第76話「王都の秋」
第76話「王都の秋」
王宮魔法庁——最終聴取の間。
長い机の向こうに、メリア・シュヴァルツが座っていた。
調査官が三名。記録係が一名。そして——神官長ハインリッヒ・フォン・ゼーベルクが、末席に立ち会っていた。
銀灰色の髪。四十年の勤めで培われた、穏やかだが揺るぎのない目。
聖光石の出所。偽装の方法。アルフレートの名義を使った経緯——すべてが、記録されていく。
メリアは、淡々と答えた。もう——隠すものがなくなった人間の声だった。
「聖光石の入手先は?」
「最初は——偶然、市場で見つけました。光る石があると。それを身につけたら——わたしの光属性魔法が、強く見えることに気づいて」
「いつからですか」
「三年前です。男爵家の夜会で——わたしの光を見た人が、聖女ではないかと言い出して」
「否定しなかったのですか」
「……しませんでした」
調査官が次の質問に移った。
「アルフレート殿下の名義を使った経緯は」
「殿下が——わたしを聖女として支えると言ってくださって。石の費用も、殿下のお名前で請求すれば通ると——」
「殿下ご自身が指示したのですか」
メリアが沈黙した。
「……殿下は——知りませんでした。わたしが勝手に、殿下のお名前を使いました」
長い記録が終わった。
調査官が最後に尋ねた。
「何か——言い残すことはありますか」
メリアは——しばらく黙っていた。
やがて、一つだけ言った。
「わたしは——貧しい男爵家の娘でした。何もなかった。何の力もなかった。あの石を見つけたとき——これで、わたしにも何かができると思った。それだけです」
調査官は何も言わなかった。
神官長が、静かにメリアを見ていた。
その目には——怒りはなかった。ただ、深い疲れがあった。
聴取が終わった。
メリアが部屋を出ていく。
扉が閉まる音が——静かに響いた。
シュテファンの執務室。
調査報告書の最終版が、机の上にあった。
メリア・シュヴァルツへの処分案——聖女詐称の罪。王族の名義を無断使用した罪。
爵位剥奪。国外追放。
シュテファンが報告書を読み終えた。
「処分は——次の御前会議で決定する。父上の判断を仰ぐ」
扉が開いた。
アルフレートが入ってきた。目の下に隈がある。ここ数日、眠れていないことが見て取れた。
「兄上。メリアを——」
「弁護するなら、お前自身が御前会議に出ろ。ただし——全てを知った上で、それでも弁護できるなら」
アルフレートの口が、閉じた。
全てを知った上で——弁護できるか。
聖光石の偽装。名義の無断使用。三年間の嘘。
知らなかったとはいえ——それを見抜けなかった自分に、弁護する資格があるのか。
アルフレートは何も言わずに、部屋を出た。
宮廷の廊下で——ヴィルヘルム公爵が、シュテファンとすれ違った。
「殿下。娘のことでは、ご配慮いただきありがとうございます」
シュテファンが足を止めた。
「公爵。——令嬢は、辺境でご活躍のようですな」
ヴィルヘルム公爵が、ほんの一瞬だけ——目を細めた。
「ええ。あの子は——わたしが思っていたより、ずっと強い子でした」
「それは——公爵のお育てになった賜物でしょう」
「いいえ。わたしは——何もしておりません。あの子が、自分でそうなったのです」
二人は一礼して、すれ違った。
ヴィルヘルム公爵は自邸に戻った。
書斎の机に座り、引き出しから手紙を出した。
エリナからの手紙だ。辺境の報告。経済の数字。温室の成果。温泉の発見。ルーン石の販売。
そして——最後の一行。
「お父様。わたくしは幸せです」
公爵の目が——少し、潤んだ。
手紙を丁寧に折り直して、引き出しに戻した。
「——馬鹿な娘だ」
声が——震えていた。
---
朝起きて、窓を開けたら——世界が白かった。
初霜だ。
草の上に、薄い氷の結晶が散らばっている。呼吸が白い。秋の空気が——冬の匂いに変わり始めていた。
二度目の冬が、近づいている。
でも——去年とは違う。
食料備蓄は十分。暖房石の在庫も足りている。燻製の保存食は倉庫を満たしている。温室は冬でも野菜を供給し続ける。ルーン石の売上が財政を支えている。
不安が——ない。
朝のお茶の時間。
カイン様が向かい合って座っている。白湯の湯気が、寒い朝の空気で白く立ち上る。
わたくしの紅茶が半分になったとき——カイン様が、自然な動きでカップに白湯を注ぎ足した。
「あ——ありがとうございます」
「減っていた」
小さなことだ。
でも——こういう動作が、増えた。告白の前からあった気遣いが、今はもっと自然に、もっと柔らかくなっている。
「今年の冬は——去年より楽になりそうですわね」
「ああ。お前のおかげだ」
「またそう言う。皆さんの——」
「お前の、だ」
五度目の「お前の、だ」。
毎回、同じ言葉だ。でも——毎回、この言葉にはカイン様の全部が入っている。
言葉の少ない人が、同じ言葉を繰り返すとき——それは、その言葉が本当だからだ。
午後。管理棟で帳簿を整理していたら、ルドルフからの手紙が届いた。
---
「エリナ様へ
ルーン石の第二便が出荷準備完了しました。今回は中位等級を増やし、地方の魔法道具職人への販路を開きます。引き合いが七件に増えております。
それと——美肌薬の件。王都で試作品を令嬢方にお配りしたところ、大変な好評です。『辺境の温泉から作られた美肌の秘薬』という触れ込みが効いたようで、すでに予約が二十件ほど入っています。
エリナ様、王都の令嬢たちが辺境の美肌薬を求め始めています。あなたの名前が——王都で、いい意味で広がっていますよ。
ルドルフ」
手紙を読み返した。
(王都で——わたくしの名前が)
婚約破棄された悪女。そう呼ばれていたのが——いつの間にか、何かを成した人間として知られ始めている。
ヨハンナに手紙の内容を伝えた。
ヨハンナが微笑んだ。
「お嬢様。王都の評判が変わるということは——お父様やクラウス様のお立場も、楽になるということですわ」
「……そうね。お父様には——ご心配をおかけしたから」
「お父様は、心配などされていませんよ。信じて送り出してくださったのですから」
(お父様。わたくしは——少しだけ、恩返しができているかしら)
夕方。城壁の上。
カイン様の隣に立った。初霜の白い世界が、夕日で金色に染まっている。
手が繋がる。いつもの場所で、いつものように。
「カイン様」
「何だ」
「わたくしの名前が——王都で、いい意味で広がっているそうです」
「……そうか」
「嬉しいですわ。でも——一番嬉しいのは、ここにいることですけれど」
カイン様が——わたくしの手を、少しだけ強く握った。
言葉はなかった。でも——手の力が、答えだった。
城壁を降りて、自室に戻った。
窓の外に、初霜の白い世界が広がっている。
窓辺の鉢植えを見た。三輪の花が咲いている。四つ目の蕾が、少しだけ大きくなっていた。
(この花も——冬を越す。二度目の冬を。わたくしと一緒に)
初霜の朝は、冷たかった。
でも——手の中には、カイン様の温もりがまだ残っていた。
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御前会議の日が来た。
国王テオドール・フォン・ルヴェンタールが、玉座に座っている。重臣たちが両側に並ぶ。
議題の一つ——メリア・シュヴァルツの処分について。
シュテファンが調査結果を報告した。
聖光石の粉末を衣服に塗布していたこと。王族の名義を無断使用したこと。三年間にわたる偽装。
重臣たちの表情が、一つ一つの事実ごとに硬くなっていく。
国王が静かに言った。
「メリア・シュヴァルツの聖女詐称は確定した。処分については次回の会議で正式に決定する。——アルフレート」
「……はい、父上」
「お前から——何か言うことはあるか」
アルフレートが立ち上がった。
会議室の視線が——すべて、彼に向いた。
弁護しようと思っていた。メリアのために——何か言おうと。
でも——口を開いたまま、言葉が出なかった。
何を言えばいい。「知らなかった」と言えば——それは自分の無能を晒すことだ。「許してほしい」と言えば——何の根拠もない。
全てを知った上で——弁護できるか。
できなかった。
「……ありません」
小さな声だった。
国王が一瞬だけ目を細めて——次の議題に移った。
会議が終わった。
廊下を歩く。広い廊下に、秋の午後の日差しが差し込んでいる。
すれ違ったのは——かつてエリナの取り巻きだった令嬢の一人だった。
「あら、殿下。お一人でしたか。聖女様は——ああ、もう聖女様とはお呼びできませんね」
嘲笑混じりの声。
かつて——エリナに向けられていた種類の声だ。「悪女」「婚約破棄されて当然」「自業自得」。
あの声が——今度は、自分に向いている。
(これが——エリナが受けていた仕打ちか)
初めて、理解した。
あの夜、舞踏会で「婚約破棄する」と宣言したとき——エリナは、会場中の視線を浴びた。嘲笑と蔑みと好奇の目を。
そしてエリナは——「ありがとうございます」と微笑んで、退場した。
あの女は——こんな視線の中を、笑って歩いたのだ。
「……すまなかった」
誰にも聞こえない声で、呟いた。
自室に戻った。
机の前に座った。書類には手がつかない。
窓の外を見た。秋の王都の空は高い。どこまでも青い。
机の引き出しを開けた。
刺繍入りのハンカチ。白地に青い小花。
前回、引き出しの手前に置き直したものだ。
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広げた。
丁寧な刺繍だった。一針一針が均等で、糸の色も洗練されている。エリナは——こういうところに、手を抜かない女だった。
婚約時代に、何度もこういう贈り物を受け取った。お茶に呼ばれた。手紙を受け取った。
全部——面倒だと思っていた。メリアといるほうが楽だったから。メリアは褒めてくれた。すごいと言ってくれた。
エリナは——褒めなかった。当たり前のことは当たり前だと言った。間違っていることは指摘した。
あれは——信頼だったのだ。
俺を対等に見ていたのだ。
今になって——わかる。
遅すぎる理解だった。
ハンカチを畳み直して、引き出しに戻した。
窓の外が暗くなっていく。
秋の王都に——灯りが一つ、また一つと灯る。
かつて、この王都の全てが自分の手の中にあると思っていた。
メリアという聖女がいて。王子としての地位があって。未来が約束されていた。
今——聖女は偽物だった。地位は揺らいでいる。未来は——見えない。
そして——辺境では、あの女が笑っている。
自分が捨てた女が。自分が追い出した女が。
幸せに——暮らしている。
アルフレートは、机に肘をついて額を押さえた。
長い——長い溜息をついた。




