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婚約破棄されたので辺境で好きに生きます〜なぜか辺境伯に溺愛されていますが〜  作者: きなこ
第3章「告白と因果応報」

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第81話「父の手紙」

第81話「父の手紙」


 ヴィルヘルム公爵——お父様からの手紙が、もう一通届いた。


 前回よりも——分厚い封筒だった。


 管理棟の自分の椅子に座って、封を開けた。


 「エリナ。


 お前が辺境に行くと言ったとき、父は——正直に言えば、不安だった。


 お前が傷ついて帰ってくるのではないかと。辺境の厳しさに負けて、心が折れるのではないかと。


 だが止めなかった。お前の目に、迷いがなかったからだ。あの書斎で、辺境の帳簿の数字を並べて、冷静に分析してみせたとき——父はわかった。この娘は、行くと決めたら行く、と」


 お父様の文字が、少し震えている。


 いつもの几帳面な筆跡が——ところどころ、滲んでいた。


 「一年が経った。お前の報告書を読むたび、驚かされる。食料問題の解決。経済の回復。ルーン石の発見と管理。温泉の活用。辺境ブランドの確立。


 数字の一つ一つに、お前の顔が見える。お前がどれだけ働いたか、どれだけ考えたか——帳簿の数字が語っている。


 父は公爵として、多くの帳簿を見てきた。だが——お前の帳簿ほど、読んでいて誇らしいものはなかった」


 目が——熱くなってきた。


 「婚約破棄の日、お前は『ありがとうございます』と言った。


 あの言葉の意味が、今ならわかる。お前はあの瞬間から——自分の人生を、自分で歩き始めたのだ。


 父はあの夜、何も言えなかった。お前を守れなかったことが——恥ずかしかった。


 だが今は思う。守らなかったのではなく——お前が、自分で立ったのだと」


 涙が——こぼれた。


 「辺境伯カイン・ドラクロワについて。クラウスから報告を受けた。


 お前のそばに、信頼できる男がいることを——父として、嬉しく思う。あの男は寡黙で不器用だそうだが、お前に必要なのは甘い言葉ではなく、隣にいてくれる人間だと思う。


 父もそういう男だった。——いや、父はもう少し口が回ったが」


 笑ってしまった。泣きながら。


 「春に王都に来い。叙勲の式典がある。


 お前の功績を、王都の全員に見せてやれ。


 婚約破棄されたあの夜——お前を見下した全員に。


 お前が何を成したかを、見せてやれ。


 父より」


 手紙を読み終えた。


 しばらく——動けなかった。


 前世では——父の顔を覚えていない。


 母親に育てられて、父親は「いない人」だった。参観日に来なかった。運動会にも来なかった。


 今世の父は——遠くから、ずっと見守っていてくれた。


 何も言わずに。何も求めずに。ただ——信じて、送り出してくれた。


 ヨハンナが入ってきた。


 わたくしの顔を見て——何も聞かずに、ハンカチを差し出してくれた。


 「お嬢様」


 「ありがとう、ヨハンナ。——大丈夫。嬉しい涙ですから」


 「お父様は——お嬢様のことを、誰よりも誇りに思っておいでですよ」


 「……ヨハンナ」


 「はい」


 「わたくしも——お父様の娘で、よかったです」


 夕方。カイン様にこの手紙を見せた。


 カイン様は——最後まで読んだ。


 一言。


 「いい父親だ」


 その目が——少し、遠くを見ていた。


 カイン様の父は——もういない。十二歳のときに、国境紛争で失った。


 「カイン様」


 「何だ」


 「カイン様のお父様も——きっと、誇りに思っておいでですわ。今のカイン様を」


 カイン様は何も言わなかった。


 でも——手が、わたくしの手を探した。


 握った。


 強く。


 言葉にならない感情が——手のひらを通じて、伝わってきた。


 この人の中にある寂しさと。この人の中にある強さと。


 全部——受け取った。


---


 冬が来た。


 二度目の——辺境の冬。


 雪が城壁に積もり、風が窓を叩く。


 去年と同じ景色だ。白い世界。凍てつく空気。短い日。


 でも——全てが違う。


 朝のお茶の時間。


 カイン様が向かい合って座っている。白湯の湯気が、いつもより多い。冬の空気が冷たいから。


 「カイン様」


 「何だ」


 「あの日お話しした叙勲の式典——春になったら、一緒に王都に行っていただけますか」


 カイン様が少し驚いた顔をした。


 当然のことのように頷くかと思ったが——一瞬だけ、考える時間があった。


 「王都は——お前にとって、あの場所だ。俺がいて、いいのか」


 「いてくださらなければ、困ります」


 「……困るのか」


 「ええ。カイン様がいなければ——わたくし、誰の隣に立てばいいのですか」


 カイン様の耳が——赤くなった。


 「……行こう」


 ゆっくり頷いた。


 その声は——静かだったが、とても確かだった。


 午前中。帳簿の整理をしていた。


 年末の集計。第二期の数字がまとまっている。


 税収——前年比三倍半。人口——一割五分増。城下の商店——三軒から十二軒へ。交易品目——保存食、燻製、ルーン石、美肌薬。


 一年半前の帳簿を開いた。


 最初に見たとき——数字の並びがめちゃくちゃだった。費目の分類がなかった。何にいくら使っているのか、把握すらされていなかった。


 あの日、白紙を一枚取り出して、費目を八項目に整理した。


 あれが——全ての始まりだった。


 ヨハンナが入ってきた。


 「お嬢様。ゾフィが冬の新作スープを試食してほしいと」


 「温泉の塩を使ったスープですか?」


 「はい。ルーカスが味見役を買って出たそうですが——三杯飲んでしまって、ゾフィに追い出されたとか」


 笑った。


 この城は——笑い声が、増えた。


 昼食の後。城下を少し歩いた。


 雪の中を、マルタが走ってきた。


 「エリナ様! 美肌薬の効果、すごいです! お母さんの手が、もうガサガサじゃなくなって——」


 「それはよかったですわ」


 「城下の女の人みんな、春の出荷を楽しみにしてます。——あと、エリナ様の叙勲のこと、みんな知ってますよ。自分のことのように喜んでます」


 (自分のことのように——)


 この場所が、わたくしの居場所になっている。


 午後。フリッツが来た。


 「ヴァルトシュタイン嬢。春の王都行きの件ですが——護衛の編成と馬車の手配を始めてよろしいでしょうか」


 「お願いします、フリッツ」


 「辺境伯もご一緒されるとのこと。——城の留守は、わたしとディートリヒでお守りします」


 フリッツの目が——穏やかだった。


 一年半前、この人はわたくしを「計量するような目」で見ていた。


 今は——信頼の目で見てくれている。


 夕方。城壁の上。


 雪が降っている。静かに、ゆっくりと。


 カイン様の隣に立った。手が繋がる。手袋越しでも——この人の手の温もりがわかる。


 「カイン様」


 「何だ」


 「一年半前——ここに来たとき、カイン様は『来たか』とおっしゃいました」


 「……覚えている」


 「あの時は——それだけでした。一言だけ」


 「……ああ」


 「今は——もっと、たくさんのことを言ってくださいます」


 カイン様が——少し考えた。


 「言葉は——増えていないと思うが」


 「いいえ。増えていますわ。『好きだ』って——一年半前のカイン様は、絶対に言わなかった」


 カイン様の耳が赤くなった。


 「……あれは——一回だけだ」


 「一回で十分ですわ。一生分の重さがありましたから」


 雪が、二人の肩に積もっていく。


 帰り道。


 自室に戻って、窓辺の鉢植えを見た。


 四輪目の花が——咲いていた。


 いつ開いたのだろう。朝はまだ蕾だった。


 冬の弱い光の中で——四つの白い花が、静かに揺れている。


 一輪目はもう盛りを過ぎて、花びらの端が茶色くなり始めている。でも二輪目と三輪目はまだ白い。そして四輪目は——今日、咲いたばかりだ。


 隣に置いたルーン石が、淡い青い光を放っている。白い花と青い光が——冬の窓辺で、静かに並んでいる。


 (泥の中にいた小さな芽が——四つの花を咲かせた)


 一輪目は——恋の自覚。


 二輪目は——辺境で根を張った証。


 三輪目は——告白の後の幸せ。


 四輪目は——これから始まる、新しい季節の約束。


 窓の外に、雪が降っている。


 辺境の冬は——厳しい。


 でも、今年の冬は温かい。


 去年は——一人だった。


 今は——隣に、カイン様がいる。


 春になったら、王都に行く。


 あの場所に——もう一度、立つ。


 婚約破棄された夜、「ありがとうございます」と笑って去ったあの場所に。


 今度は——辺境の花として。カイン様の隣で。


 鉢植えの四つの花が、冬の月明かりの中で咲いている。


 ルーン石の光が、心臓の鼓動と同じリズムで脈打っている。


 わたくしは——まだ、咲き続ける。


 この先も。ずっと。


〈第3章「告白と因果応報」了〉


本話で第3章終了となります。

最終章である第4章は翌日5/20の21時半から投稿を開始いたしますので引き続きよろしくお願いいたします。m(__)m

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