第22話 伝えたい想い(2)
話は数分前にさかのぼる。
わたしが一人でベッドにうずくまっていると、ドタドタと階段を駆け上ってくる音が聞こえてきた。
「みゆー。愛しの遥斗君が来てるよーっ」
寝室のドアが勢いよく開けられると、そこにはやけにテンションの高いお姉ちゃんがいた。
一人で遥斗君との思い出に浸っていたのに。できれば静かにして欲しい。
「ちょっ、暗! 何で電気つけてないの!?」
部屋の明かりがつけられる。まぶしい。
お姉ちゃんはベッドに近づいてくると、寝ころんでいるわたしの肩をゆさゆさとゆすってきた。
「ほらほら、はやく行ってあげないと遥斗君が待ってるよ?」
「……遥斗君は、もういないよ。だって彼は、アメリカに行っちゃったんだもん」
「は? いや、いるよ? うちの目の前に。なんか凄い申し訳なさそうな顔して」
お姉ちゃんは一度怪訝そうな目をすると、わたしの体を引っ張って無理やり起こしてくる。
「ちょっ!?」
わたしの腕を掴んだまま、ずんずんと階段に向かって歩き出す。
「まったく。どうせあんたたち喧嘩でもしたんでしょー。早く仲直りしておいで」
「べ、別に喧嘩なんてしてないよ? というか、遥斗君がいるってどういうこと!?」
「だーかーらー。さっきからそう言ってんじゃん」
やっと状況を理解し始めたわたしに、お姉ちゃんは心底めんどくさそうに溜め息を吐いた。
そのままお姉ちゃんに手を引かれながら階段を降りて玄関に向かう。
「んじゃ、遥斗君によろしくね。あ、でももう夜遅いし、あんまり長くなっちゃだめだよ?」
「ちょ、ちょっと待って! 一人にしないでえ」
お姉ちゃんは縋りつこうとするわたしをヒラリとかわすと、鼻歌を歌いながら部屋の奥へといなくなってしまった。
一人玄関に残されたわたしはその場で狼狽えながらも、とりあえずサンダルを履いてドアスコープから家の外を覗いてみる。
しかし今日は一日家にいたためコンタクトをつけておらず、ドアスコープの小さな穴からは視界がぼやけて何も見えなかった。
もう一度二階の部屋に戻って眼鏡をとってくる? いや待って。もし本当にそこに遥斗君がいるのであれば、あの不格好な眼鏡姿を見られるのはすごく嫌だ。
というか、よくよく考えてみると今のわたしは完全に寝間着姿だ。それに昨晩からずっと泣いていたせいで、きっと今ひどい顔をしているだろう。こんな姿で外に出て大丈夫だろうか。
そんなことを考えていたら、玄関から一歩も動けないまま五分くらい経ってしまった。
そこからさらに考えること数分。
ようやく決心がついたわたしは、ゆっくりと家のドアを開けた。
目を凝らしてみると、門扉の前に男の子が一人立っていた。気配に気がついたのか、こちらに振り向いてくる。
「……実憂」
「はると、くん……?」
聞き慣れた声に、胸の奥がぎゅっとなり心臓が早鐘を打ち始める。
もう二度と会えないと思っていた彼がなぜか今目の前にいる。
わたしの体は吸い寄せられるようにゆっくりと彼の元に近づいていく。
「こんな時間に本当にゴメン。でも、どうしても直接話したいことがあって」
「…………」
遥斗君の目の前に立つと、思考が完全に止まってしまって何も言えなかった。
近くまできても、あたりが暗いのとわたしの目が悪いせいで遥斗君の表情もよく見えない。
(何しに来てくれたのかな……もしかして、わざわざアメリカに行くことを報告しにきたとか?)
真面目な遥斗君ならその可能性は十分にあり得る。
昨日はせっかく家まで送ってくれたのにわたしが泣いてばかりでほとんどまともに話せなかったから、きっと正式にお別れを言いに来たのだろう。
わかってはいても正面からサヨナラを言われるのはきつい。できれば耳をふさいでここから逃げ出してしまいたい。
そんなことを考えていたら、遥斗君がいきなり口を開いた。
「俺、アメリカには行かないよ」
まだ心の準備ができていなかったわたしは驚いて、咄嗟に当たり障りのない返事をした。
「……そ、そっか。わざわざ、言いに来てくれてありがとね。アメリカに行っても……元気でね」
わざわざ最後に来てくれたのだから無理やりでも笑わなきゃ。そう思ったが、正直、彼と向かい合っているのはつらかった。
気を抜くとまた涙が溢れてきそうになるし、体に力も入らなくて、その場にへたり込んでしまいそうだった。
ふらつく足でなんとかかろうじて体を支えていた、そのとき。
「実憂」
(っ!?)
彼がいきなりわたしの肩を掴んできた。
びっくりして顔を上げると、そこには真剣な眼差しを向けてくる遥斗君がいた。
息をすることさえ忘れて、彼の瞳を見つめていたら、
「俺、アメリカには行かない。ここに残って、実憂と一緒にいる」
「……………………へっ?」
(ど、どういうこと? 何を言ってるの?)
わたしの頭が再び混乱し始める。
アメリカに行かない? ここに残る?
てっきりアメリカに行くと伝えるために来たのかと思っていたのに、彼が口にしたのは全く逆の言葉だ。
一体何が起きているの?
遥斗君はお父さんと一緒にアメリカに行ってしまって、二度と会えなくなるはずだったのに。
わたしの疑問に答えるかのように、遥斗君が話し出す。
「昨日の夜、父さんからアメリカに転勤する話を聞かされたよ。実憂が言ってた『俺がいなくなる』っていうのはこのことだったんだね。だけど、俺がどうしても日本に残りたいって父さんにお願いしたんだ。そしたら俺だけ日本に残って一人暮らしすることを父さんが許してくれた。だから俺は、実憂と一緒にここに残る」
(そ、そんな……)
わたしは絶句した。
あんなにお父さんのことを尊敬していて、大切にしていた遥斗君が、お父さんと離れてたった一人で日本に残るなんて。
タイムリープする前の世界で、最後に彼が送ってくれたメッセージでは「父さんは自分にとってたった一人の家族だから離れたくない」と言っていた。
わたしは心からその通りだと思ったし、それが間違いなく正しい選択だと思った。
だから、いくらタイムリープして過去をやり直したとしても、彼を引き止めることなんて絶対にできないと最初から諦めていたのだ。
なのに。それなのに。
胸の奥の方から、驚愕、困惑、そして歓喜――そのどれとも言い難い感情が一気にせり上がってきた。
その瞬間、張り詰めていた緊張の糸がぷつりと切れて、わたしの体は崩れ落ちるように前へ傾き出す。
「あぶない!」
倒れそうになったわたしの体を、遥斗君の両腕が受け止めた。
そしてそのまま、やさしく包み込むように抱き寄せてくる。
(……え? えっ? えぇぇ!?)
遥斗君の胸に体を預けたまま、わたしは動くこともできずにただじっとしていた。
彼の体温が伝わってくる。彼の匂いが鼻をくすぐる。心臓の音がうるさいくらいに耳元で聞こえてくる。
だけどその熱が、匂いが、鼓動が、これが夢でも幻でもない、確かな現実なんだとわたしに教えてくれる。
遥斗君はどこにも行かない。これからもずっとこうしてそばにいる。
やっとその事実を認識すると、目元がまた熱くなった。
「実憂」
遥斗君が耳元に口を近づけて、ささやくような声でわたしを呼んだ。
「もう一度言う。俺は実憂のことが好きです。俺と付き合ってください」
わたしはだらりとぶら下げていた両腕を持ち上げて彼の背中に回し、ぎゅっと力を込めた。
もう二度とこの手を離さない。そう心に誓って。
「わたしも、遥斗君のことが大好きです」
とうとうわたしは、想いを伝えることができた。




