第43話「販売戦略」
第43話「販売戦略」
鉱山崩落から十日ほど経った昼下がり。ルドルフが約束の資料を抱えてきた。
管理棟の長机に、三人で向き合っている。中央にカイン様。右にルドルフ。わたくしは左側。窓から差し込む午後の光が、テーブルの上の書類を照らしている。
机の上には、王都の魔法道具商から仕入れたルーン石の市場価格表と、ゲルツ親方がまとめた鉱脈調査報告書が広げてあった。ルーン石一個、金貨五枚。それが今の王都での流通価格だ。
「まず現状ですが」
ルドルフが資料の一枚を指で押さえた。
「ルーン石の主な産地は王国南部の山岳地帯に集中しています。小規模の鉱山が四つ。どれも一族経営で、採掘量が少ない。供給が慢性的に足りていない」
「つまり、売り手市場ですね」
「その通りです。王都の魔法道具商が正直に言っていましたよ。『在庫があれば即日完売する。買えない客を返しているくらいだ』と」
わたくしは数字を頭の中で並べ始めた。
(供給不足の市場に、大規模鉱脈の産出品が入る。扱い方を間違えたら価格が崩壊する。でも正しく扱えば——)
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「さて、販売の方針についてお話ししてもよろしいでしょうか」
カイン様が一言。
「聞く」
ルドルフが少し背を伸ばした。
「ぜひ」
(前世なら上司の顔色を窺いながら、資料の数字を何度も確認してからの報告だった。今は対等な議論の場だ。ありがたい)
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「四段階で考えています」
わたくしは白紙に番号を振りながら言った。
「第一に——最初の一年は量を絞ります。品質の高いものだけを厳選して少量を出す。供給が増えすぎれば価格が崩れますから、希少価値を保つことが最優先です」
ルドルフが頷いた。
「辺境産ルーン石は、量ではなく質で名前を売る段階ですわ。今ある南部産地と同じ水準の供給量に留めて、まず市場に『辺境グラフ産』の名前を認知させる」
「希少品としての地位を先に確立する。理にかなっています」
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「第二に、販路の一本化です。ルドルフ商会に独占販売代理をお願いしたい。窓口を複数にすると値崩れが起きます」
「あたしが独占で?」
「信頼できる王都のネットワークを持っているあなたに任せるのが、一番確実です。石の流通量を管理できる唯一の商会です」
ルドルフがわずかに目を細めた。商人の目だった。
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「第三段階では、石のまま売るだけでなく加工品を並行して出します。灯り具、暖房石、農業補助具——需要があるのに供給元がない分野です」
「そして第四段階として、魔法道具工房の辺境への誘致。原石を外に出して加工するより、工房をこちらに招いた方が運搬の費用も減りますし、辺境に新しい仕事が生まれます」
ルドルフが紙に書き付けながら答えた。
「王都で場所を探している小規模工房が二、三軒あります。声をかけてみますよ」
「助かります」
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カイン様が腕を組んだまま口を開いた。
「鉱山の警備はどうする」
(やはりそこだ。経済より先に安全を見る)
「そこが一番手薄な部分です。鉱脈の情報が漏れれば、不法採掘者が入る恐れがあります」
「ベルンハルト」
カイン様が扉の方に声をかけた。控えていたベルンハルトが入ってくる。
「クレイン村の鉱山に専任の警備隊を編成してくれ。お前が指揮を取れ。必要な兵員の見積もりを出してほしい」
「承知しました」
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ベルンハルトが頷いた。退室しかけて——扉の前で、ふと足を止めた。
「カイン様」
「なんだ」
「——命令に"思う"が混じるようになりましたな」
カイン様の手が、書類の上で一瞬止まった。
「……何の話だ」
「以前は『やれ』で終わっていたものが、最近は『してくれ』や『してほしい』に変わっておいでです」
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ベルンハルトの顔は、いつもの鉄面皮のままだった。観察をそのまま口にしただけ、というふうにも見える。
「変わったことがおありなのかと」
何も付け加えず、静かに礼をして出ていった。
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残された三人の間に、短い沈黙が落ちた。
ルドルフが何食わぬ顔で書類に目を戻した。その口端がわずかに上がっているのを、わたくしは見逃さなかった。
話し合いに戻った。石の選別基準、運搬方法、価格の上限と下限——一つずつ決めていく。
わたくしとルドルフが計算表を挟んでやりとりしていると、次第にテンポが上がった。
「この経路なら王都まで一週間短縮できます。費用は若干上がりますが——」
「初年度の価格設定で吸収できます。ここに数字を入れると——」
計算表に書き込んで、ルドルフに見せる。
「ああ——なるほど。こう組むのか。よく回転しますね、頭が」
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そのとき、カイン様がぽつりと言った。
「その経路で問題ない。採用する」
わたくしが計算書を正式な提案書にまとめる前に——もう、決まっていた。
ちょうどお茶を運んできたディートリヒが、盆をテーブルに置きながら言った。
「旦那様。即答でしたね」
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「何がだ」
「エリナ様のご提案に。書類を確認するより先に、もう頷いていらっしゃいました」
わたくしは紅茶のカップに目を落とした。頬に熱が集まるのがわかった。
「合理的な提案だ。それだけだ」
カイン様の声は低く、平静だった。
ただ——視線が、わたくしから窓の外へ逸れた。
ディートリヒは何も言わず、穏やかな顔のまま静かに退室した。
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会議が終わり、ルドルフが書類をまとめ始めた。帽子を取り上げ、革の書類袋を肩にかける。
「いやあ、今日も充実した会議でした。辺境伯、よろしい経済顧問をお持ちで」
「仕事の話は以上か」
「はい。あとは実行に移すだけです」
ルドルフが席を立ち、帽子を被り直して扉の方へ歩きかけて——わたくしの横で立ち止まった。
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「エリナ様」
「はい」
「ひとつだけ言っていいですか」
ルドルフの声は、いつもより静かだった。冗談の気配がない。
「あなたと仕事をするのは、商人として最高の贅沢ですよ。これだけ頭が切れて、しかも誠実な方と仕事ができるのは」
胸がじんとした。
「ルドルフさん……ありがとうございます」
「ただ」
ルドルフが、くっと口端を上げた。琥珀色の目が、一瞬だけカイン様の方を流れる。
「カイン様は——別の意味でのパートナーになりたそうですがね」
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一秒、何の音もしなかった。
「ル——」
「それでは、また来週」
ルドルフが軽やかに退室した。扉がぱたん、と閉まる。
わたくしは計算表を眺めることにした。数字を見る。見ているが、何も入ってこない。
(ルドルフさん。なんということを——)
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恐る恐るカイン様を見た。
カイン様は窓の外を向いていた。横顔しか見えない。
でも——耳の縁が、はっきりと赤い。
「カイン様」
「……なんだ」
「あの、ルドルフさんは——その——ああいう方ですので」
「知っている」
低い声。
「口が軽い」
それ以上は何も言わなかった。
カイン様が書類に目を戻した。わたくしも計算表に視線を落とした。
顔の熱が引かない。数字が一つも頭に入ってこない。ルドルフの提出した輸送費の欄を三回読み返して、まだ数字を記憶できていなかった。
廊下の先で、ディートリヒとルドルフが小声で何か話している気配がした。
(二人とも——完全に楽しんでいるのでは)
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管理棟を出ると、廊下の窓から夕暮れの山並みが見えた。
部屋に戻って、鉢植えを見た。蕾が少し膨らんでいた。白い花びらの端が、昨日よりはっきりと覗いている。もうすぐ咲く。そう思えた。
(別の意味でのパートナー——)
ルドルフの言葉が、もう一度頭の中を通り過ぎた。
夕暮れの辺境の風が、窓から入って髪をそっと揺らした。
心臓が——静かに、でも確かに、鳴っていた。




