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第23話 エピローグ

 実憂と付き合い始めてから数週間が経った。

 晴れて恋人と呼べる仲になったわけだが、俺たちの関係はさほど変わっていなかった。

 基本は数日おきくらいにメッセージを交わすのみ。話題も夏休みの課題の話とか、最近読んだ本とか、家族のこととか、どれも以前から変わりない他愛もないものだ。

 夏休みなので遊びに行こうと思えば時間はいくらでもあったけど、俺たちはあの花火大会の日以来一度も一緒に出かけてはいない。

 もちろんせっかく付き合えたのだからデートに誘いたいと思っている。だけど今はそれ以上に、父さんと一緒に過ごせる残り少ない時間を大切にしたいという気持ちのほうが強かった。

 一度そのことを素直に実憂に伝えたら「わたしもそうして欲しい」と快く受け入れてくれた。

 俺だけではなくうちの家族のことまで気遣ってくれる彼女のやさしさが妙に嬉しかった。

 それ以来俺は実憂の言葉に甘え、父さんとの時間を作れるようになるべく家で過ごすようにしていた。

 夜は料理を作って父さんの帰りを待ち、一緒に晩御飯を食べながらテレビを見る。

 父さんが休みの日はリビングでお菓子でも食べながらとりとめもない会話を交わす。

 そんな当たり前の日常が、今の俺には何よりも大切に感じられた。


 そして、夏休みも残すところあと少しとなった頃、ついに父さんの渡米の日がやってきた。

 海外転勤という大イベントのわりに随分と短期間だなとびっくりしていた俺に、父さんは「こういうのは勢いで行ってしまったほうがむしろ楽だ」と笑っていた。

 そんなもんかと思いながら、俺は父さんを見送るために空港まで一緒に行くことにした。

 空港行きの電車の中、大きなスーツケースを携えた父さんと一緒にシートに座り、特に何を話すでもなく窓の外を流れていく景色をただ眺めていた。


「遥斗。お前、進路はどうするか決まったのか」


 隣から父さんが唐突に訊ねてくる。


「うーん、正直まだあんまり決まってない。何となく理工学系の大学に進みたいとは思ってるけど」

「そうか。まあ焦ることはないさ。やりたいこととか向いていることってのは、ふとしたきっかけで見えてくるものだから」

「だといいけど。ちなみに父さんはどうして今の仕事をやろうと思ったの?」

「ん? 私か。そうだなあ、まあ何というか、色々だ」


 適当に言葉を濁してくる父さん。明らかに話す気がなさそうだったので、これ以上追求しないことにする。

 自分のことを話すのが苦手なところは俺と同じなんだなと、ふっと口許を緩める。


(それにしても、本当に大人になるまでにやりたいことなんて見つかるのかな)


 現時点では自分の将来など何も想像できないので、そう簡単に見つかるとは思えないけど。 


『遥斗君、教えるの上手いね。学校の先生とか向いてそう』


 ふと、頭の中に勉強会のときに実憂に言われた言葉が浮かんだ。

 そういえば、何かに向いているなんて言われたのはあのときが初めてかもしれない。

 あの日は実憂が試験範囲をうっかり漏らすという事故があり大騒ぎになったが、今思い返せばこれまでで一番勉強が面白いと感じた日でもあった。


(帰ったら教職がとれる大学について調べてみようかな)


 そんなことをぼんやりと思いながら、俺は電車に揺られていた。


 空港に着くと、静かだった電車内とは打って変わって緊張感のある空気に包まれていた。

 人々の喧騒やフライト情報を伝えるアナウンスが忙しなく響き渡る。

 父さんは周囲のざわめきなど気にも留めずに、迷いのない足取りで出発ロビーへと向かって行く。

 何も言わずにまっすぐに歩みを進める父さんの背中を、俺はただ黙って追いかけた。

 出発ロビーに着いた父さんは慣れた手つきでスーツケースを預けて手続きを済ませると、俺が見送りできる最後の場所である保安検査場の前で立ち止まった。


「それじゃあ、ここでお別れだな」

「うん」


 振り返り、俺の顔を見つめてくる。

 見送りの言葉を探していると、俺が口を開くより先に父さんが「そうだ」と思い出したような口調で言った。


「遥斗。私が向こうで落ち着いたら、お前も一度アメリカに来なさい。一緒に世界を見て回ろう」

「わかった。英語の勉強しておく」

「なんならガールフレンドも連れて来ていいぞ」

「はいはい。変なこと言ってると、飛行機に乗り遅れるよ?」


 父さんは口元に微笑みを浮かべると、ただ一言「じゃあ」と残して、保安検査場へと入っていった。

 俺は小さく手を振りながら、その背中が見えなくなるまで見送り続けた。



 ◇



 帰路についた俺が自宅の最寄り駅に着いた頃には、既に日が傾いていた。

 駅構内から外に出ると、夕方とはいえまだ蒸し暑い空気がもわっとまとわりついてくる。

 俺は軽く息を吐いて、一人で家路を辿る。

 オレンジ色に染まるいつもの街並みは見慣れているはずなのに、なぜか知らない街を歩いているときのような心細さを感じた。

 これまでだって誰もいない家に帰って一人で過ごすなんてことは当たり前だったし、それを寂しいと感じたことなんてなかった。

 だけど今日は、これから始まる一人暮らしを考えると、自分で選んだ未来のはずなのになぜかやけに足取りが重く感じた。

 いつもよりも長く感じた家までの道のりを歩くと、マンションに着いたときには背中にじんわりと汗をかいていた。

 今日は適当なもので夕飯を済ませてさっさとシャワーを浴びて早めに寝てしまおう。そんなことを考えながら、マンションの階段を上がって自宅のドアへと向かうと、


「あっ! やっと帰ってきた!」

「おーい、おっせえぞ」

「……は?」


 そこには両手に大きなスーパーの袋を抱えた裕也と、腕を組んで頬を膨らましている南。それから、どこか気恥ずかしそうな顔で佇んでいる実憂がいた。


「え? な、なんで、皆がここに?」


 疑問をそのまま口に出すと、裕也がスーパーの袋を掲げてくる。


「なんでって、今からお前んちでパーティーやるからに決まってるだろ」

「パーティー? なんの?」

「これから青山家を俺たちのたまり場として自由に使えることを記念して」

「いや、自由に使っていいなんて言ってないし。そもそもそんな話聞いてないんだけど」

「そりゃ言ってないからな」


 ワハハと豪快に笑う裕也に絶句していると、南が俺の手に握られていた鍵をもぎ取ってきた。


「もう! 遥斗が帰ってくるのが遅いから、せっかく買った飲み物がぬるくなっちゃったじゃん。早く冷蔵庫で冷やさないとっ」


 そう言って勝手に我が家の鍵を開けると、裕也と南が「おじゃましまーす」と大きな声で言って家の中に入っていく。

 数分前のしんみりとした空気はどこへやら。突然の怒涛の展開に俺が呆然と立ち尽くしていると、今度は実憂が歩み寄ってきた。


「ごめんね遥斗君。わたしがあの二人を呼んだの」

「――え?」


 上目遣いでこちらを窺ってくるその瞳に、俺の意識は現実に引き戻される。


「今日はお父さんをお見送りする日って言ってたから、何となく一人で過ごすのは寂しいかなと思って。でも、迷惑だったかな?」


 申し訳なさそうに口にする実憂に、俺はゆっくりと首を振った。


「……ううん、全然。すごく、嬉しい」


 自然と笑みがこぼれた俺を見て、実憂が「よかった」とそっと胸を撫で下ろした。

 大好きな実憂が、大切な友人たちが俺のことを想ってくれている。その飾らない優しさが、俺に「独りじゃない」ということを伝えてくれている気がして、ただどうしようもなく嬉しかった。


「あ、あのね、遥斗君」


 突然、実憂が一歩詰め寄ってきて、小さな両手で俺の手を握った。


「今回は南ちゃんと裕也君にも頼っちゃったけど、次からは、わたしがもっとがんばるから」


 実憂は恥ずかしそうに頬を染めながらも、声に力を込めて続ける。


「こ、これから遥斗君が寂しかったり、つらかったりしたときは、わたしが遥斗君のことを支えるから。遥斗君のお父さんや裕也君たちに比べたら全然頼りないかもしれないけど、それでもわたしは、ずっと、ずっとそばにいるからねっ」


 耳まで真っ赤にしながら言う実憂に、こっちまで恥ずかしい気持ちになる。だけどすぐに、胸の奥から暖かい気持ちが溢れてくるのを感じた。


「ありがとう。これから、よろしくね」


 たしかに伝わってくる実憂の手のひらのぬくもりを噛みしめながら、俺はそんなありきたりな言葉を返す。

 こんな平凡な返事しかできずがっかりさせてしまったかなと心配になったが、実憂の顔は晴れ晴れとしていて、「こちらこそよろしくね」と大きく頷き返してくれた。

 上手く言葉にできないけれど、俺も同じ気持ちでいることがちゃんと伝わっているのかなと、そう確信させてくれるような穏やかな笑みがそこにあった。


「ちょっとー、そこのお二人さん。そんなところで何イチャイチャしてんですかー? 早くこっち手伝ってよー」


 ガチャリとドアが開いて、目を細めた南がこちらを覗いてくる。


「は、はいっ。ごめんなさいっ」

「わかったわかった。今行くって」


 俺たちは南の後を追うように家に入る。

 本来なら一人で静かに過ごすはずだった家の中は明るく、キッチンからはパーティーの準備をする賑やかな音と、何やら美味しそうな食べ物の匂いがもれてきた。


(まさか一人暮らし初日からこんなことになるとはね)


 やれやれと思いながらも、俺は楽しげな雰囲気に満ちたリビングへと向かう。

 俺たちが選んだこの慌ただしくも幸せな日々がずっと続けばいいなと、静かに祈りながら。

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