第14話 勉強会(3)
モゴモゴと何かをつぶやいたきり無言になってしまった実憂を見て、俺は密かに頭を抱えていた。
(俺、何かまずいことでも言っちゃったかな……)
いきなりべらべらとしゃべりだしたかと思えば、今度は突然黙り込んでしまった。女の子って難しい。
(もしかして、ちょっと詰め込み過ぎちゃったか?)
物理は苦手だと言っていたし、難しい式を扱う計算問題ばかりで少し疲れてしまったのかもしれない。
問題が解ける度に実憂が嬉しそうな顔をするから、ついこっちまで嬉しくなってペースを配慮せずにどんどん進めてしまった。
ここらで少し休憩を挟んだほうがいいだろう。
「実憂。ちょっと一休みしない? 何かお菓子でもないか探してくるよ」
「えっ? うん、ありがと」
俺は椅子から立ち上がると、キッチンへと向かい菓子類が入っている戸棚を開ける。
中にあったのは、せんべいやポテトチップスなどの乾き物と、個包装になっている一口サイズのチョコレートくらい。
男の二人暮らしの家には、女の子が喜びそうな甘い焼き菓子や生菓子があるはずがなかった。
(しまった。家に帰る前にコンビニでも寄って何か買ってくるべきだったな)
自分の気の利かなさに溜め息がこぼれる。
とりあえずないものは仕方ないので、糖分補給に役立ちそうなチョコレートでも持っていこうか。
「あの、遥斗君」
戸棚を漁っていると、実憂がキッチンの入口から顔を覗かせていた。
「ん? どうしたの?」
訊ねると、実憂はこちらに歩み寄ってきて、俺の手元のお菓子には一瞥もくべずに口を開いた。
「わたし、お菓子はいいから、遥斗君のお部屋が見てみたい」
「……へ?」
(俺の部屋? なんで?)
さっきまで元気がなかったはずのその瞳は、なぜか微かに輝いているように見えた。
女の子って本当によくわからない。
◇
「どうぞ。狭いとこだけど」
「ほわあ……」
俺が自室のドアを開けると、実憂がゆっくりと部屋の奥へと入っていく。その足取りはまるで未開の地に踏み入れていく探検隊のようだった。
部屋の真ん中で立ち止まり、物珍しそうにあたりを見回す。
「きれいなお部屋。わたし、男の子の部屋に入るの初めてかも」
「ま、何もない部屋だけどね」
六畳程度の小さな俺の部屋はベッドと勉強机、あとは教科書が詰まった本棚があるくらいだ。
ただクローゼットはそこそこ広く、部活関係の荷物はすべてその中にしまい込んでいた。おかげで部屋はそれなりに片付いているように見えた。
実憂は何も言わずに俺のベッドと勉強机を興味深そうにしげしげと眺めてから、本棚の前にぺたんと座り込む。
「わたし、本棚を眺めるの好き。なんか落ち着くんだよね」
「でも俺の本棚は教科書とかばっかでつまんないよ」
俺も実憂の隣にかがみこみ、学校の教材ばかりが並べられた本棚を一緒に眺める。
見慣れている教科書やノートを眺めているだけなのに、実憂が隣にいるだけで、どこか知らない町の図書館の中を探検しているような不思議なわくわく感があった。
「あっ!」
「え、なに?」
急に実憂が大きな声をあげたかと思うと、彼女の指先が本棚の隅にあったひとつの文庫本に触れる。
「『かがみの孤城』だ! これ、わたし大好き」
実憂が指差したのは、ちょうど一年くらい前に買った文庫本だった。
「ああ。俺も昔読んだけど、すごくおもしろかった」
それは、普段は読書なんて滅多にしない俺が唯一持っていた小説だった。
初めてこの本を読んだのは、たぶんまだ中学生くらいのときである。夏休みの読書感想文の本を探していたとき、図書館でたまたま手にとったものだった。
最初はただ課題のためと思って読んでいただけだったが、気づけばいつの間にか夢中になっていて図書館の閉館時間になるまで居座ってしまった。
それまでは読書なんて文字を目で追うだけの退屈な時間だと思っていたのに、まさかこんなにも心を揺さぶられるとはと感心したのを覚えている。
ページをめくる手が止まらないというのは、こういうことをいうのだなと思った。
(そういえばこの本を買ったのも、実憂とメッセージをし始めた頃だった)
去年の文化祭が終わり、実憂とRINEでのやり取りが始まった頃。
その頃から実憂のことを意識し始めた俺は、教室の隅で本を読んでいる彼女の姿をつい目で追うようになっていた。
もちろんクラスメイトとおしゃべりしているときもあったが、実憂はどちらかというと、一人で本を見つめてるときのほうが幸せそうに見えた。
何の本を読んでいるのだろう。何がそんなに面白いのだろう。
いつも楽しそうに読書をする実憂を陰ながら見ていた俺は、ふと久しぶりに自分も本が読みたくなった。
今思えば、何か共通の趣味ができれば彼女ともっと親密になれるかもという下心があったのかもしれない。
そんな邪な思いで学校帰りに書店に立ち寄った俺だったが、いざ文庫本コーナーの膨大な本を前にすると、何を買えばいいのかわからなくなった。
そのままぶらぶらと店内を歩き続け、手ぶらで帰るのもなと思った俺は、結局中学の頃に一度だけ読んだことのある思い出の本を上下巻まとめて買って帰ったのだった。
「自分の好きなものを誰かと分かち合えるのって嬉しいね」
幸せそうに実憂が目を細める。
その横顔を見て、不純な動機で書店に立ち寄ったあの日の自分を褒めてやりたい気持ちになった。
「今度実憂のおすすめの小説を教えて欲しい」
「そ、そんなの、いーっぱいあるよ? ミステリー? ファンタジー? 純文学も好きだし、ラノベでもいいよ。異世界転生とか。あ、でもホラーはちょっと苦手」
「ははっ、だったらテストが終わったらその話また聞かせてよ。もうすぐ夏休みだし、ゆっくり読んでみるからさ」
俺がそう言うと、楽しそうに話していた実憂の瞳からすっと光が消えてしまったような気がした。
ほんのわずかに間を置いて、実憂がポツリとつぶやく。
「そっか。もうすぐ、夏休みなんだね」
期末テストが終われば、すぐに夏休みがくる。
授業がなくなって皆に会えなくなるのは寂しいけれど、それでも今俺の隣で口を閉ざしている彼女の表情はそれだけを憂いているわけではないような気がした。
何か言いたいことがあるけど言葉にできない、そんなもどかしさを感じさせる顔に、俺はふと実憂のある言葉を思い出す。
『青山君がいなくなっちゃったの』
初めて実憂と一緒に帰ったあの日。彼女の口から唐突に告げられた言葉。
あのときはまだ実憂の話を信じることはできなかった。だけど、これまで何度か未来のことをほのめかす彼女の話を聞いているうちに、その信憑性は俺の中で確実に高まっている。
もしも実憂の言葉がすべて正しかったとしたら。
実憂の話によると、それは怪我や病気などに命に関わる話ではないとのことだった。
しかし、彼女の今の表情から察するに、それは俺たちにとって不幸の類であることは間違いないだろう。
(今のうちに何が起こるのか聞いておくべきだろうか)
もし仮に、それが事前に対策をとれるようなものであれば、今ここで聞き出しておいたほうがいいのではないか。
幸いにも今ここには俺たちしかいないし、誰かに話を聞かれる心配もない。
俺は小さく深呼吸をすると、意を決して実憂の顔を見つめる。
「遥斗君」
「!」
先に口を開いたのは実憂だった。不意を突かれて、思わず息を呑む。
「な、なに?」
「あのさ、もし、よかったら」
やけに真面目なその顔に、俺の心臓がバクンと跳ねた。
頼りなげに揺れていたさっきまでの声とは違う、迷いのない口調で実憂が言う。
「テストが終わったらさ、一緒に夏祭りに行かない?」
「夏祭り?」
「うん。わたしの地元でお祭りがあって、花火もあるの。できれば二人で行きたい」
(二人で花火? それってつまり)
その誘いの意図を理解した俺は、実憂の目を見つめ返して大きく頷いた。
「うん。行こう。絶対に」
「ありがとう。約束ね?」
そう言って俺たちは、何も言わずに小指と小指を結んだ。




