわからない言葉だった。


「……未来って、変わっちゃってもいいんじゃないかな」

「えっ?」


 心細げに目を伏せていた実憂がようやく顔を上げる。

 その瞳には「どういうこと?」と言いたげな疑問が浮かんでいたが、俺としてもただなんとなく口にしてしまっただけだったので、実憂と同じ気持ちだった。

 俺はろくに整理できていない頭で、続きを待っている実憂に向かって無理やり口を開く。


「ええと、何というか、絶対にこうならないと駄目みたいに考えなくてもいいんじゃないかなと思って。その場のノリとか勢いで未来が変わっちゃうことも全然あると思うし。後から振り返ったときによかったなと思えるようにすればそれでいいような気がする」


 少しでも実憂を慰められればと思ってひねり出したわけだが、柄にもなくくさい台詞を吐いている気がする。

 途端に猛烈な羞恥心が押し寄せてきて、ポカンとした顔でじっと俺を見つめていた実憂から視線を逸らす。


(ヤバい、さすがに言い過ぎたか?)


 ドン引きされるのではと不安になったが、返ってきたのは意外なほど優しい声だった。


「遥斗君は、すごいね」

「……え?」


 見るとそこには、真っ直ぐな眼差しを向けてくる実憂がいた。


「未来が変わってもいいなんて、わたし、そんなこと考えたこともなかった」

「いや、難しいことは俺もよくわからないけどね」


 どうやら実憂に引かれたわけではなさそうだった。

 ホッとした俺は、勢いに任せて「でも」と続ける。


「少なくとも俺は、今日実憂が来てくれて嬉しかった。これだけは間違いない」


 頬がやけに熱くなる。一度クールダウンしたはずの体がまた熱を持ち始めていた。

 実憂は潤んだ瞳で俺の顔を覗き込み、そっと身を寄せてくる。実憂の小さな顔が目の前に迫る。こんなに近くから彼女の顔を見るのは初めてだった。


「あ、待って。今の俺、汗臭いかも」


 そういえば試合が終わってから服を着替えていなかったことに今さら気付く。

 さっきの試合で汗だくになったくせに、あまりの疲労のせいで制汗剤をつけることすら忘れていた。これはマズい。

 慌てて身を引こうとしたそのとき、俺のシャツの裾を実憂の細い指先がぎゅっと掴んだ。


「だめ」

「…………」


 その一言で、俺はその場から身動きがとれなくなる。ドクドクと脈を打つ心臓の音が、やけにうるさく聞こえた。


「俺のシャツ、きれいじゃないよ」

「……いい。だから、行かないでほしい」


 実憂は自分の指先を見つめながら、消え入りそうな声でもう一度「行かないで」とつぶやいた。

 近くのコートから響く観客たちの声が遠のいていく。俺たちのまわりだけが時間が止まったかのように静かだった。


(どこにも行かないよ)


 心の中でつぶやいたその言葉は、声になることはなく俺の中で消えていった。

 その後俺たちは裕也たちが戻ってくるまでお互いに何も言わずに、ただその沈黙を静かにかみしめていた。


 ちなみにこれは余談になるが、このすぐ後に臨んだ二回戦は見事に完敗し、俺たちの県予選はベスト8で終わった。

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