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婚約破棄されたので辺境で好きに生きます〜なぜか辺境伯に溺愛されていますが〜  作者: きなこ
第4章「辺境の花嫁と永遠の約束」

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第93話「帰路の知らせ」

第93話「帰路の知らせ」


 帰路は来た道と同じ、七日間の旅だった。


 でも、行きとは気分が違う。肩の荷が下りている。叙勲も終わり、アルフレートの処分も見届けた。


 三日目の宿場町で、ルドルフからの急報が届いた。


 早馬だった。馬が汗だくで、乗っていた商人の使いも息を切らしている。


 「ルドルフ様からの至急便です。辺境伯様とエリナ様に」


 封を切った。


 ルドルフの几帳面な文字が並んでいる。だが、末尾に走り書きが加えてある。急いで書いたのだ。


 『エリナ様、辺境伯様


 至急お知らせします。ベルドラント連邦の評議会が、グラフ辺境伯領に対し正式な通商使節の派遣を決定しました。目的はルーン石の独占取引契約の締結。使節は既に出発しており、到着は十日以内と見られます。


 加えて、連邦の南方軍が国境付近で「演習」の名目で兵を集めています。規模は約三千。直接侵攻の意図はまだ不明ですが、通商交渉への圧力であることは間違いありません。


 独占取引の要求を拒否した場合、通商封鎖が示唆されています。冬季の穀物輸入ルートが封じられる可能性があります。


 わたくしは現在、国境沿いの商人仲間から情報を集めています。帰還され次第、詳細を報告いたします。


 ルドルフ・ハルト』


 カイン様に手紙を見せた。


 カイン様は黙って読んだ。表情は変わらなかったが、目の奥に鋭さが戻った。辺境伯の目だ。


 「三千か」


 兵の数を最初に確認した。軍人はまず脅威の規模を測る。


 「直接攻めてくるつもりはないだろう。辺境伯領に攻め込めば、王国全体を敵に回す。だが——」


 「通商圧力としては十分ですね」


 三千の兵が国境に並んでいる。それだけで、取引先の商人たちは怖がる。物資の流れが止まる。辺境は冬を越せなくなる。


 「急ぐか」


 「はい。できれば二日早く帰りたいです」


 フリッツに馬車の速度を上げるよう指示した。宿場の泊まりを減らし、駐屯地で早朝に出発する。


 馬車の中で、考えた。


 ルドルフの冬の報告で種まきがされていた。冬便で「ベルドラント連邦の商人がルーン石に関心を示している」と聞いた。王都への道中でカイン様が「国境付近が最近騒がしいらしい」と言った。


 あの時点で対策を打つべきだったか。いや、あの時点では情報が足りなかった。


 (前世でも同じことがあった。取引先の異変に気づいたときには、もう遅いことがある。でも今回は——まだ間に合う)


 「カイン様。連邦は何を狙っているのでしょう」


 「ルーン石だろう。辺境でしか取れない資源は、彼らにとって独占する価値がある」


 「ルーン石を独占すれば、連邦は王国への優位を確保できますね」


 ルーン石の用途は広い。暖房の暖炉石。照明。防具の強化。魔法的な効果を持つ鉱物は、この世界では戦略物資だ。


 「フリッツ」


 カイン様が前方に声をかけた。


 「辺境に早馬を先行させろ。巡回を最大強化。国境の動きを逐次報告」


 「承知しました」


 馬車の揺れが強くなった。速度が上がっている。


 ヨハンナが対面で黙って聞いていた。


 「お嬢様。王都から帰って、すぐに嵐ですね」


 「そのようです」


 「お嬢様なら、乗り越えられます」


 ヨハンナの言葉は、いつも短くて、重い。


 残りの四日間、馬車の中でできることをやった。


 辺境の穀物備蓄量。冬季の輸入依存度。ルーン石の年間産出量と現在の在庫。商人ルートの代替経路。


 持っている帳簿だけでは足りない情報が多い。帰ったらすぐに確認しなければ。


 カイン様は馬車の中で地図を広げていた。国境線。地形。防衛拠点。


 二人で同じ馬車の中にいるのに、やっていることが違う。


 でも、向かっている先は同じだ。


 「カイン様」


 「何だ」


 「帰ったら、対策を考えましょう。二人で」


 カイン様が地図から目を上げた。


 「ああ」


 短い返事だった。


 でも、「俺がやる」とは言わなかった。「二人で」を受け入れた。


 窓の外に、北の山が見え始めた。


 辺境が近い。



---


 城門が見えた瞬間、馬車の中で思わず声が出た。


 「帰ってきた」


 灰色の城壁。煙突から上がる煙。温室の屋根。何も変わっていない。


 門が開いた。


 中庭に人が集まっていた。使用人たち。厨房の手伝い。馬番。掃除の老人。全員が並んで待っている。


 馬車を降りた。


 「お帰りなさいませ!」


 一斉に声が上がった。


 ゾフィが飛び出してきた。目が真っ赤だ。


 「エリナ様! お帰りなさい! 待ってました!」


 「ゾフィ、泣かないで」


 「泣いてません! 嬉しいだけです!」


 ディートリヒが控えめに一礼した。


 「お帰りなさいませ。お留守の間、特に問題はございませんでした。城の管理は順調です」


 「ありがとうございます、ディートリヒ」


 城の空気が懐かしい。石壁のひんやりとした冷気。木の梁。暖炉石の残り香。


 荷物を降ろしていると、門の方から小さな影が走ってきた。


 ルーカスだった。


 全速力で走っている。途中で一度転びかけたが、すぐに立て直して走ってきた。


 「エリナ様!」


 ぶつかるように飛びついてきた。


 「帰ってきた! 本当に帰ってきた!」


 小さな体が震えている。泣いている。


 「約束したでしょう。必ず帰ると」


 「うん。でも、長かった」


 「ひと月だけよ」


 「長かったんです」


 ルーカスの頭を撫でた。前より少し背が伸びている。ひと月で子供はこんなに変わるのか。


 「お土産、ありますか」


 「もちろん。王都の砂糖菓子を持ってきたわ」


 「やった!」


 涙が一瞬で消えた。子供は切り替えが早い。


 温室に行った。


 ゲルツ親方が水やりを引き継いでくれていた。新品種のルーン草は、四本目の葉が出ている。元気だ。


 温室の端に目をやった。


 鈴蘭。


 小さな白い花が、ひっそりと咲いていた。目立たない場所に、三輪だけ。


 カイン様のお母様が植えた花。


 「……あった」


 カイン様が隣に立っていた。いつの間に来たのか。


 「ここに」


 カイン様が指差した。


 「母が植えた。俺が小さい頃、ここで一緒に水をやった」


 鈴蘭は小さくて、目立たない。温室の端で、他の植物に隠れるように咲いている。


 でも、ちゃんと咲いている。


 「きれいですね」


 「……ああ」


 窓辺に置いてある鉢植えを見た。


 五輪目が、咲いていた。


 留守の間に開いたのだ。白い花びらが、午後の光の中で揺れている。


 五輪目。


 ルーカスの指切り。ゾフィの涙。ディートリヒの報告。温室の緑。鈴蘭。鉢植えの花。


 帰る場所がある。


 城下にも行った。


 市場のグレーテが「お帰りなさい!」と叫んだ。ハンスが「王都でうちの燻製肉は宣伝してくれましたか?」と聞いた。マルタが焼きたてのパンを持ってきた。


 何も変わっていない。この場所は、わたくしがいなくても回る。でも、帰ってくると喜んでくれる。


 (前世では、こんな場所がなかった。戻る場所。待っていてくれる人。名前を呼んでくれる声)


 夕方、書斎でカイン様と向き合った。


 ベルドラント連邦の使節は、あと数日で到着する。穏やかな帰還は、今日まで。明日からは対策を始めなければならない。


 でも今日は、帰ってきた喜びを味わいたかった。


 ゾフィが夕食を運んできた。辺境の根菜スープ。硬い黒パン。チーズ。


 王都の食事より質素だ。でも、この味がいい。


 「カイン様。やっぱり辺境が一番です」


 カイン様が白湯を飲みながら、ほんの少しだけ口元を緩めた。


 「……ああ」



---


 帰還から三日後、ベルドラント連邦の使節が到着した。


 馬車三台。護衛の傭兵が十名。先頭の馬車から降りてきたのは、背の高い痩せた男だった。灰色の外套に、連邦の評議会紋章をつけている。


 「ベルドラント連邦評議会の特使、ハインリヒ・メッツァーでございます」


 応接間に通した。


 カイン様が正面に座り、わたくしは右手に控えた。フリッツが後方に立っている。


 メッツァーは柔和な笑みを浮かべていた。商人特有の、計算された笑顔だ。


 「辺境伯様。このたびは、連邦と辺境伯領の友好的な通商関係を深めるために参りました」


 友好的。その言葉の裏に、何があるか。


 「まず、辺境伯領の発展には連邦としても大いに注目しております。特にルーン石は、連邦の諸都市でも需要が急増しています。そこで——」


 メッツァーが書類を取り出した。


 「連邦評議会は、ルーン石の独占取引契約を提案いたします。年間産出量の八割を連邦に優先供給する契約です。もちろん、対価は市場価格の二割増しでお支払いします」


 八割。産出量の八割を連邦に。


 それは事実上、他の全ての取引先を切るということだ。


 「断った場合は」


 カイン様が短く聞いた。


 メッツァーの笑顔が変わらないまま、目だけが鋭くなった。


 「断る、というのは——連邦としても大変残念なことです。現在の通商路は連邦の管理下にある部分が多く、もし友好関係に問題が生じれば——一部の通商路の利用に制限がかかる可能性は否定できません」


 通商封鎖の示唆だ。


 カイン様が腕を組んだ。


 「それは脅しか」


 「滅相もない。ただの現実的な懸念でございます」


 メッツァーは笑っている。だが、その笑顔は刃物のように鋭い。


 「ご検討の時間は差し上げます。五日後に返答をいただければ」


 使節が去った後、書斎でルドルフと合流した。


 ルドルフが持ってきた情報は、手紙の内容をさらに詳しくしたものだった。


 「連邦がなぜ今動いたか。理由がわかりました」


 ルドルフが地図を広げた。


 「メリアです」


 メリア。偽聖女。国外追放先がベルドラント連邦だった。


 「メリアは王都の社交界で、エリナ様の辺境での功績を散々聞かされていたはずです。ルーン石の発見。流通管理。商業的価値。全部、社交界で話題になっていましたから」


 追放先で生き延びるために、メリアは手持ちの情報を売った。


 「連邦の有力者に、王国の内部情報を提供したのです。ルーン石の産出量。辺境伯領の軍事力。防衛の弱点。全部、社交界で流れていた情報を整理すれば作れる報告書です」


 因果応報の連鎖だ。


 メリアの自己保身が、新たな脅威を生んだ。


 「証拠は」


 カイン様が聞いた。


 「わたしの商人仲間が、連邦の酒場で情報を聞き出しました。『王国の追放女が、いい情報を持ってきた』と。名前までは出ていませんが、追放された女で王国の内部事情に詳しい人間は一人しかいません」


 メリアか。


 あの女は、最後まで周囲に迷惑をかける。


 「メリアへの対処は?」


 「連邦の管轄です。こちらからは手が出せません。ただ、情報源としての価値はもう尽きているでしょう。連邦が知りたかったことはもう手に入れたはずですから」


 カイン様が立ち上がった。


 「五日ある。対策を練る」


 わたくしも立った。


 「カイン様。二人で、です」


 カイン様がこちらを見た。


 「……ああ。二人で、だ」


 ルドルフが目を細めた。何か言いたそうだったが、黙っていた。


 書斎で地図と帳簿を広げた。


 相手の要求。こちらの手札。妥協点。交渉の余地。


 前世の経験が役に立つ。取引先との交渉は数え切れないほどやってきた。でも、今回の相手は一企業ではない。一国の評議会だ。


 窓の外に、春の風が吹いている。


 辺境の春は短い。この春が終わる前に、嵐を乗り越えなければ。


---


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