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婚約破棄されたので辺境で好きに生きます〜なぜか辺境伯に溺愛されていますが〜  作者: きなこ
第1章「堕ちた令嬢と辺境の扉」

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第14話「冬が来る前に(前編)」

第14話「冬が来る前に(前編)」


 朝、窓を開けると、息が白く凍った。


 もう迷わない季節になっていた。秋ではなく、冬の入口だ。


 グラフ城の庭で、落ち葉がひと固まりになって風に転がった。遠くの山の稜線に、うっすらと白いものが積もり始めている。




 前日の夕方、ディートリヒから一枚の資料を受け取っていた。


 「倉庫の現在在庫、フリッツ様に出していただいたものです」と、丁寧に書き写された数字が並んでいる。


 わたくしはそれをランプの明かりで読み直し、羽根ペンを走らせた。計算が終わったとき、手が少し止まった。


 (やっぱり足りない)


 収穫量の不足分と照らし合わせると、現在の備蓄は冬の終わりまでもたない。帳簿を整理したときから薄々感じていたことが、数字として確定した。


 今から追加で穀物を買い付けることは難しい。道が凍れば、荷馬車は通れなくなる。


 では、今あるもので量を増やすには何をするか。


 わたくしは白紙に、三列の見出しを書いた。




 翌朝、カインの執務室を訪ねた。


 ディートリヒが「辺境伯はいらっしゃいます」と扉を開けてくれた。


 カインは机の前に座って文書を確認していた。わたくしが入ると、顔を上げた。


「おはようございます。少しよろしいでしょうか」


「何だ」


 短い返事は、「聞く」の意味だとわかるようになってきた。


 わたくしは資料をまとめた紙を差し出した。


「冬の備蓄についてです。現在の在庫量から試算すると、二月末までに不足が出る見込みです。追加の買い付けは道の状況を考えると、あと十日ほどしか動けません」


 カインは紙を受け取り、数字を確認した。


「……知っている」


「では、保存食の量を今から大幅に増やすことを提案します」


 カインが目を上げた。


「干し肉と燻製と、塩漬けの野菜です。こちらでも作られているものですが、問題は量です。城内の調理場だけでは間に合いません。城下の各家庭に作業を分散させて、同時に十倍の規模で仕込めば、冬を越せる量を確保できます」


 保存食の作り方自体は、辺境の人々の方がよほど詳しい。わたくしが提案しているのは技術ではなく、仕組みだ。材料の一括調達、作業場の分散配置、完成品の一割を報酬として各家庭に残す——段取りの組み方の応用にすぎない。


 カインは少しの間、紙を見ていた。


「材料は今ある分で足りるか」


「塩と酢の追加が要ります。城下の商人から今なら調達できるはずです。雪が降る前に」


 そこでディートリヒが口を挟んだ。


「恐れながら——城下の各家庭に作業を分散させるというのは、前例がございません。人を集める段取りも未知数ですし、材料の管理が各所に散れば目が行き届かなくなる懸念もあります」


 もっともな指摘だった。わたくしは頷いた。


「おっしゃる通りです。ですので、最初は三軒ほどの小規模で始めて、仕組みが回ることを確認してから拡大する形にしたいと思います。管理は——わたくしが毎日回ります」


 ディートリヒはカインを見た。カインは少しの間、紙を見ていた。


「……やれ。ただし小さく始めろ」


「はい。それと——城下の方々に作業をお願いする以上、わたくし一人では回りきれません。人手をお借りしたいのですが、よろしいでしょうか」


 カインの目が一瞬、こちらを見た。わたくしがかじかんだ指先をそっと擦り合わせたのが、視界に入ったのだろう。


「……当然だ。人を借りろ」


 短い言葉だった。でも、声の調子が——許可ではなく、念押しに聞こえた。


 (わたくしが言い出す前に、同じことを考えていたのかもしれない)


「承知いたしました」


 頭を下げて部屋を出ようとすると、カインが短く言った。


「行け。日が短くなる」


「はい。失礼いたします」


 廊下に出て、扉を閉めた。


 (自分から人手を頼めた。前世の自分なら、絶対に言えなかった一言だ。——それが自然に口から出たのは、ここに来てからの変化なのかもしれない)


 カインの「当然だ」が、耳の奥に残っている。当然、と言ってくれたことが——不思議に、嬉しかった。




 城の調理場の責任者は、ゾフィという五十代の女性だった。


 がっしりした体格で、食堂の鍋を片手で動かせる腕力の持ち主だ。わたくしが事情を説明しに行くと、ゾフィは腕を組んで話を聞いた。


「燻製と干し肉の大量仕込みは、城の台所だけじゃ場所が足りませんね」


「はい。そこで、城下の方々にお願いしたいのです。家の庭や倉庫の一角を借りて、作業を分散させれば、城内の十倍以上の量を同時進行できます」


 ゾフィが眉をひそめた。


「城下の衆に頼む、ですか。あなたを知らない人が多いですよ、まだ」


「わかっています」


「協力してもらえるかどうか——正直なところ、難しいと思いますよ」


 ゾフィは腕を組んだまま、しばらくわたくしを見ていた。


「まあ、あたしが口を出す話じゃない。お嬢様がやると言うなら、勝手にどうぞ。うちの台所は通常の仕込みで手一杯ですから」


 断られた——というほど冷たくはなかった。だが、手を貸すつもりもない。様子見だ。


「わかりました。まず一人で回ってみます」


 わたくしは頭を下げて、調理場を出た。




 翌朝。


 市場に向かおうと城門を出たところで、ゾフィが立っていた。外套を着て、腕を組んでいる。


「ゾフィさん?」


「……勘違いしないでおくれよ。手伝いに来たわけじゃないからね」


 ゾフィの声はぶっきらぼうだった。目も合わせない。


「昨日の夜、倉庫の在庫を見直してみただけさ。あたしは台所を預かる身だから、数字くらい確認しておかないと寝覚めが悪い」


 腕を組んだまま、ゾフィはため息をひとつついた。


「あんたの言う通りだったよ。今のままじゃ、二月は持たない。——あたしが知らなかったわけじゃないけど、改めて数字で突きつけられると腹が据わるもんだね」


 それから、ようやくこちらを見た。


「あたしは城下の顔は知ってる。まあ——あんたが行くなら、ついでに一緒に行くよ。ついでにね」




 城下町の市場は、午前中は人が動く。


 ゾフィが顔見知りの女性たちに声をかけ、わたくしが事情を説明する。冬の備蓄が足りないこと。保存食を城下でまとめて仕込みたいこと。材料と塩と酢はこちらで用意し、完成品の一割を各家庭に残すこと。


 市場のゾフィや、ウルズラという年配の女性が、燻製の仕込みに詳しいと名乗り出てくれた。ウルズラは「四十年この土地にいれば、冬支度は体が覚えてるよ」と言って、腕まくりをした。


 反応はまちまちだった。


 ある家では、疲れた顔の女性が戸口に立ったまま首を横に振った。「うちはそんな余裕ないよ」。その目に敵意はなかった。ただ、余力がないだけだ。わたくしは頭を下げて、その家を辞した。


 別の家では、先日の市場でわたくしの顔を覚えていた女性が、少し考えてから言った。「あんたが瓶を値切ってたの、見てたよ。——やってみようか」


 (昨日まではゼロだった。今日は、ゼロじゃなくなった)


 ゾフィが腕を組んで笑った。「三軒は乗ってくれたよ。上出来さ」


「明日、三軒の方と一緒に場所を決めます。まず小さく始めて、形を見せます」


「あなた、急かさないんですね」


「急かしても人は動かないので」




 昼すぎ、城に戻った。ゾフィは「もう少し回ってくるよ」と市場に残った。


 城の調理場の隣に、空いた作業場がある。明日からの仕込みに使えるかどうか下見をしておこうと思い、中に入った。


 埃をかぶった作業台と、壁際に積まれた木箱。人が使っていた気配はあるが、しばらく放置されていたらしい。窓の外から灰色の光が差し込んでいた。


 作業台の端に腰を下ろして、少しだけ息をついた。


 ふと、前世の記憶が掠めた。(夜中の休憩室で、薄暗い明かりの中、温かい飲み物を手にぼんやり座っていた。あのとき見えるのは白い天井と、疲れた自分の手だけだった)


 今、わたくしの目の前には、埃っぽい作業場がある。お世辞にも美しくはない。でも——ここをこれから、人が集まって働く場所にする。


 それだけのことが、ひどく贅沢に感じられた。


 喉の奥がじわりと熱くなって、わたくしは一度だけ瞬きをした。


 作業場を出て廊下を歩いているとき、ふと壁の暖炉石が目に入った。城の廊下に等間隔で設置されているのだが——位置がずいぶん高い。背の高い兵士には丁度良いのかもしれないが、女性や子供には暖気が届かないだろう。


 (いつか余裕ができたら、少し低い位置にも置けないか考えてみよう)


 今はまだ、冬の食料が先だ。


 廊下でフリッツとすれ違った。城代の白髪交じりの頭が、わたくしを見てわずかに傾いた。


「いかがでしたか」


「三軒、協力してくださいます。残りは様子見です」


「……城下の衆は慎重です。でも、信義に厚い」


「そうですね。そう感じました」


 フリッツが小さく頷いた。


「昨年の冬も、食料が不足しました。今年は昨年より収穫が少ない。……城下の者も、その不安は抱えています」


「わかっています。だからこそ、うまくいけば一緒にやった意味が伝わると思います」


 フリッツの目が、少しだけ和らいだ。


「……そうですな」




 夕方になって、また一軒から「やります」と返事が来た。


 それと同時に、フリッツが伝言を持ってきた。


「辺境伯より。明朝、兵舎の手の空いた者を二名、作業に出すとのことです。人手が要るのであれば使えと」


 わたくしは少し驚いた。頼んでいない。それなのに——。


 (あの人は、黙って人を動かす。言葉ではなく、行動で答える人なんだ)


 ヨハンナが「四軒ですね」と言った。


「はい。明日、塩と酢の調達に行きます。香辛料は城下の商会が扱っているはずなので、仕入れ量を確認させてください」


「お嬢様」


「なんですか」


「怪訝がられていましたが——あの仕組みは、やはり書物から?」


 ヨハンナの目は温かい。でも、少しだけ探るような気配もある。


 わたくしは少しの間、ランプの灯りを見た。


「書物と、少しの経験です。……人に動いてもらうには、理屈だけでなく、動く理由を一緒に渡さないといけない。それは、どの時代でも同じだと思います」


「それはそうですね」


 ヨハンナはそれ以上聞かなかった。


 (ヨハンナはたぶん、全部分かった上で聞いていない気がする)




 夜、部屋の窓から外を見ると、山の稜線が黒く切り立っていた。


 風が強くなっている。窓枠が細かく鳴っている。


 窓の外で、白いものが舞い始めた。


 はじめは一粒、二粒。それが次第に増えて、灯りの中で静かに落ちていく。


 初雪だった。


 わたくしはしばらく、その白さを見ていた。


 寒かった。でも、足は地面に、ちゃんとついている。


 今日、自分から人手を頼み、自分からゾフィに声をかけ、自分から城下を回った。前世のわたくしなら、一人で全部やろうとして、潰れていただろう。


 変われた——とまでは言わない。でも、一歩だけ、足を前に出せた。


 ふと、今朝の声が耳の奥に蘇った。


 「当然だ。人を借りろ」


 短くて、素っ気なくて。でもあの言葉は、わたくしが自分で踏み出した一歩を、後ろからそっと支えてくれていた。


 (……前世では、誰にもそんなふうに言ってもらえなかったな)



お読みいただきありがとうございます。

ここまでお付き合いいただいた方、本当にありがとうございます。


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