第15話 花火大会(1)
七月上旬。
長かった期末テストも無事に終わり、後は一学期の通知表が配られるのを待つだけとなった。
夏休みを間近に控え、クラスメイトたちはお互いに休みの予定を語り合いながら、今か今かと色めき立っている。
ちなみに今回のテストでは、うちのクラスで赤点をとった者は一人もいなかったらしい。心配していた裕也も無事に夏休みを迎えられるようだ。
とりあえずは一安心だなと考えていると、こちらに気がついたのか、裕也が笑みを浮かべながら近づいてきた。
「遥斗! お前のおかげでなんとか補習は免れたぜ!」
「らしいな。よかったじゃん」
「ホントに助かったよ。今度南と一緒に何かお礼しちゃる」
「ん? 何で南も?」
「アイツもお前のまとめノートのおかげで間一髪助かったって言ってたぜ。それに南のクラスの奴らもお前のノートめちゃくちゃ分かりやすかったって」
なんか知らないうちに俺のノートが拡散されている。別に困るわけではないからいいんだけど。
俺が苦笑していると、裕也がそう言えばと話を切り出した。
「実憂ちゃん、今回凄かったよな。俺あの子があんなに頭よかったなんて知らなかったわ」
「あ、ああ」
今回のテストで、なんと実憂は学年で一桁にランクインしていた。
テスト前に実憂と話したときは「目立ちたくないからいつもと同じくらいの成績を狙う」と言っていたのに、どうやら見事に失敗したらしい。
案の定、実憂のテスト結果を見た周りのクラスメイトたちが「山田さんって頭いいんだね!」「どんな勉強したの?」と詰め寄っていた。
わたわたと慌てている実憂を遠目から見ていると、「たすけて」と言われているような気がしたが、今回ばかりはさすがにどうすることもできず、見て見ぬふりをするしかなかった。
「せっかく夏休みだし、実憂ちゃんも誘ってまた四人でどっか遊びに行きてーな」
「……うん、そうだな」
威勢のいい声で言う裕也に、俺は曖昧な返事を返す。
今年の夏休み、俺は皆と一緒に遊びに行けるのだろうか。そんな不穏な考えが脳裏を掠めた。
ちなみに、実憂がテストに出ないと言っていた物理の問題は本当に出題されなかった。
◇
ついに一学期が終了し、夏休みが始まった。
毎日の登校がなくなると、俺の生活リズムは一瞬で崩れた。意味もなく夜更かししたり、ひどいときは昼まで寝ていたり。
それでも部活のある日だけはちゃんと朝起きて学校に行って仲間たちと練習に打ち込む。
先輩たちがいなくなった部活は少し寂しくも、自分たちが主役になったような気がして自然と気合が入った。
練習帰りに友人と一緒にジュースを飲みながら帰るだけでも何故かやたらと楽しかった。
そんな日々を過ごしながら約一週間が経った頃、ついに実憂と約束していた夏祭りの日がやってきた。
その日俺は、夕方まで何も予定がなかったため、実憂の地元で行われるそのお祭りについて調べてみた。
会場は市街地の端にある自然に囲まれた公園で、夜になると約三千発の花火が打ち上げられるらしい。
大規模とまではいかないが、毎年地元の多くの人が訪れる花火大会だそうだ。
(二人きりで花火って、どう考えてもデートだよな)
一人で勝手にソワソワしながら何度も時計を確認しているうちに、あっという間に待ち合わせの時間が近づいてきた。
俺は身支度を整えて家を出て、電車に乗って実憂の地元へと向かう。
車内はいつもより混雑していて、中には浴衣や甚平を着ている人もちらほらいた。きっとあの人たちも俺と同じ場所に行くのだろう。
吊革につかまって電車に揺られながら、いつの間にか暗くなっていた窓の外を見つめる。
家を出たときには何ともなかったのに、実憂の地元が近づくにつれてどんどん緊張が込み上げてきた。
目的の駅に到着すると、俺は改札を出て花火大会の会場がある出口へと向かう。
そこには既に人がごった返していて、その光景に気圧された俺は一瞬その場で足を止めた。
(待ち合わせはコンビニ前って言ってたけど)
きょろきょろとあたりを見回す。
あった。人が多すぎて全く目立っていなかったが、よく見るといつも見慣れたチェーンのコンビニの看板だ。
周辺には俺と同じように待ち合わせをしている人たちがずらりと並んでいた。
その中に実憂の姿を探していると、人だかりの中からすっと抜け出してこちらに近づいてくる人影が見えた。
「遥斗君、久しぶり」
「あ……」
一週間ぶりに会った実憂は、藍色の浴衣に身を包んでいた。
深く落ち着いた青の生地に、淡いピンクと白の花模様が浮かんでいる。
人目を引くような派手さはないけれど、その慎ましやかな風合いは実憂の持つ柔らかな雰囲気にこれ以上ないほどしっくりと馴染んでいた。
きれいだ。心からそう思った。
「どう、かな?」
「すごくいい。似合ってる」
両手を軽く上げて浴衣のたもとを揺らしながら、照れ笑いのようなはにかみを見せてくる。
見惚れていると、実憂がメイン会場がある方向を指差した。
「あっちだよ、いこ」
「うん」
駅前からは会場へと向かう人たちの長蛇の列ができていて、俺たちもその列に交ざるように歩き出した。
ゆっくりと進んでいくその列は、遥か先まで延々と伸びていて先頭が見えない。
「それにしても、すごい人だね」
「いつもはのどかな町って感じなんだけど、毎年この日だけはすごいの」
かぽかぽとサンダルを鳴らしながら歩く実憂の歩幅はいつもよりも狭い。
俺は普段歩いているときの半分くらいの速度で歩みを進める。
「その浴衣、もしかして今日のために買ったの?」
「ううん。実はこれ、お姉ちゃんのお下がりなの。わたしの服はほとんどがそう」
「へえ、そうなんだ」
姉がいるという話は以前から聞いていたけど、私服を共有するくらい仲が良いというのは初耳だった。
俺はそのまま実憂の話に耳を傾ける。
「わたしのお姉ちゃん、今大学一年生なんだけど、お洒落にすごく詳しくて。それで着なくなった服とかよく譲ってくれるの。わたしとお姉ちゃんは体型も似てるから、自分で選ぶよりもお姉ちゃんのお下がり着てるほうがよっぽど間違いないかなって」
「じゃあもしかして、この前のカラオケとか、試合を見に来てくれたときに着てた服も?」
「うん。もちろんあれも全部お下がり」
「いいな。俺もそういう兄が欲しかったよ」
ふふふ、という実憂の笑い声が聞こえてくる。
夜風がやけに気持ちよかった。道を行く人々の楽しげな声を聞きながら、街灯が点々と照らす歩道をのんびりと歩いていく。
すごく会話が弾んでいるというわけではないけれど、沈黙している時間さえもなぜか心地よくて、このまま今がずっと続けばいいなと思った。
そのまましばらく歩いて行くと、徐々に祭りの喧騒が大きくなり、屋台の美味しそうな匂いが鼻を掠めてきた。
「いい匂いがする。実憂、お腹すいてる?」
「うん。せっかくだから何か食べたい」
花火の時間までまだ少しあったので、俺たちは軽く何か食べることにした。
何がいいだろうか。甘いもの。しょっぱいもの。色々とあり過ぎて悩んでしまう。
道の両側にずらりと並ぶ屋台を眺めながら歩いていると、そこまで人が並んでいないたこ焼き屋を見つけた。
「あれとかはどう?」
「いいね。美味しそう」
結局無難な提案になってしまったが、実憂は嬉しそうに頷いてくれた。
後で他にも食べたいものが見つかるかもしれないので、二人でお金を分け合って六個入りのパックを一つ買うことにした。
爪楊枝を二本差してもらったパックを受け取り、人の流れが少ない脇道で立ち止まる。
本当はベンチでもあればよかったが、近くにちょうどいい座る場所が見当たらなかったのでそのまま立って食べることにした。
俺がパックを手に持って一緒に爪楊枝でたこ焼きをつつく。
「あっつ!」
「大丈夫!?」
揚げたてに思い切りかぶりついたのは無謀だったらしい。
ふーふーとたこ焼きを冷ましつつ小さな口でかじっていた実憂が俺を見てくすくすと笑う。
たこ焼きは熱々だったが一口頬張るとソースの香りが食欲をそそってきて、残りは二人ですぐに平らげてしまった。正直、もう少し何か食べたい気分だ。
俺たちは再び屋台が並ぶ通りを歩き出す。
「遥斗君、あれは?」
「かき氷か。いいね」
しばらくして、熱いものを食べた後の体を冷やすのにちょうどいいものを見つけた。
俺たちはかき氷の屋台に並ぶと、今度は各々一つずつ好きな味を注文した。実憂はいちご味を、俺はブルーハワイだ。
「冷たくて美味しい」
「だね。夏って感じがする」
再び道端に立ち止まり、二人で黙々と鮮やかな氷をつつく。
冷たいかき氷は舌の上でしゅっと溶けていって、ほのかな甘みが口いっぱいに広がった。
「遥斗君、舌、見せて」
「えっ? こ、こう?」
「わあ、真っ青だ」
あははと楽しげに笑う実憂。その無邪気な顔が俺の胸をくすぐる。
「なんか俺だけやらされてずるいな。実憂のも見せてよ」
「べー」
ペロリと見せてくれた実憂の舌はいちごの赤に染まっていた。だけど元の色とそこまで変わらないため違和感はあまりない。
「うーん。なんかやっぱりずるい」
「えー、なんでー」
そんなくだらない会話がやけにおかしくて、俺たちは顔を見合わせてお互いに笑い合った。
(なんだこれ、すっげえ楽しい)
今が永遠に終わらなければいいと、俺は本気で思った。




