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第13話 勉強会(2)

(どうしてこうなった)


 自宅についた俺は後ろをついてくる少女の気配を感じながら、ぎこちない足取りでいつものリビングに入る。


「どうぞ。たぶん、そこまで散らかってはいないと思うけど」

「は、はいっ。お、お邪魔しますっ」


 声を上ずらせながら、実憂がうちのリビングへとそっと足を踏み入れる。

 誰もいない家に二人きりという禁断のシチュエーションに、俺の胸が不穏な音を立ててざわつき出す。


(落ち着け。今日はただ一緒に勉強しに来ただけだ)


 俺は一度深く息を吸って気持ちを落ち着かせる。

 実憂だって決して遊びにきたわけではなく、真面目に勉強を教えて欲しいだけのはずだ。

 期末試験まで時間もそんなにあるわけではないし、無駄なことをして過ごす余裕はない。間違っても変な気は起こさないようにしないと。

 俺は自分の胸に強くそう言い聞かせて、なぜかリビングの隅っこで固まっている実憂を見やる。


「鞄、適当にそこらへんに置いちゃって。飲み物用意するから、ちょっと待ってて」

「あ、はい。おかまいにゃくっ」


 俺はキッチンの戸棚からグラスを二つ出して冷たい麦茶を注ぐと、ダイニングテーブルの上へと運んだ。


「はい、どうぞ」

「ありがとう。遥斗君のお家、広いし綺麗だね」

「普通の家だけどね。まあでも、父さんと二人で住むには広すぎるかな」


 俺が住んでいるのは、元々家族三人で暮らすはずだった3LDKの分譲マンションだ。

 リビングダイニングの他には父さんの部屋と俺の部屋。あとは母さんの荷物が置かれたままの、今は使っていない一室があるだけだ。

 俺も父も基本的に自分のものは自分の部屋に置いているし、リビングも日頃から使った人が片付けるようにしている。

 おかげで部屋の中は人に見せても恥ずかしくない状態には保てていた。


(今日のこと、父さんにはバレないようにしないとな)


 父さんは普段は滅多に俺に怒ることはないが、自宅に勝手に友達を、しかも年頃の女の子を連れ込んだとバレたら何を言い出すかはわからない。

 俺は実憂が帰った後ちゃんと部屋を元通りにして証拠を残さないようにしようと思った。


「勉強はここでやろうか」

「うん」


 そう言って、俺はダイニングテーブルで実憂と向かい合って座ると、さっそく物理の教科書とノートを広げた。

 いつもは父さんと一緒に囲んでいる食卓に実憂と顔を合わせて座るのはとても不思議な気分だった。


「ええと、どこからやる?」

「じゃあ、この『運動量と力積』から聞いてもいい?」

「オッケー」


 それから俺は実憂が苦手だという問題をひとつずつ基礎から丁寧に解説していった。

 実憂は俺の説明をとても真剣に聞いてくれて、ときどき「難しい」とこぼす場面もあったが、何回か同じ説明を繰り返すうちにすぐに問題の本質を理解できるようになっていた。

 途中から自分一人でも演習問題を解けるようになり、問題を解くごとにその顔にどんどん自信がついていく。

 そのままあっという間に時間が過ぎて、気がつけば実憂の顔には家に入ってきた時の緊張した雰囲気はほとんど残っていなかった。


「す、すごい! 遥斗君のおかげでコツが掴めてきたかも」

「それならよかったよ」

「遥斗君、教えるの上手いね。学校の先生とか向いてそう」

「いやいや。それは実憂の飲み込みが早いからだよ。俺も正直、こんなにすぐにできるようになるとは思わなくてびっくりした」


 実憂の嬉しそうな顔を見て、俺の頬も自然と緩くなってしまう。

 勉強がこんなに楽しいと思えたのは生まれて初めてかもしれない。

 壁にかかっている時計をちらりと見て、まだ解散するには早いかなと思った俺は、再び教科書をパラパラとめくった。


「せっかくまだ少し時間もあるし、応用問題とかもやってみる? 例えばこの『ボールを壁に斜めに当てたときの跳ね返り』の問題とか」

「あ、でもそこは今回のテストには出ないから今はやらなくても平気かも」

「へえ、そうなんだ」


 なるほど。それならたしかに今やっておく必要はないか――ん?


「待って。今、何て?」

「…………」


 俺は実憂を凝視する。

 実憂は口を半開きにしたままフリーズしており、その顔には明らかに「しまった」という文字が浮かんでいた。

 まだ受けてもいないはずのテストで出題されない問題がなぜわかるのか。

 その答えは、もはや一つしかない。


「実憂、もしかしてだけど……今回のテスト受けるの二回目?」


 以前実憂から聞いた話では、今年の夏の終わり頃からタイムリープしてきたと言っていた。

 よくよく考えてみると、夏の終わり頃ということは既に期末試験を終えている時期である。

 実憂は真っ青な顔で固まっていたが、少しすると急にわなわなと震えはじめた。


「ご、ごめんなさい! そ、そうだよね、これってやっぱりカンニングだよね!? ど、どうしよう。どうにかして前の記憶を忘れようとしてるんだけど、そうしようと思えば思うほど逆に鮮明にテスト問題を思い出しちゃって。先生に相談しようにも何て説明すればいいのかわかんないし」

「み、実憂!? ちょっと落ち着いて!」


 今度は堰を切ったように突然しゃべりだす実憂に、俺は両方の手のひらを向けてなだめる。


「俺は別に責めるつもりじゃないよ。実憂のことは誰にも言わないし」

「ほ、ほんとに?」

「うん、絶対に」


 実憂の顔が少しだけ落ち着きを取り戻す。それを見て一緒に安心した俺は、口元に軽く笑みを浮かべる。


「でもさ、受けるのが二回目なら今回のテストは余裕なんじゃない?」


 一度受けたことがあるテストならば、たとえ細かい正解は覚えていなくても、何となくどんな対策が必要かは考えられるはずだ。

 実憂くらい頭がよければ決して難しいことではないだろう。

 正直、俺に勉強を教わる必要もなかったような気がする。むしろ俺のほうがどこがテストに出るのか教えて欲しいくらいだ。そんなことを聞いたらきっと実憂をさらに困らせるだろうから、絶対にしないけど。


「そんなに心配しなくても、きっと実憂ならいい点とれると思うし」

「で、でも……」


 実憂は指先をもじもじさせながら視線を落とすと、しばし間を置いてから掠れるような声でつぶやいた。


「……っしょに…………たかった……から……」



 ◇



 完全にやらかした。油断した、としか言いようがない。

 遥斗君との勉強会が楽しすぎて、うっかりまた未来のことを口走ってしまった。しかも今回は、テストの出題範囲という絶対に口外してはいけない極秘情報を。

 正直に言うと、遥斗君の言う通り、わたしは今回の期末テストを受けるのは二度目である。

 当然テスト問題を細かく覚えているわけではないが、どの分野からどんな問題が出題されたかは何となく思い出すことができた。

 ズルいことしているみたいで心苦しかったけど、おかげで今回のテストはいつもより良い点数がとれそうな気がしていた。

 それにも関わらず、こうやって遥斗君に無理を言って勉強を教えて欲しいとお願いしたのは完全にわたしのわがままだ。

 タイムリープをきっかけに、気づけばどんどん身勝手になっていく自分が少しばかり怖くなる。

 突然お家にまでお邪魔して、やっぱり迷惑だったかな? 遥斗君のお家のリビングに上がったとき、そんな気持ちにもなった。

 それによくよく考えればわたしは元々頭が良いわけでもないし、物理なんて特に苦手だから、せっかく遥斗君に教えてもらっても全然理解できないかもしれない。

 物分かりの悪い奴だなと、失望されちゃったらどうしよう。

 そんな不安を抱えていたわたしだったが、勉強会が始まるとそんな心配はあっさりと吹き飛んでしまった。

 というのも、遥斗君の教え方がとても分かりやすかったのだ。

 物理法則の基礎的な考え方を丁寧に教えてくれて、わたしがつまずいたところはわたしのレベルに合わせて何度も繰り返し説明してくれた。

 おかげで今まではただ丸暗記していた謎の公式たちの意味も理解することができ、気がつけば自分一人で演習問題まで解けるようになった。

 自分でも驚きの変わりようである。物理なんて一生理解できないだろうなと諦めていたわたしをこうも変えてしまうなんて!

 遥斗君って本当にすごい! 勉強できるし、スポーツもできるし、優しいし、カッコいいし。憧れの人って、まさにこういう人のことをいうのだろう。

 そんな風に舞い上がっていたせいで、つい親切心のつもりで「そこはテスト出ない」などと余計なことを口走ってしまった。

 以前にも同じように未来のことを話してしまったとき、二度と同じヘマはしないと深く反省したはずなのに。

 ああ、わたしはなんてドジなのだろうと一人でしょげていると、目の前から遥斗君の優しい声が聞こえてきた。


「受けるのが二回目なら今回のテストは余裕なんじゃない? そんなに心配しなくても、きっと実憂ならいい点とれると思うし」


 それは、たしかにその通りかもしれない。

 でも、わたしが本当に欲しかったのはテストの点数なんかじゃなくて――

 遥斗君から目を逸らすように視線を逸らしながら、聞こえるか聞こえないかくらいの声でつぶやく。


「一緒に、勉強したかったから」

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