第64話「兄が来る」
第64話「兄が来る」
クラウス兄様の手紙から二週間。来訪の日が近づいていた。
管理棟で帳簿を広げながら、わたくしは客室の準備の確認をしていた。寝具の交換。暖炉の点検。窓辺の花——は、ヨハンナが手配してくれている。
(お兄様は、どう感じるかしら。この城を。この土地を。そして——カイン様のことを)
午前のお茶の時間に、カイン様にクラウス兄様の来訪を改めて伝えた。
「来週、兄が参ります。三日ほど滞在の予定です」
カイン様が白湯を一口飲んだ。
「……兄か」
一言だった。顔は変わらない。いつもの無表情。
でも——お茶のカップを持つ手が、わずかに硬かった。指の関節が、少し白くなっている。
(あ。この人——緊張している)
ディートリヒが廊下で声をかけてきた。
「客室の準備はいかがいたしましょうか。東翼の通常の客室でよろしいですか」
わたくしが答える前に、カイン様の声が飛んだ。
「最上の部屋を用意しろ」
即答だった。
ディートリヒが一瞬だけ目を細めた。
「辺境伯。相手の兄君に、好印象を与えたいのですね」
「……必要なことをしているだけだ」
「そうですか。では最上の客室を——窓の眺めが良い、南翼の部屋を」
ベルンハルトが午後に顔を出した。
「クラウス・フォン・ヴァルトシュタイン卿は近衛騎士団の方ですね。街道の安全を万全にいたします。護衛隊を二組、途中の街道に配置する許可をいただけますか」
カイン様が頷いた。
「頼む」
ベルンハルトが去った後、わたくしはカイン様を見た。
「カイン様」
「何だ」
「お兄様はとても良い方です。心配なさらないでください」
「心配はしていない」
「……少し、間がありましたわよ」
カイン様が小さく咳払いをした。
「……考えていただけだ」
何を考えていたのかは——聞かなくてもわかった。
夕方、いつもの城壁に上がった。
カイン様の手を取りながら、夕焼けを見た。
「お兄様がいらしている間も——ここには来られますか」
「……ああ」
「よかった」
カイン様がわたくしの手を少し強く握った。
「エリナ」
「はい」
「兄に——何を話す」
「何を、というのは」
「俺のことを、どう——」
言葉が途切れた。
(この人は——兄にどう思われるか、気にしているのだ)
胸がきゅっとなった。カイン様が誰かの評価を気にする姿は、見たことがなかった。
「ありのままですわ。カイン様のことは——ありのまま、お伝えします。不器用で、寡黙で、言葉が足りなくて。でも——」
「でも」
「廊下の灯りを増やして。紅茶を取り寄せて。泥の中の芽を鉢に移してくれる人だと」
カイン様が——少し、俯いた。
「……それで足りるか」
「十分ですわ」
城壁を降りて、自室に戻った。
窓辺の花を見た。三輪の白い花が、月明かりの中で静かに咲いている。
(お兄様——どうか、カイン様のことを、好きになってください)
祈るように思った。




