第48話「途絶えた物資」
第48話「途絶えた物資」
異変に気づいたのは、ルドルフからの伝書が届いた午後のことだった。
帳簿の確認をしていたわたくしに、城の使いが紙を一枚持ってきた。ルドルフの筆跡。短い文章。でも——読み終えた瞬間に、胸の中で何かが冷えた。
「物資の出荷が止まりました。現在調査中です」
——たった一行。しかし、その重さがわかった。
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一時間後、ルドルフ本人が城に来た。
いつもの陽気な顔ではなかった。眉が寄っている。目が、商人の顔をしていた。状況を把握しようとする、冷静で鋭い目。
「エリナ様、すみません。急ぎの話です」
「聞かせてください」
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「あたしの商会のルートが、全部止められています」
ルドルフが椅子に座って言った。
「辺境から王都への出荷品も、王都から辺境への仕入れ品も——中継地点の都市で足止めを食っています。名目は『街道の安全確認』です」
「安全確認」
「ええ。先週から複数の街道で点検が入っていて、通行に支障が出る可能性があるから一時待機してほしい——という通達が、商人ギルドから出されたそうで」
「商人ギルドが」
「はい。主要な中継都市のギルド支部から、ほぼ同時に。昨日の昼頃には全部出揃っていました」
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(ほぼ同時に。複数の都市から)
わたくしは帳簿を閉じた。
「ルドルフ。あなたの商会だけが止められていますか」
「……それが、そうでもないんです」
ルドルフが少し眉を下げた。
「他の中小商会も同様に待機を命じられています。ただ——この辺境伯領への取引を持つ商会が、特に多く影響を受けている印象があります」
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「大手の商会は」
「そこが妙で。大手は通れています。先週の今日も、王都の大商会の荷が普通に中継都市を通っていた記録がある」
(大手は通れて、中小が止められる。辺境との取引がある商会が特に影響を受けている)
計算が、頭の中で動き始めた。
(これは偶然ではない。意図がある)
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「街道の安全確認というのは、どの程度の規模で実施されているのですか」
「それが——」ルドルフが首を振った。「実際に工事が行われているのは一箇所だけです。もう一箇所は点検が済んで、ほぼ再開できる状態なのに、ギルドの書類手続きがまだ終わっていないとかで。明らかに遅い」
「書類手続きに通常どのくらいかかりますか」
「二、三日。長くて一週間です。今は二週目に入っていますが、いまだに手続き中との返答しかない」
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これは——誰かの指示だ。
口に出さなかったが、頭の中でははっきりと結論が出ていた。
政治的な妨害。
辺境伯領の物資の流れを意図的に滞らせている。ルーン石鉱脈の発見が王都で話題になった後、この時期に。
(誰が、何のために——)
考え始めた脳が、幾つかの方向を同時に探し始めた。
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「エリナ様」
ルドルフが静かに言った。
「あたしは商人なので、政治の深いところはわかりません。でも——これが商業的な嫌がらせではなくて、もっと上の話だということは感じています」
「同じく、感じています」
「辺境からの保存食の輸出が止まれば——」
「経済計画が大きく狂います」
ルドルフが頷いた。険しい目のまま。
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そこで執務室の扉が開いた。
カイン様だった。外巡回から戻ってきたのか、外套を引きずるように入ってきた。ディートリヒが後ろについている。
「——ルドルフ」
カイン様がルドルフの顔を見た。それだけで状況を察したような目になった。
「報告書を見た。物資が止まっているか」
「はい」ルドルフが立ち上がった。「先ほどエリナ様に詳細をお話ししていたところです」
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カイン様が机の前に立った。
一瞬だけ、わたくしを見た。
わたくしは簡単に整理した内容を報告した。止まっている商会の規模、中継都市の数、大手が通れている点、書類手続きの遅延。
聞きながら、カイン様の表情が変わっていくのがわかった。
怒り——ではない、正確には。怒りよりも冷たいもの。状況を把握して、意図を読んで、対処を組み立てているときの、あの顔。
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「……誰の仕業か」
低い声で言った。
「見当はつく」
それだけ言って、カイン様は黙った。続けなかった。
ディートリヒが一歩前に出た。
「辺境伯。昨日入った王都からの書簡の中に——報告すべき情報があります」
「後で聞く。一対一で」
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短い沈黙があった。
ルドルフがわたくしを見た。わたくしはルドルフを見た。
(これは、わたくしたちが聞いていない方がいい話らしい)
「では、わたくしは帳簿の確認に戻ります」
「あたしも、調査の続きがあるので」
二人で自然に退出した。
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廊下に出て、少しだけ歩いてから、ルドルフが小声で言った。
「誰の仕業か、見当がつく——と言いましたね」
「ええ」
「エリナ様には、見当がつきますか」
少し考えた。
「完全には言えませんが——ルーン石の鉱脈が公文書で報告された後、この時期にこれだけ組織的に動かせる立場の人間となれば、かなり絞られますね」
ルドルフが顎を引いた。「そうですね」
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その夜、わたくしは管理棟に残って帳簿を広げた。
地図と帳面。ルドルフから受け取った過去三ヶ月の出入荷記録。執務室の壁に貼ってあったものを写した、街道の地図。
(止められたなら——別の道を作ればいい)
思ったことが、口から出た。
「別の道、か」
わたくしは炭筆を走らせながら、地図の上に指を置いた。辺境から北東へ。沿岸沿いの街道をたどれば、隣国との交易港として知られる港町に出られる。
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(考えれば、出てくる。必ずある)
前世の感覚が戻ってくる。突然の仕入れストップ、物流の遮断——対策の立て方は違っても、考え方の骨格は同じだ。まず現状把握。次に代替案の列挙。それから優先順位の選定。
(リーベック。あの港町は王都の商人ギルドを通らずに、海路で直接他領へ荷を出せる)
鉢植えの白い花が、蝋燭の灯りの中で揺れている。
夜が深くなっていった。
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翌朝、カイン様とルドルフが揃った。
地図を広げる。わたくしは現状を整理して伝えた。
「王都経由のルートが使えないなら——別の道を作ります」
「別の道、とは」ルドルフが目を向けた。
「リーベックです」
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地図の上で、北東への指先。沿岸沿いの街道を指した。
「港町の。……あたし、そちらに知り合いがいます」とルドルフが言った。「以前、海産物の仕入れで世話になった船問屋で——海路で王都の北側まで回せるかもしれない」
「距離は」
「王都経由より遠いです。経費も上がります。ただ——」
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「ただ?」
「王都の商人ギルドを通らずに済みます。直接、他領との取引が結べる。長い目で見れば——自前の流通経路を持つことになる」
(そう。まさにそれ)
「一時的な経費の増加は、予備費から補填できます。試算してみます」
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カイン様が「軍の方は俺が動く」と言った。
「ベルンハルトに護衛隊を組織させる。荷を運ぶだけでなく、新しいルートの調査もかねる」
「ベルンハルト殿に?」
「あいつは辺境の地形を知っている。リーベックまでの道筋も、一度確認したことがある」
「お前は経費の計算をしろ。俺は道を作る。ルドルフは船問屋に話をつけに行け」
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「——了解です」
ルドルフが立ち上がった。
「話が早くて助かります、辺境伯。あたし、今日中に使いを出します」
「頼む」
「エリナ様も——無理しないでくださいよ。一晩で全部解決しようとしなくて大丈夫ですから」
「一晩は必要ありません。三日でルートの試算を出します」
「……それ、無理しない宣言じゃないですよ」
ルドルフが苦笑しながら部屋を出ていった。
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管理棟に、わたくしとカイン様が二人になった。
カイン様は地図に視線を落としたまま、すぐには動かなかった。わたくしも筆を手に持ったまま、計算の紙を引き寄せた。
しばらく、それぞれが手を動かした。
炉の小さな火の音。羽ペンが紙を走る音。静かだった。でも——不思議と、息苦しくない。
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「エリナ」
カイン様がぽつりと言った。
「はい」
「これは——お前を狙ったものだ」
断言だった。
「存じております」
驚きはない。薄々感じていた。辺境での農産物の輸出、鉱山の大鉱脈、燻製の品質——成果が積み上がれば積み上がるほど、誰かの目には邪魔に映る。
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「許せない」
その三文字は、静かで——だからこそ、重かった。
(カイン様が、静かに怒っている)
初めて見る顔だった。いや、怒り自体は以前にも見たことがある。鉱山の崩落のとき、魔物に向けた一瞬の鋭さ。あれは「戦う人間」の怒りだった。
今のは違う。
これは——わたくしのために怒っている。
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「……カイン様」
わたくしは地図から顔を上げた。
「ありがとうございます。怒ってくださって」
「何を——」
カイン様が眉をわずかに動かした。
「謝るならわかる。慰めるならわかる。怒られる側でもないのに——何を礼を言う」
「わたくしのために怒ってくださる方がいるということが——とても、嬉しいのです」
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カイン様が言葉に詰まった。
普段の彼なら、すぐに次の言葉が来る。この人は無口に見えて、必要な言葉は必ず返す人だから。
今は——ない。
一拍。二拍。
(あ、指先が——)
地図を押さえるカイン様の指が、微かに力んでいた。わたくしは慌てて視線を地図に戻した。
(見てはいけない。絶対に見てはいけない気がする)
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後ろからゲルツの声が聞こえた気がした。
廊下を通りかかったゲルツ親方が、何かを届けに来て、部屋の外で足を止めた。そしてそのまま立ち去った。
(こっそり覗いていたのだろうか)
後で聞いたら、「いや、声が丸くなるから」と笑いながらゲルツは言った。「嬢さんの名前が出るとき、旦那の声が全然違う。気づいていないのは本人だけですよ」
(……わたくしも気づいていなかったのかもしれない)
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「話を戻します」
わたくしは声を整えた。
「新しいルートが確立したとして——それだけでは終わらない」
「……わかっています」
「妨害の真犯人を突き止めなければ、また同じことが起きます。別の形で。別の場所で」
「そうだ。俺の方でも、信頼できる筋に当たる」
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三日後、ルドルフがリーベックの船問屋から返事を受け取った。
ベルンハルトが護衛隊の編成を完了し、街道の試走を終えた。新しいルートの第一便が、辺境の農産物と燻製を積んで出発した。
物資の流通は、回復した。
管理棟の窓から、城下の荷車が動くのが見えた。いつもと違う方角へ向かう荷——でも、ちゃんと動いている。
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「よかった」
と思った瞬間、心の奥に小さな引っかかりが残った。
「妨害の真犯人を——突き止めなければ」
呟いた。
解決したのは表面だけだ。根っこはまだ、どこかで生きている。
(王都で、誰かが動いている)
そのことが——頭の隅から離れなかった。
でも——止まらなかった。流れは続いている。
(お兄様が動いてくれるだろう。カイン様も動いてくれる)
わたくしは帳簿のページを繰り、次の欄に数字を書き始めた。




