第21話 伝えたい想い(1)
実憂の家の最寄り駅に着いた頃にはあたりはすっかり暗くなっていた。
昨晩は花火大会に来た人で溢れていたので気がつかなかったが、人気がなくなるとこの周辺の街並みはかなり田舎だ。
駅から数分も歩けば、景色はすぐに閑静な住宅街になる。湿り気を帯びた夜風が、草木の匂いを運んでくる。
土地勘のない場所ではあったが、つい昨日も来たばかりなので何となく向かうべく方向は覚えていた。
駅から歩くこと約五分。すぐに実憂の家に着いた。
ごくありふれた平穏そうな一軒家で、二階の窓から温かな光が漏れている。
俺は門扉の前に立ち、「山田」と書かれた表札を確認する。
(今さらだけど、こんな時間に家にくるなんて普通に迷惑だよな)
そもそも実憂が今家にいるのかどうかさえもわからない。窓には明かりが点いているから誰もいないというわけではなさそうだけど。
(やっぱり事前にメッセージしておくべきだったかな。まあここまで来てしまったのだから、今さらためらってても仕方ないか)
俺は一度大きく深呼吸をして、実憂が出てくれることを祈りながらチャイムに指を近づける。
「あのー、どちら様?」
「っ!?」
突然背後から誰かに声をかけられて、慌てて振り返る。
そこには実憂と同じくらいの背丈の女性が立っていた。肩にかかる明るい髪をゆるく巻き、ふわっとしたシャツに、脚のラインが綺麗なズボンを合わせている。
肩から小さめのバッグを下げたその姿はどことなく垢抜けていて、俺よりも少し年上くらいに見えた。
「うちに何かご用?」
「あ、えっと、夜遅くにすみません。俺、実憂さんの高校の友人の、青山遥斗といいます」
「あおやま、はると……」
その女性は俺の顔をまじまじと見ながら大きな目をぱちくりさせる。
(こんな時間に家の前をうろついている男なんて不審に思われても仕方ないよな)
言い訳を考えていたら、突然その女性が何か思いついたような声を上げた。
「あーっ! もしかして『ハルトクン』って君のことかー!」
「え? お、俺のこと知ってるんですか?」
突然自分の名前が飛び出したことに困惑していると、彼女はどこか楽しそうに口角を上げた。
「あ、ごめんごめん。勝手に盛り上がっちゃって。そういえば自己紹介がまだだったね。初めまして。私、実憂の姉の美希といいます。妹がいつもお世話になってます」
「あ、いえ、こちらこそ」
深々とお辞儀してくるお姉さんに、俺も慌てて頭を下げる。
こんなタイミングで実憂のお姉さんに会うなんて。もしかしてそうかなとは思っていたが、実際に姉だと言われてみると実憂と雰囲気がよく似ている。
すっと通った鼻筋や、少し垂れ気味で柔らかな目元のラインなどはそっくりだ。初対面の相手にもぐいぐい話しかけてくるところは、実憂とは大分違うけど。
「それで、遥斗君は実憂に用事?」
「あ、はい」
首を傾げながら尋ねてくる彼女に、俺は裏返りそうな声で答えた。
「じゃあ実憂を呼んでくるからちょっとここで待ってて。あ、でも、あの子昨晩から死んでるから、出てくるまでちょーっと時間かかるかも」
「え? 死んでる……?」
「うん。もう昨日からずっとこの世の終わりみたいな顔してる。昨晩も実憂と同じ部屋で寝てたら隣でずっとブツブツブツブツ言っててさ。よくよく聞いてみたら『ハルトクン、ハルトクン……』って呪文みたいなこと言ってたの。わたし本気で怖かったんだからね?」
「なんか、すみません……」
とてつもなく申し訳ない気持ちと強烈な羞恥心に襲われ、俺は視線を逸らすように頭を下げた。
「うそうそ。全然気にしないで」
お姉さんはアハハと軽やかに笑うと、ひらひらと手を振って家の中へと入っていった。
◇
家の前で待つこと約五分。
お姉さんとの思いがけぬ会話で多少は緊張がほぐれたものの、やはり気持ちは落ち着かなかった。
実憂が出てきたら何て言おうかと頭の中で考えながら、一人で家の前に佇む。
そうしてさらに数分経ったところで、ドアが静かに開いた。ドアの向こうから、実憂がおずおずとこちらを覗いている。
「……実憂」
「はると、くん……?」
思わず呼ぶと、実憂がよろよろと家から出てきた。
ドアを閉めて、おぼつかない足取りでゆっくりとこちらに歩いてくる。
近くで見ると、実憂は半袖のルームウェアを着ていて、目元が赤く腫れ上がっていた。昨晩からずっと泣き続けていた様子が容易に頭に浮かんだ。
「こんな時間に本当にゴメン。でも、どうしても直接話したいことがあって」
「…………」
肩をすくめて下を向きながら、実憂は何も言わない。
目を合わせようともしてくれない様子を見ると、さっきまで頭の中で考えていた台詞が一瞬で吹き飛んでしまった。
どうやって切り出すのがいいのだろう。だけどあまりここで長く話し込んでしまうのもよくない。
そう思った俺はなるべく単刀直入に伝えようと、深くうつむき過ぎてつむじしか見えなくなってしまった実憂に声をかける。
「俺、アメリカには行かないよ」
少し遅れて、実憂のぼそっとして声が聞こえた。
「……そ、そっか。わざわざ、言いに来てくれてありがとね。アメリカに行っても……元気でね」
(……は? アメリカに行っても元気でね?)
なんか思っていたリアクションと違う。
一瞬焦ったが、何となくこれは盛大に勘違いされているような気がする。
「ちょ、ちょっと待って。実憂、俺の話ちゃんと聞いてた?」
アハハと無理やり作り笑いを浮かべる実憂。
よくわからないけど、どうやら上手く伝わらなかったらしい。
俺は今度こそちゃんと聞いてもらおうと、ふらふらしている彼女の両肩を両手でそっと掴んだ。
「実憂」
真面目な顔で名前を呼ぶと、実憂が体をびくっとさせた。
恐る恐るこちらを見上げてくる瞳に、俺ははっきりとした声で告げる。
「俺、アメリカには行かない。ここに残って、実憂と一緒にいる」
「……………………へっ?」
実憂は目を丸くしてポカンと口を開けると、壊れたロボットのようにそのまましばらく動かなくなった。




