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第18話 動き出す未来(2)

 こっそりと家を抜け出した俺はマンションの前で裕也を待っていた。

 あたりはすっかりと寝静まっていて、目の前の道路には車をおろか、通行人の姿すら見えない。

 近くの信号機の明かりと数十メートル先にあるコンビニの光が人気のない夜の町を静かに照らしていた。

 涼しげな風に吹かれながらぼうっとしていると、こちらに向かって勢いよく走ってくる一台の自転車が見えた。


「おーっす。来てやったぞー」


 目の前で急ブレーキをかけながら言う裕也はTシャツに短パンという、明らかな寝間着姿だった。


「自分から電話しておいて何だが、まさか本当に来るとは」

「チャリですぐだからな。だったらスマホで話すよりいいだろ」


 裕也は先ほど電話で話していたときとは別人のように元気で、完全に深夜テンションになっていた。

 眠そうな顔で来られたらもっと申し訳ない気持ちになったと思うので、少しだけ気が軽くなる。


「全力でチャリ漕いできたからあちーな。あそこでなんか冷たいもん買わね?」

「ん」


 裕也は自転車から降りて手で押しながら、道路を挟んで向かいにあるコンビニに向かって歩き出す。豪快に道路を横断していく裕也の後ろを、俺は黙ってついていく。

 コンビニの駐車場につくと、裕也が敷地の隅のほうに自転車を停めた。


「ちょっと買ってくるから、お前はここでチャリ見ててくれ」


 そう言い残して、一人で店内へと入っていく。

 数分後、軽い足取りで戻ってきた裕也の手には二本のアイスが握られていた。


「ほれ。ソーダ味とコーラ味、選べ」

「じゃあ、ソーダで。いくら?」

「いらん。なんかしんどそうだから、特別におごってやるよ」


 差し出されたのは子供の頃によく食べた、あたりが出るともう一本もらえる定番の氷菓子だ。「ありがとう」と言って、アイスを受け取る。

 裕也はあたりに自分たち以外誰もいないのをいいことに、車止め用のブロックに腰を下ろした。つられて俺ももう片方のブロックに腰かける。


「うん、うまい」


 隣からアイスにかじる裕也の声が聞こえた。シャリシャリ、シャリシャリ。

 俺も袋を破いて一口かじる。頬張ると、微かな甘みが口の中に広がった。実憂と一緒に食べたブルーハワイのかき氷に似ている。


「こんな時間にこんな場所でたむろってるなんて、俺たち不良だな」

「格好は寝間着だけどな」


 たしかに、と裕也が吹き出す。つられて俺もふっと笑った。何だかすごく久しぶりに笑ったような気がする。


(あ、そっか。転校したら裕也とも話せなくなるのか)


 よくよく考えれば、実憂だけでなく裕也や南たちとも一緒に過ごすことはもうできなくなる。

 そう思うと、急にまた胸の奥の方から熱いものが込み上げてきた。

 再び口を閉ざしてしまった俺に、裕也がいつもの口調で聞いてきた。


「で、何があったんだよ。まさかわざわざここまで来た俺を手ぶらで帰すなんてことしねーよな?」


 アイスを頬張りながら言うその顔は明るかったが、落ち込んでいる俺に気を遣っていつも以上におどけているように見えた。

 電話越しよりも幾分かは話しやすいかと、俺は先ほど父から言われた話をすべて打ち明けた。


「…………マジ、かよ」


 それまで明るく努めていた裕也の顔からも、このときばかりは表情が消えた。

 重苦しい沈黙があたりを支配する。

 しばらくして、黙り込んでいる俺を励ますような声で裕也が言った。


「お前がいなくなったら、俺シングルスプレーヤーになっちまうな。ま、俺はシングルスでもそこそこ強いけど」

「ああ。裕也ならシングルスでもいい線狙えると思うぞ」

「いや冗談だって。真に受けんなし」

「ごめん」


 苦笑気味に目を細める裕也。「あーあ」と、やりきれなそうに天を仰ぐ。


「まあ、お前の家庭のことは俺には何も言えないけどよ。でもお前は本当にそれでいいのか?」

「仕方ないって。うちは昔から父さんと俺の二人暮らしだから」

「実憂ちゃんのことはどうするんだよ?」


 その名前を出されて、言葉を失う。

 どうすると言われたって、俺にはどうすることもできない。

 己の無力感を物語るように、溶けたアイスがぽたりと落ちてアスファルトに黒いしみを作っていた。


「実憂のことは、あきらめる」


 弱弱しく口を開いた俺に、裕也が体ごとこちらに向けてくる。


「あきらめるなんて軽々しく言うなよ。お前、あんなに実憂ちゃんのこと大好きだったじゃねーか」

「実は今日、実憂に告った」

「――え?」

「で、ふられた」

「……」


 信じられないと言いたげな顔で裕也が固まる。


「もう、終わったんだ」


 無理やり自分に言い聞かせるように、俺はそうつぶやいた。

 思い出すだけで胸がえぐられるような痛みが走った。

 嗚咽が漏れそうになるのを必死にこらえながら、ただ足元にあるアスファルトの黒いしみを見つめる。

 視界が滲んで、コンビニから届く光が歪な形に広がっていく。

 情けない。親友の前でこんな顔、見せたくないのに。

 手元では青いアイスがだらしなく溶け続けていた。ポタリ、ポタリと、この街での日常が指の間から一滴ずつ零れ落ちていくような気がした。


「なあ遥斗、ひとつ聞いていいか」


 横から聞こえてきたのは、励ましでも同情でもない、ただ淡々とした親友の落ち着いた声だった。


「お前はさっきふられたって言ってたけど、実憂ちゃんはお前のことどう思ってるのかな」

「……?」


 含みのある言い方に、俺は自分が今どんな顔をしているかも忘れて頭を上げる。

 裕也が真面目な目がこちらを見つめてくる。


「お前が告ったとき、たぶん実憂ちゃんはお前の親の転勤の話を知っていたんじゃないか?」

「……え、な、なんで……」


 動揺を隠せない俺を見て、裕也が何か確信めいたような笑みを浮かべた。

 裕也の言うとおり、おそらく実憂はずっと前から俺が親の都合で転校することを知っていたのだろう。

 だけどそれは、実憂が未来から来たタイムリーパーであるという秘密を俺が知っていたから推測できたことだ。

 どうしてその事情を知らないはずの裕也がこんなに的確に言い当てることができるのだろうか。

 俺が訊ねるよりも先に、裕也が得意気な顔で口を開いた。


「そんなの簡単さ。だってあの子は、今でもお前のことが大好きなんだから」


 呆気にとられて固まっている俺に、裕也は食べ終えたアイスの棒をびしっと向けてくる。


「お前はふられたって言ってたけど、それは実憂ちゃんがお前のためについた『優しい嘘』ってやつだ。お前のことが好きだから、お前の未来のために自分の心を偽ったんだよ。女の子ってのは嘘つきな生き物だからな。だけどよ、本当は実憂ちゃんだってお前と離れたくなんてないんだ」

「そ、そんなの、わかんねえだろ」

「わかるって」


 俺の声を遮るように、裕也が言い切った。


「だってあの子は、お前にちゃんと言ってたじゃないか。『行かないでほしい』って」

「……へっ?」


 そんなこと言われただろうか? というか、なぜこいつが……?

 困惑していると、裕也がにやりと口の端を上げた。


「県予選のあの日、初戦が終わってベンチで休んでたときにそう言ってただろ。汗臭いお前のシャツを必死に掴みながらな」

「は……? い、いや、ちょっと待て」


 インターハイ県予選の日、試合後に実憂と二人でベンチに話していたとき、たしかに「行かないでほしい」とつぶやいていたのを覚えている。

 だがあのときは裕也と南は二人で別の試合を見に行っていたため、その場には俺と実憂しかいなかったはず。


「な、なんで、お前がそれを知ってる!? だってお前は南と一緒に試合を見に行ってて、あの場にいなかっただろ?」

「あー、それ、嘘だ。ぶっちゃけ南と二人で物陰からお前らのこと観察してました」

「はあっ!?」


 静まり返った夜の街に、俺の叫び声が響く。


「だって試合よりも、お前ら見てるほうが面白そうだったんだもん」


 悪びれる様子もなく、けらけらと笑う裕也。

 あのときはてっきり気を利かせて実憂と二人きりにしたくれたのだと思ってたのに。

 しかもそれを今の今まで黙っていたなんて。あまりの悪趣味ぶりに、呆れ果てて文句の言葉すら見失う。

 一通り笑い終えた裕也が口元に微かな笑みを残したまま言う。


「なあ遥斗、覚えてるか。あのときのお前は実憂ちゃんにこう言ってたはずだぜ。『未来って、変わってもいいんじゃないか』って」

「!――」


 未来は変わってもいい――それはたしかに、かつて俺が実憂を励まそうとして無責任に言い放った台詞だった。

 自分のせいで俺の未来が変わってしまうかもしれないと震えていた実憂に向けて口にした言葉。

 そんな言葉が、時を経て今度は俺自身の胸に深く突き刺さる。


「『絶対にこうならないと駄目なんてない。その場のノリとか勢いで未来が変わっちゃったとしても、後から振り返ったときによかったなと思えればそれでいい』続きはこんな感じだったっけか?」

「……お前、マジで全部聞いてたんだな」

「怒んなよ。あんときのお前の言葉には俺も南もけっこうぐっときてたんだぜ」

「ったく。お前らの悪ノリにはもうお手上げだよ」


 溜め息交じりに言って、俺は星一つ見えない夜空を見上げる。

 数分前まで滲んでいた視界はいつの間にか驚くほどすっきりしていて、どこまでも広がる夜闇がやけに綺麗に見えた。


 未来は変わってもいい


 もう一度、その言葉を心の中で繰り返す。

 俺が適当に思いついた言葉が、裕也の温かな声に乗って俺の背中を押してくる。

 失いかけていた熱が、胸の奥で再び静かに灯り始めるのを感じた。


「遥斗、お前自身がどうしたいのか、もう一度考えてみたらどうだ」

「うん」


 親友の声に、ただ力強く頷く。

 色々と良いように遊ばれている気がしなくもないが、結局俺はいつだってこいつに救われているのだと、今さらながら思い知らされる。

 俺が座っていたブロックから立ち上がると、裕也も続いて立ち上がり大きく伸びをした。


「なんか手伝えることあるか、相棒」

「いや、もう大丈夫。ありがとな」


 そっかと、裕也が口元をほころばせる。

 こんな真夜中に駆けつけてくれた。俺に未来を変える勇気を与えてくれた。それだけでもう十分に嬉しかった。

 俺は感謝の意を込めて微笑み返すと、冷えた夜の空気を吸い込んで、大きく吐き出す。

 もう一人でも大丈夫。ここから先は、俺の戦いだ。

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