第92話「第二王子の処分」
第92話「第二王子の処分」
王都を発つ前日、シュテファン殿下からの使いが来た。
「御前会議が明日開かれる。エリナ嬢にも列席を許可する」
御前会議。
国王と高位貴族が集まる最高の意思決定の場。通常、外部の人間は入れない。
「何の会議ですか」
使いの文官が一瞬ためらった後、静かに言った。
「第二王子殿下の処分が決まります」
アルフレートの処分。
ヨハンナに報告すると、表情が一瞬だけ硬くなった。
「お嬢様。出席なさいますか」
「します。見届けるべきだと思います」
翌朝。王城の評議室。
長い机の両側に、高位貴族が並んでいる。ヴァルトシュタイン公爵家の席に父が座り、その後ろにわたくしが控えている。カイン様は辺境伯として末席に座っている。
正面に、テオドール陛下が座っていた。傍にシュテファン殿下。
そして、部屋の中央に、アルフレートが立っていた。
金髪が乱れている。水色の目から光が消えている。数日前の夜会で見たときより、さらに痩せていた。
テオドール陛下が口を開いた。
「第二王子アルフレート。お前の処分について、評議の結論が出た」
アルフレートは黙っていた。目は正面を向いているが、何も見ていない。
「王位継承権の剥奪。爵位は保持するが、王族としての権限を全て失う。向後、離宮にて蟄居せよ」
会議室が静まった。
継承権の剥奪。王子でありながら、王位には永遠に就けない。
死刑でも追放でもない。だが、王族にとっては存在を消されるに等しい処分だ。
シュテファン殿下が立ち上がった。
「弟の所業について。兄として弁護すべき言葉を探しました。ですが見つかりませんでした」
シュテファン殿下の声は平静だった。だが、目が一瞬だけ伏せられた。兄として言うべき言葉が見つからない。それがどれだけの重さか。
「婚約者を公の場で辱め、偽りの聖女に惑わされ、王家の信頼を損なった。処分は妥当と判断いたします」
アルフレートの肩が、わずかに揺れた。
兄の言葉が、最後の杭だったのだろう。
テオドール陛下が立ち上がった。
「本日をもって、処分を確定する。連れて行け」
衛兵がアルフレートの両脇に立った。
アルフレートが歩き出す直前、こちらを見た。
目が合った。
何かを言いたそうだった。口が動いた。でも、言葉にはならなかった。
わたくしは何も言わなかった。
会釈もしなかった。ただ、目を合わせていた。
(あの日、わたくしが「ありがとうございます」と笑ったとき——この人は何を思ったのだろう。今のわたくしの目は、何を語っているだろう)
アルフレートが連れ出された。扉が閉まった。
終わった。
御前会議が解散した後、廊下でシュテファン殿下に会った。
「エリナ嬢。見苦しいものをお見せした」
「いいえ。殿下のお気持ちを思うと、お辛いことだったと思います」
シュテファン殿下が窓の外を見た。
「弟は愚かだった。だが、悪意だけの人間ではなかった。ただ——自分の弱さに気づくのが遅すぎた」
わたくしは何も答えなかった。
「カイン」
シュテファン殿下がカイン様に声をかけた。
「エリナ嬢を頼む。辺境へ気をつけて帰れ」
「ああ」
王城を出た。
馬車の中で、しばらく黙っていた。
アルフレートの処分は、自業自得だ。同情の余地はない。
でも、一人の人間が全てを失う場面を見たのは、心が重い。
「カイン様」
「何だ」
「わたくし、あの方を恨んでいたのでしょうか」
カイン様が少し間を置いた。
「恨んでいたかどうかは、お前にしかわからない」
そうだ。わたくしにしかわからない。
恨んでいたか。
たぶん、少しは。婚約破棄の夜は確かに恨んだ。悔しかった。悲しかった。
でも今は、恨みよりも別の感情の方が大きい。
あの男のおかげで辺境に来た。カイン様に出会った。温室を見つけた。居場所を作った。
恨みは消えていない。
でも、感謝の方が大きくなっている。
それは複雑な感情だけれど、嘘ではない。
ヨハンナが向かいの席から、静かに言った。
「お嬢様。その問いを持てることが——答えでございます」
馬車が王都の街を走っている。
明日、辺境に帰る。
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離宮は静かだった。
王城から馬車で半日ほどの場所にある、小さな別邸だ。庭は手入れされているが、人の気配がない。使用人は最低限。訪問者は許可制。
蟄居とは、つまり、ここに閉じ込められるということだ。
部屋に入った。
広くはない。寝台と机と椅子。窓から見えるのは中庭の樹木だけだ。
衛兵が扉を閉めた。鍵の音は聞こえなかった。閉じ込められているわけではない。ただ、出ても行く場所がない。
机の前に座った。
何もすることがない。
机の上に、辺境伯領の報告書の写しがあった。兄上が「読ませてやれ」と言ったらしい。
税収が三倍。冬季食料自給率が九割。温泉と鉱山の再開発。辺境ブランドの王都への流通拡大。
全て——エリナがやったことだ。
報告書を裏返しに伏せた。数字が、目に痛かった。
あの日のことを、思い出す。
一年半前。秋の収穫大舞踏会。大広間。シャンデリアの光。
俺は壇上に立って、婚約破棄を宣言した。
何が間違っていたのか。
メリアが「聖女」だと信じていた。メリアの光は本物だと思っていた。エリナは冷たくて、形式的で、俺のことを見てくれていないと感じていた。
全部、違った。
メリアの「光」は、ルーン石の欠片を仕込んだ偽物だった。
エリナが冷たかったのではなく、俺が理解する努力をしなかっただけだ。
兄上は言った。「弟の所業を弁護する言葉が見つからなかった」と。
兄のようにはなれなかった。
それだけは、最初からわかっていた。
シュテファン兄上は賢くて、冷静で、人を見る目がある。父上の信頼も厚い。第一王子として、完璧だった。
俺は第二王子だ。何をしても兄の後を追いかけるだけだった。
だからメリアの言葉が嬉しかった。「アルフレート様は、アルフレート様のままでいいのです」。
嘘だった。全部嘘だった。
でも、あの時の俺には、それが唯一の救いだった。
エリナは、何を思っていたのだろう。
婚約破棄を宣言したとき、あの女は笑った。「ありがとうございます」と。
あの笑顔の意味がわからなかった。怒るでもなく、泣くでもなく、笑った。俺を蔑んでいるのだと思った。
今ならわかる。
あれは、「解放された」笑顔だったのだ。
俺との婚約から。
机の引き出しを開けた。
中に、一枚のハンカチがある。白い、刺繍の入ったハンカチ。
エリナのものだ。
いつ手に入れたか覚えていない。婚約時代のどこかで。たぶん、エリナが落としたのを拾った。返すつもりで持っていて、そのまま忘れていた。
ハンカチを握りしめた。
「あの日、俺は何を捨てたのか」
声に出した。誰にも聞こえない。この離宮には、俺の声を聞く人間がいない。
エリナを捨てた。
婚約を捨てた。
兄との関係を壊した。
父の信頼を失った。
王位継承権を失った。
全部、俺がやったことだ。
誰かのせいにしたかった。メリアのせいだと言いたかった。でも、メリアを選んだのは俺だ。公の場で婚約破棄を宣言したのも俺だ。
夜会でエリナを見た。
銀灰のドレスを着て、辺境伯の隣に立っていた。
笑っていた。あの夜とは違う笑顔だった。穏やかで、自然で。
隣にいた男。辺境伯。俺よりずっと背が高くて、肩幅が広くて、無表情で。
あの男の隣にいるエリナは、俺の隣にいたときとは別人に見えた。
あの男がエリナの杯を手に取った。何も言わずに。中身を替えて、戻した。エリナが小さく見上げて、笑った。
俺の知らない笑顔だった。俺の前では一度も見せなかった顔を——あの男には、あんなにも自然に向ける。
もしかしたら、別人ではないのかもしれない。
あの女は最初からあんなふうに笑えた。ただ、俺の隣では笑わなかっただけだ。
窓の外が暮れていく。
離宮の中庭に、鳥が一羽止まった。すぐに飛び去った。
後悔しているかと聞かれたら。
している。
だが、後悔しても遅い。
それだけは理解している。
ハンカチを、机の引き出しに戻した。
明日も、何もない一日が始まる。
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