第56話「聖女の影」
第56話「聖女の影」
王都、宮廷魔法庁。
窓のない石造りの部屋に、朝の光は届かない。壁に等間隔で掛けられた魔灯だけが、白い光を床に落としていた。
机の上に、一通の報告書が広げられている。
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神官長ハインリッヒ・フォン・ゼーベルクは、報告書の最後の行を読み終えて、静かに目を閉じた。
六十を超えた痩身の老人で、銀灰色の髪を後ろに撫でつけ、法衣の襟元には聖典の紋章が縫い取られている。穏やかな顔つきだが、その目は——四十年の奉仕を経て、人の嘘を見抜くことに慣れている目だった。
報告書の署名は、宮廷魔法師バウム。七十年の経験を持つ老魔法師が、その流儀で——確信を持って初めて筆を執るという流儀で——書き上げた文書だった。
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「メリア・シュヴァルツが放つ光の波長は、聖女の顕現として歴史的に記録されている波長と一致しない。むしろ——市販の聖光石から放射される人工光と酷似する」
バウムの文章は淡々としていた。感情を排した、計測値と比較データの羅列。けれどその一行一行が、一人の女の虚構を静かに解体していた。
光の波長。放射パターン。持続時間の推移。
三年分の記録が並べられている。メリアが「聖女」として初めて光を放った日から、直近の計測まで。光は——年を追うごとに弱まっていた。聖女の力なら、ありえない推移だった。
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「確認の段階は、終わりました」
神官長は報告書を閉じた。
「これは——証拠です」
部屋に誰もいなかった。独り言だった。けれどその声には、何かに終止符を打つ重さがあった。
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同じ日の午後。
王都の東区画、かつてアルフレートが手配した居室にメリア・シュヴァルツは一人でいた。
部屋は広い。調度品も揃っている。けれど——以前と比べると、花が少なくなっていた。以前は毎日届いていた生花が、週に一度になり、今は月に一度届くかどうかだ。
メリアは鏡台の前に座っていた。
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鏡の中の自分を見る。
亜麻色の髪はまだ整えてある。薄い緑色の目も、昔と変わらない。けれど——肌の色が少し褪せている。睡眠が足りていないのだ。
手を持ち上げた。
掌の上に、微かな光が灯った。自分の魔力で出せる、ほんの小さな光。光属性の魔力はある。Bランク程度の。でも——それは「聖女の光」ではない。
聖光石がなければ、あの圧倒的な光は出せない。
そして——その聖光石が、もう手に入らなくなっていた。
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ハウアー副会長が処分を受けた。王都商人ギルドの闇ルートは完全に途絶えた。アルフレートの名義で購入することもできなくなった。
自分の資金で探そうとした。けれど——聖光石は希少品だ。正規の流通に乗る品は全て王宮の記録に載る。裏で動ける商人は、もういない。
メリアは手を下ろした。
光が消えた。
「わたしは——まだ、聖女よ」
声に出して言った。鏡に向かって。
「まだ——」
手が、震えていた。
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そのとき、部屋の扉が叩かれた。
「メリア様。お手紙が届いております」
侍女の声だった。メリアは表情を整えて——鏡の前で一瞬だけ笑顔を作ってから、扉を開けた。
受け取った封書の蝋封に——神官庁の紋章が押してあった。
メリアの指が止まった。
「ありがとう。下がっていいわ」
声は平静だった。侍女が去るまで、手は動かなかった。
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一人になって、封を切った。
文面は短い。
「聖女認定に関する定期的な再確認のため、王宮魔法庁への出頭をお願いいたします。日時は——」
定期的な再確認。
そんなものは、三年間一度もなかった。
メリアは手紙を机に置いた。指先が白くなるほど、手を握りしめていた。
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(大丈夫。大丈夫よ。まだ——方法はある。何か——何かあるはず)
思考が空回りしている。
聖光石を手に入れる方法。検査を避ける方法。時間を稼ぐ方法。
——何もなかった。
メリアは椅子に座ったまま、窓の外を見た。王都の秋の空は高く澄んでいて、残酷なほど美しかった。
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同刻。王宮の東翼、執務室の一角。
神官長ハインリッヒは、一通の面会申請書に署名をしていた。
宛先は——第一王子、シュテファン・フォン・ルヴェンタール殿下。
「殿下。お時間をいただきたい件がございます」
ペンを置いた。
書類を封筒に入れ、蝋封を押した。
この封が開かれたとき——一つの嘘が、終わりに向かって動き始める。
神官長はそれを知っていた。四十年の経験が告げていた。
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真実は——静かに、しかし確実に、扉を叩いている。




